18
きょうだい(side. 古宮)
初めて逢ったのは、ガキの頃。
――幼稚園児の頃だった。
陽が大きく傾く夕暮れ。
近づく秋の風と残る夏の暑さを感じた日。
俺は、自宅の庭にいて。
コイツは、広い公道の隅にいた。
柵越しの、初対面。
「なに、してるんだ?」
話しかけたのは、俺から。
仕事で忙しい両親。
幼すぎる妹2人。
柵の向こうのコイツは、丁度いい遊び相手に見えた。
「……おうち、」
「うちが、わからないのか?」
俺の問いに、こくり、と頷く。
その瞳は不安げに揺れる。
しかし、涙は浮かべていなかった。
「なまえは?」
「――まあや」
「うえのなまえは?」
「うえ…………」
考え込み、固まってしまった姿。
上の名前も言えないのか、と馬鹿にしていた。
「しま、じゃなくて……おおたに、じゃなくて……」
「じぶんのなまえも、わからないのか?」
脳裏によぎったのは、ある童謡。
迷子の仔猫がコイツ。
俺はさしずめ、犬の警察官だ。
――童謡と違って、コイツは泣いていないんだが。
「あのね、」
「!」
「おおきなおうちになったから、うえのなまえも、かわったの」
「? うちがかわると、なまえもかわるのか?」
「うん、かわるよ」
まだ大人の事情も分からない年齢。
親の離婚や再婚で、苗字が変わるなど知らない幼子の時分。
コイツの言葉を、そのまま捉えていた。
*
『マアちゃん、また倒れちゃったの!?』
『え〜っ!』
電話口から聞こえる甲高い声。
思わず、耳から遠ざけた。
『お兄ちゃんが無理させたんでしょ!』
『ダメでしょ、お兄ちゃん!』
遊び相手にもならないほど幼かった妹2人も中坊になった。
成長するにつれ、口うるさくなった。
俺もアイツも口数は多くない。
それなのに、誰の影響でこうなったのか。
思案して、すぐに諦めた。
時間を浪費するだけだ。
『……時期的におかしい』
『いつもなら休み明け――長期休暇の後だもん』
倒れるのは、休み明け。
長期休暇から学園生活に戻ると、脳貧血を起こす。
休みの間と学園生活。
生活のリズムが変わることが原因だと、医師は言う。
しかし、
『今回は、どうしたの?』
アイツが倒れるのは、心因的なものだ。
そう判断するのは、俺と妹2人。
本人でさえ気づいてないだろう。
家が――家族や親族に会うことが、アイツにとってストレスになっている。
それを告げたことろで、信じる人はいない。
医学に精通するわけでもない。
財閥の後継ぎといっても、アイツと同じ年齢の子どもでしかない。
俺の言葉など、容易に切り捨てられる。
しかし、1番長く隣で、アイツのことを見てきたのは、間違いなく俺だ。
「今回ばかりは何とも」
どうしても、手に入れたい人間ができた。
だからといって、現を抜かしていたつもりはない。
しかし、視野が狭くなっていたのは事実だ。
未だにアイツが倒れる前後の事実すら把握できていない。
置き去りにされたファイルから、倒れた場所は確定した。
だが、誰がアイツを運んだのか。
――事実を知っているはずの保険医も、何を企んでいるのか口を割らないままだ。
『お兄ちゃんのバカー』
『お兄ちゃんのアホー』
「……お前ら、帰ったら覚えてろよ」
2学期も、あとわずか。
生徒会が関わるイベントは、クリスマスパーティー。
そして、終業式。
終えれば、家に帰ることになる。
『帰ってくるなら、マアちゃん連れてきてね』
『連れてこないと、口聞いてあげない!』
「………………分かったよ」
俺と、アイツ。
妹2人は、2人の兄を持ったようなものだった。
それほど、アイツは俺とともにいた。
伴って、妹たちとも一緒にいた。
『マアちゃん、来たら何する?』
『ピアノ! 久しぶりに弾いてほしい!』
クスクスと笑う妹たち。
「ピアノか……」
アイツが唯一胸を張って言える特技。
優れている点は、他にもある。
俺がそう認めている。
しかし、アイツは認めようとしない。
控えめ。
そう言えば、聞こえはいい。
アイツの場合、自己肯定感が低いとも言えた。
*
まもなく帰宅した父が、公道にいたコイツを家に引き入れた。
俺たちの話を聞いて、どこかに連絡を始めた。
「真彩くん」
「! はいっ」
「すぐに、お父さんが来る」
父の言葉を聞いて、コイツは初めて見せた嬉しそうな顔。
まもなくスーツ姿の若い男が現れた。
「すみません、あの子が――」
「お気になさらずとも、うちの息子の遊び相手になってくれていましたよ」
父が対応するのを、扉の隙間から覗き見る。
「あの子は、妻の連れ子でして――」
「それで、奥方は?」
「今月臨月でして、入院を――」
難しい大人同士の会話が続く。
そんな中で、輝いていたコイツの表情は、次第に沈んでいく。
「……おとうさんじゃないよ。ゆうやさんだよ」
小さな声だった。
大人には決して聞こえない声量。
――ポツリ、と溢された言葉だった。
その言葉の意味を知るまでに、数年の月日を要した。
「おいで、真彩くん」
スーツを着た若い男が優しく、コイツを呼ぶ。
「ダメじゃないか、家を抜け出して。心配したんだよ?」
「…………ごめんなさい」
頭を下げるコイツ。
叱るというよりも言い聞かせるような口調の男。
父子と呼ぶには、違和感があった。
線。
もしくは、壁。
2人の間に、見えないそれがあることは、幼い俺にも感じ取れた。
*
久々の兄妹での会話。
内容はほぼアイツのことだった。
『マアちゃん倒れたのなら、空雅からかって遊ぼっ!』
『空雅イジメてあげよっ!』
空雅は、アイツの弟。
アイツの母と義父の子ども。
『神原』を継ぐ正統な子ども。
「…………」
盛大にやれ、と唆すことはしない。
だからといって、止めろと制することもしなかった。
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