23
影踏み(side.辻塚)
仁保が上級生の顔面を蹴ったらしい。
相手は、前任の書記。
しかも風紀委員長・五十部の前で。
……面倒なことをしてくれる。
蹴った本人、仁保。
生徒会会計としてあるまじき行為をしたとして、隣室で五十部から厳重注意を受けている。
その場に、古宮も同席中だ。
生徒会長として監督責任を問われている。
――というのが名目。
実際は、激しい論議が交わされているはずだ。
古宮と五十部はそりが合わない。
嫌悪などを通り越している。
互いに互いを生理的に受け付けない域に達しているらしい。
そこに、仁保が茶々を入れるのだ。
余計酷い状態に陥るのは必至――。
壁1枚隔てた隣室。
防音性能のため、とても静かだ。
そのせいで余計に不安を感じるのは俺だけだろうか。
「……痛ぁい」
痛みを訴える声に、現状を思い出す。
目の前にいるのは蹴られた側の人間。
仁保のドロップキックを受けたらしい右頬に氷嚢を当てて、弱々しい声を上げる。
――前任の書記・弓槻凛。
蹴られたわりには、頬は腫れるどころか赤くすらなっていない。
華奢な見た目に反して頑丈にできているらしい。
「お前が悪いんだろ! 自業自得だ!」
「僕の何が悪いっていうわけぇ? 暴力に訴えるなんて野蛮な……同じ古宮傘下とは思えないなぁ」
「野蛮ってなんだよ!」
弓槻前書記の言葉に、光が噛みつく。
神原と共に音楽室にいた光。
そこで何があったか知らないが、弓槻前書記に敵意を抱いたようだ。
……どんな経緯かは知らないが。
「あぁ嫌味に聞こえちゃった? 同じ古宮傘下の身として意見してるだけなんだよぉ?」
くすり、と笑みを浮かべる弓槻前書記。
傾げて見せたことで、細い首が目立つ。
自分の容姿を理解し、それを利用して味方を増やそうとしている。
計算高い性質を鑑みても、意見しているだけには到底聞こえない。
光も声を荒らげて反論する。
また弓槻前書記が言葉を返すが、悉く光を煽っている。
そしてまた光が−−。
無限に続くループ。
こちらもこちらで厄介な状況だ。
「くぁ……」
噛み殺しきれずにこぼれた欠伸。
口論に熱中する2人に気付かれた様子はない。
ただでさえ忙しいのだ。
生徒会副会長。
モデル業。
そして、家業−−『中山』家の分家としての仕事。
加えて、今回の騒動。
疲労は溜まる一方で、癒す暇がない。
目の前で繰り広げられる口論。
止めなくては、と思っても気力がついていかない。
「ねぇ辻塚くん」
「……何でしょう」
突然話を振られて驚いた。
悟られないように弓槻前書記に応じる。
「辻塚くんもそう思わない?」
「恭輔がマーヤを嫌うわけないだろ!?」
話の流れが分からない。
聞いていなかった俺が悪いのだが。
いつから神原の話になったのか。
仁保についての話だったはずなのだが。
「好き嫌いを訊いてるわけじゃないんだよぉ? 神原真彩くんが書記に適してないって話だよぉ」
「だからっ! マーヤは頑張ってる!!」
「君じゃ話にならない。努力と成果は直結するとは限らない。生徒会の仕事は結果が全てなんだからねぇ?」
確かに生徒会は結果が全てだ。
しかし、この人の口から聞くと、
“努力しなくても結果を残せばいい”
と言ってるように聞こえる。
不思議なものだ。
「辻塚くん、今ってクリスマスパーティーの準備で忙しい時期でしょう?」
「あとは調整くらいです。ご心配なく」
クリスマスパーティー。
鴫川学園で毎年行われる行事。
正式には新生徒会との親睦会と銘打ってある。
10月末の交代式以来初めて、新任の生徒会が表舞台に立つ。
新たな生徒会の力が試される。
――重要な、最初の行事なのだ。
「そんな時期に、同じ生徒会役員が悠長にピアノ弾いてるなんて嫌じゃない?」
「だからっマーヤは!!」
俺の意見を言う間もなく、2人は言葉をぶつけ合う。
弓槻前書記は神原を批判する。
光は神原を庇う。
――口論はいつまでも平行線だ。
「弓槻先輩」
繰り返される内容に聞き飽きて、2人の会話に口を挟んだ。
「結局、何を仰りたいんです?」
まどろっこしい口論は聞くに堪えない。
簡潔で、明白な答えが欲しかった。
「神原真彩くんに、書記は役不足だって言いたいんだよねぇ」
弓槻前書記は、真っ直ぐと俺を見る。
「役不足……」
「辻塚くんは、そう思わない?」
質問形式ではあるが、その瞳は確信している。
自分の意見が正しいと疑わない。
俺が同意することも当然と思っている。
「……確かに、そうですね」
頷いてみせれば、弓槻前書記は愉悦に唇を歪めた。
これまでの神原の業績を鑑みる。
――書記では“役不足”だ。
ある意味、同じ意見だ。
しかし、同じ根拠に基づいているかと訊かれれば、答えは否。
「なっ恭輔!」
光の絶叫にも似た声が響く。
前書記の言葉を否定すると思っていたのだろう。
その顔に、見損なったと書いてある。
……心外だ。
「光、そんな顔しないでくれるかい?」
「だって……なんでだよ! 真彩だって頑張ってる!」
