21

音色の陰(side.秋月)


 聞こえてきたピアノの音色。
 滑らかに、流れるような“それ”。


「これは……、芹澤か?」


 珍しいな、とキイチが呟く。


 芹澤 千歳(せりざわ ちとせ)。
 風紀の、毒舌で知られる副委員長。
 その一方、若手ピアニストとして有望だとか。
 馬鹿馬鹿しー。


「芹澤が、ンな音出せるわけねーだろ」


 芹沢のピアノを1度聞いたことがある。
 譜面に正確な音色だった。
 コンピューターが出す音みてー。
 情緒も何も感じねー音だった。


「音?」


 キイチは、音楽に疎い。
 関心ねーし、才能もねー。


「芹澤のヤローは、機械みてーな音しか出さねー」
「……そうか?」
「んくらい分かれ。この音はもっと――」


 もっと柔らかい。
 穏やかで、何処か寂しさを含む音。


「あぁ、確かに違うようだな」


 上を見ながらキイチは言う
 その視線の先は、音楽室の窓。

 つられて目をやれば、見える姿。
 ピアノに向かう人影。
 遠くからでもはっきり分かる。

 揺れる髪。
 ハニーブロンド。


「…………王子か」


 アイツが弾いてんのなら、納得がいく。
 穏やかな音色であることに。


「そうか、神原もピアニストだったな」


 思い出したように、キイチが呟く。
 俺は、その意味が分からず、眉を寄せた。


「中等部のときに――……あぁ、お前は高等部入学か」


 ガキの頃からの腐れ縁。
 その延長線上で今も共にいる。

 だからかどーかは知らねーが、
 キイチは、俺が高等部からこの学園に来たということを時々忘れてやがる。

 ――中等部の頃の、王子。
 知りてー。
 けど、知りたくねー。
 矛盾した感情が渦を巻く。


「中等部まで神原もピアノコンクールに出場していた。巧かったらしいぞ。芹澤が好敵手として認めていたからな」


 その延長線上で、今も神原を敵対心を抱いているようだが。
 芹沢の毒舌を思い出したようにキイチは苦笑いする。


「…………?」


 芹沢のヤローなんて、どーでもいい。
 気になんのは別のこと。
 キイチの言葉の端々に表れている。
 ――ピアニストとしての王子が、過去形になってることだ。


「おい、キイ――」


 王子はもうピアニストじゃねーのか。
 質問は下校のベルに掻き消された。


「む、いかん。見回りの時間だ」
「は!? おい、」
「特別棟は強姦事件が起きやすいのだ。神原のいる音楽室も例外ではない」


 行くぞ、と引きずられるまま、特別棟の中に足を踏み入れた。


 ***


 下校時間に、空調は自動的に止まる。

 今は12月半ば。
 室内でも暖房がねーとさみーもんだ。
 吐く息さえ白くなってやがる。

 王子の弾くピアノ。
 寒さの中でも演奏は続く。

 ときに弱く、ときに強く。
 柔らかで、寂しさを含む音色。
 流れるように鳴り響く。


「…………あ」


 止まった。

 その瞬間、不安が過ぎる。

 またうずくまってんじゃねーか。
 また貧血起こしてんじゃねーか。
 また倒れてんじゃねーか。

 歩みが速くなっていく。


「秋月、そう急がずとも――」
「ストーップ! 今行っちゃダーメ」


 キイチの言葉を遮る、制止の声。
 同時にぐいっと腕を引かれた。

「――――っ!」


 反射に振り向けば、ニコリと笑うチビがいた。


 仁保 琥珀(にほ こはく)。

 フランス人形を彷彿とさせる容貌。
 だが、人形みてーに大人しい奴じゃねー。

 ――暴走人形。
 そう渾名されるみてーに、破天荒な行動で知られる生徒会会計だ。



「堅物風紀委員チョーに、一匹狼気取りのお二方。ご機嫌麗しゅーぅ?」


 馬鹿馬鹿しい挨拶は、聞き流す。
 相手にするだけ無駄だ。


「無視ひどーい。王子様はお姫様抱っこして医務室まで連れてってあげたくせにー」
「!」


 こいつ、何で……!

