その温床
ゴホッと酷い咳に合わせて上下する背中は、明らかに痩せたと感じる。
肋骨や背骨が浮き彫りになっているのではないかと思うくらいに、服の上からでも分かる痩せ方だった。
苦しそうな浅い呼吸を繰り返していたライナスは、俺に気づいて身を起こす。
「悪い、時間だな」
落ち窪んだ目、肉が削げ落ちた頬、炭坑の煤のせいだけではない艶の欠けた髪。
活力が感じられない蒼白な顔は寒さのせいではない。
大丈夫か?
ーーそんな馬鹿な問いかけは意味をなさない。
働かなくてはいけないのだ。
そうでなければ、このベッドの賃料さえ払えない。
エンクロージャー。
囲い込みとも呼ばれるそれは、生産力を高めるために大農地化を進めることで、この国の経済を促進させた。
その一方で、伝統的な農民の多くは土地を追われ、都市の工場や炭坑で働くことを余儀なくされていた。
同じような境遇の働き手がこの炭坑にもあり余っている。
雇う側の自由−−働かせることもその逆も意のままだ。
だから、ここで働くためには大丈夫でなくてはいけない。
働けないのなら即解雇だ。
俺もライナスにとっても、ようやくありつけた職なのだ。
解雇されては路頭に迷う。
今のライナスの身体では、職を失ってしまえば結末はもう見えている。
「今日の寒さは堪えるからさ、ベッドを暖めてくれてて助かるよ」
彼の謝罪など聞こえなかったふりをして、肩をすくめてみせる。
「ジェイは相変わらず寒がりだな」
「こればっかりはどうしようもない。だからホットベッドは助かるよ」
三交代勤務に合わせ、ベッドも3人で使う。
温もりの冷めないベッドをこう呼び始めたのは誰だったか。
笑おうとしたライナスは、激しい咳き込みに襲われた。
「……っ」
心配は無意味だ。
彼のような症状はもう何人も見てきた。
いつか俺も患うだろう炭鉱につきまとう病気だ。
「今日もいつもの固いパンだけだったけど、まぁないよりましだろ。取られないうちに食べとけよ」
「……ありがとな」
履き潰した穴の開いた靴で、部屋を出る足取りさえどこか覚束ない。
ライナスの姿が見えなくなった瞬間、部屋に敷き詰められたベッドのどこかで誰かが呟く。
「あいつ、長くないな」
あいつが誰を指すのか。
長くないのは、解雇までの期間か。それともーー。
狭い炭坑での長時間労働に疲れた身体は、それ以上の思考を停止させた。
ライナスの温もりが残るベッドを身をうずめ、この温もりが少しでも長く感じられることを願った。
1日でも長くこの温もりに包まれていることを、ただ、ただ願った。
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補足として
社会保障の勉強をしているときに、ホットベッドという単語の説明に萌えてつい妄想してしまいました。
ついでにこの時代の労働者の平均余命が20歳以下という深刻さにも。
時代背景は18世紀くらいの英/国です。
簡単にいうと『黒/執/事(枢やな)』の時代と同じくらいです。
あちらが貴族中心としたら、こちらは貧民の暮らしぶりでした。
あまり貧しさが書き表わせていないんですけど…。
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[mokuji]
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