「努力は知ってるよ。とてつもない努力だ」
「だったらっ!」
光は口をぱくぱくと動かした。
しかし、言葉は伴っていない。
感情が空回り、言葉が上手く紡げていない。
そんなところも可愛いな、と俺は目を細めた。
「相浦くんだっけ? あまり口を挟まないでくれる?」
「なんでだよ!?」
「これは生徒会の話なんだ」
「それならアンタだって!」
「僕は前任の書記だもの。君は部外者でしょう?」
勝ち誇ったような顔の弓槻前書記。
悔しげに歯を食い縛る光。
――対照的な表情を見比べ、見ていたいのはやはり光の顔だと実感する。
「ねぇ辻塚くん」
弓槻前書記が、俺のほうに向き直る。
言い負かした優越感に浸ってるようだ。
その表情に、自信が浮かぶ。
「辻塚くんからも、古宮様に進言してくれない?――神原くんを書記から外して、新しい書記を就けるようにって」
問いには答えず、茶を口につけた。
「僕が推薦する子がいるんだよねぇ。成績だって容姿だって見合ってる。もちろん家柄だって神原くんより相応しい!」
口内に広がる茶の味。
すでに冷めてしまっている。
しかも、蒸らし足りなかったようだ。
「来年度の生徒会入りの候補者についても調べたけど、僕の推す子のほうが断然良い!」
これだから自分で淹れた茶は嫌いだ。
飲み続ける気になれず受け皿に戻した。
それでも何故か口寂しい。
美味しい茶が飲みたくなる。
――神原の淹れた茶が。
「ねぇ辻塚くんっ」
笑う弓槻前書記。
強要するように、俺を呼ぶ。
「君も僕に同意してくれているんでしょう? だったら――」
あぁ騒がしいな、と苛々する。
生徒会室の空気を害さないでほしい。
これ以上、関わるのも億劫だ。
「先輩」
「なぁに?」
「何か、思い違いしていませんか?」
「――――え」
「それとも俺が、間違った日本語でも使いましたか?」
光のきょとんとした顔は可愛い。
一方、弓槻前書記の間抜け面は見るに堪えない。
早く消えてくれないかな。
この部屋から。いや学園から。
「本来古宮は、副会長の役に就かせたいと思っていたんですから、神原が書記では役不足なのは当然と言えば当然ですよね」
「何、どうして? どういう――」
「え?“神原の能力や実績に対して書記という役が不足している”という話ではありませんでしたか?」
絶望に彩られた弓槻前書記の顔。
真正面から捉え、微笑んでやった。
そもそもこの人は“役不足”と“役者不足”の意味を取り違えている。
人物の才能に対して与えられた役職が劣っている――。
それが“役不足”だ。
本来の意味。正しい日本語だ。
「この頃、仕事――撮影が多くて、疲労でぼんやりしていたようです。先輩の話を聞き流した部分があるみたいですね、すみません」
わざとらしく欠伸をして見せた。
そして、取ってつけたような謝罪を口にする。
「話の中に、新しい書記という言葉が出てきたような気がするのですが、――古宮と同じく先輩も、神原が副会長に適任だとお思いなのでしょう?」
俺は首を傾げたまま、とぼけてみせた。
「あぁ、でもその流れからすると、俺が副会長の任を解かれるのかな?」
それは困った。
家名に泥を塗ることになってしまう。
−−『中山』家の分家としての家名に。
そう呟けば、前書記は愕然とする。
「違っ! 僕が言いたいのは――」
「おや? 前書記であった先輩が、何か言葉を間違われましたか?」
「どうして!? 辻塚くんは中山家の人間何でしょう? 何処の馬の骨とも知れないのにっ! 神原を名乗らせてもらってる分際と一緒だなんて――」
家名を絶対とする主義者は少なくない。
だが、この人も正式な古宮財閥傘下ではないはずだ。
それに、
「家柄ばかり威張り散らす愚者と一緒にされると思えば……雲泥の差ですよ」
神原の努力も成果も認めるに値する。
足りないのは、自信それだけだ。
家名ばかり声高に叫ぶ有名無実な人間と比べることすら愚かだ。
「神原は、先輩のような言葉の間違いなどしませんから。決して書記として“役者不足”ではありませんよ」
“役不足”と“役者不足”。
言葉の違いさえ分からない人が、生徒会の書記だったとは可笑しなことだ。
それこそ“役者不足”。
「さぁ、お帰り願えますか?」
出口を指し示せば、前書記は肩を怒らせながらも立ち上がる。
「……覚えておくといいよ、僕を怒らせたこと。僕を敵に回したこと」
剣呑とした瞳は、まだ納得していないようだ。
……本当に厄介だな。
仁保の暴走も困りものだが、この人に比べれば扱いが容易い。
――この人がいなければ、もっと楽に生徒会が成り立ったのだから。
「何のことでしょう」
墓穴を掘ったのは、前書記自身。
勝手に恥を掻いたのだ。
検討違いも甚だしい。
「それでは、さようなら」
この人には、退場願いましょう。
生徒会室から。
学園の表舞台から。
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