 王子が倒れたあの日。
 時間帯も遅く人気はなかった。
 誰とも会うことなく医務室についたはずだ。


「僕の親衛隊の子が見てたのーぉ。だいじょーぶ、ちゃんと箝口令敷いてるからーぁ」


 マーヤンに変な噂立つと困るしねーぇ。

 暴走人形は、無邪気に笑う。
 その裏で何を考えてやがるのか。
 ふざけやがって。

 睨む瞳に力が入る。


「……何のことだ?」


 話についてこれてねーキイチ。
 当惑した表情のまま、首を傾げた。


「今ー、音楽室に近付かないでーって話ーぃ」
「何故だ」
「――キリンが、来てるから」
「キリン?」


 思い浮かんだのは動物園。
 黄色く、首のなげーあの生き物。

「いるじゃーん、この学園にも。首が長くてー折れそうでー気持ち悪ーい“弓槻凛”」


 ……誰だ、それ。

 そう思ったのは俺だけ。
 キイチは顔をしかめて、暴走人形を見下ろした。


「前の書記ではないか。上級生をそのように罵るのは――」
「あーあーあー、うるさいー! 五十部には関係ないのー」
「生徒会の先輩として世話になったのではないか」
「世話ー? キリンのー?」


 馬っ鹿じゃなーぁいの、と暴走人形は笑う。


「仕事はぜーんぶ補佐にやらせてた人にーぃ?」
「…………、」


 生徒会の内部事情。
 んなもん興味ねー。
 知りたくもねー。
 それはキイチも同じ。
 だが、上下関係や礼儀にうるせーキイチが引き下がるわけがねー。

「だがな」
「うーるーさーいー!」


 耳を塞ぎながら喚く暴走人形。
 どう見ても、うるせーのはコイツ。


「五十部たちには関係ないって言ったでしょー?」
「生徒会の事情といっても――」
「生徒会じゃなーい!」


 暴走人形の笑みが消えた。
 見上げてくる瞳に宿る強い意志。
 相対するキイチは、ぐっと息を詰まらせた。


「これは古宮財閥のことだから」


 だから五十部たちには関係ない。


「知ってるでしょー? 僕の父親は古宮財閥の傘下企業の社長。キリンの父親は下請企業の社長なのー」
「だから何だというのだ」
「だーかーらー、いろいろと因縁があるのー」
「私怨ではないか。そもそも、その因縁に神原がどう関係して――」
「あ、出てきた」


 その言葉どおり音楽室の扉が開く。


「それじゃあね。神原、真彩くん」


 出てきたのは、王子じゃねー。
 キリンとかいう奴だ。

 体格から細い。
 特に首は異様に長く細く見えて、気持ちわりー。
 プライドの高そーな顔も気取った態度もいけ好かねー。


「いーい? 今から起こることぜーんぶ古宮財閥のこと。警察一家の五十部には無関係。分かった?」


 返事を聞く前に駆け出す暴走人形。
 キリンとの距離が短くなっていくが、走るスピードは落ちるどころか速くなる。


「おい、ちょ――」


 待て。

 俺の声は届いてねー。
 暴走人形のスピードは増す一方で。


「こーはーくー!」
「え、何」


 ようやく背後から走ってくる存在に気付いたキリン。
 瞳を瞬かせている暇もなく、暴走人形が強く床を蹴りあがった。

 暴走人形。
 その渾名のとおり暴走する。
 つまりは、嫌な予感しかしねー。


「キーック!!」


 威勢のいい掛け声。
 それとともに炸裂するドロップキック。



 キリンの顔面に、命中。



 

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