モーセと百瀬


「いらないなら、それちょーだい」

 僕の言葉が始まりだったと彼は言う。
 大恩だ、忠義が生まれた、なんて大げさな表現をされるけれど、僕の胸の裡にあったのはただ1つ−−嫌がらせ。

「いらないんでしょ?」

 死を覚悟した彼の顔がバカみたいだった。
 見せしめの暴力を浴びせる周りの顔がアホみたいだった。
 バカをアホが囲っているのだから、まとめてマヌケにしてやりたかった。

 喧騒の傍らで静かに息をしなくなったモーセを悼まない奴らを、せめてマヌケ面にしてやらなければ気が治まらなかった。

「だったら、ちょーだい」

 険悪な空気は匂いで嗅ぎとっていた。
  それでも、嫌がらせと嫌がらせと嫌がらせとーーほんのちょっとの寂しさが、僕を駆り立てていた。

「それを僕の犬にしてあげる」

 その日から僕の飼い犬になった彼は、モーセに似た名前で百瀬(ももせ)といった。
 身体ばかり大きくて融通の効かない無愛想な男だった。

 


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