15
補填する闇(side.辻塚)
鴫川学園に来たのは、中等部から。
『中山』家の分家の当主候補。
そんなくだらないものが回ってきたからだ。
――分家とはいえ、『中山』の氏(うじ)に相応しい教育を。
そんなことを言われて編入させられた。
半強制的な編入。
俺の意思など介在していない。
しかし、全てがどうでもよかった。
当主候補だろうと。
中山という氏になろうと。
編入させられようと。
――自分自身を含めた全てが。
どうでもいいんだ、と思い込もうとしていた。
期待や願望をもつには、家や血族の力が強大であった。
『初めまして、辻塚恭輔です。よろしくお願いします』
無難な挨拶を終えて、指示された席につく。
席に向かう途中、さまざまな眼差しむけられる。
奇異を見るものもあった。
憧憬を含むものもあった。
――しかし、どうでもよかった。
『古宮、古宮』
『何だよ、うるせぇな』
その声は、決して大きなものではなかった。
しかし、話しているのは、真後ろの席に座る生徒2人。
必然的に聞こえてしまうのだ。
『かっこいいね、辻塚くん』
『お前、あんな顔が好みか?』
『好み? 古宮もかっこいいと思うよ』
『……聞いた俺がバカだった』
会話を聞きながら、2人の容姿を思い出す。
2人とも、整った顔立ちだった気がする。
全てをどうでもいい、と思っているから、おぼろ気にしか記憶していない。
『古宮より人気出るかもね』
『ありえねぇな。俺のほうがかっこいいだろ』
1人は、おっとりとした口調。
もう1人は……相当なな自信家だ。
『うーん……古宮、この頃怖いから』
『は、怖い?』
本人に言っているだけ、怖がっているようには聞こえない。
『眉間に、しわ寄ってる』
『……お前と会話してると疲れるからだ』
こんな金持ち学校に通う連中は、高慢で利己的な人間ばかりだと思っていた。
親しいのだとしても、あまりズケズケとものを言い合う関係が成り立つとは思っていなくて、少しばかり驚いた。
『それよりも、いいか? ソイツが俺より人気が出ることはねぇ』
『う、ん?』
『なぜならソイツは、ナルシストだからだ』
……何を言っているんだ。
平常心を保っているつもりだった。
しかし、頭の中は混乱を窮めていた。
『あんな気取った挨拶する奴は、ナルシストに決まってる』
全てをどうでもいいと、思っていた。
しかし、流石にカチンときた。
誰が、いつ、気取ってなんかいたというんだ。
『そう、なんだ……』
君も納得しないでもらえるかな!
初対面のクラスメイトに怒鳴りつけるわけにもいかない。
必死に、怒りを堪えていた。
『ナルシストに人気が出るわけねぇだろ』
『うーん……』
『ナルシストだぞ?』
何なんだ、その理屈は。
理論として成立していない。
ただの偏見でしかない。
――我慢の限界だった。
『ふざけたこと、言わないでくれるかな』
振り向いて、彼らを真正面から捉えた。
やはり整った顔立ちをしている。
1人は制服を着崩した生徒。
もう1人は校則どおり。
外見だけを見れば、正反対な2人。
しかし、俺をみるポカンとした表情はよく似ていた。
『あ?』
『俺がナルシストとかいう話だよ』
『なんだよ、盗み聞きしてたのかよ。悪趣味なやつ』
『〜〜聞こえてきたんだよ、君達の声は通りがいいから。不可抗力だ』
『あ、えっと……ごめんなさ』
『神原、お前は黙ってろ。ナルシストにナルシストっつって、何が悪い』
『俺はナルシストじゃない』
きっぱりと告げれば、ニヤリと笑われた。
彼は確か、古宮と呼ばれていた生徒だ。
『ふーん、自覚なしかよ』
『だから自覚も何も、俺はナルシストじゃないって言ってるだろ』
『否定するから、自覚なしだっつってんだろ。ナル塚』
……こいつ。
自分かっこいい発言をしていたのは、そっちだろう。
握りしめた拳を、どうにか抑えた。
まだ教室には、担任がいる。
編入初日から暴力――なんて、見聞が悪すぎる。
自分の首を絞める行為だ。
『古宮、ナル塚くんじゃないよ。辻塚くんだよ』
『知ってるに決まってんだろ。こいつがナルシストだから、そう呼んでやってんだろ』
『あぁ。ナルシストの辻塚くんだから、ナル塚くん』
『……君、それ、わざとかい?」
『?』
いちいち解説するように言わなくていいんだよ。
人が必死に怒りを抑えようとしているのに。
それに、
『俺は、ナルシストじゃないって言ってるよね』
引きつった笑みであることは、自覚していた。
それが相手に恐怖を与えることも。
『――――っ、ごめん、古宮。やっぱり古宮は、怖くない』
俺のほうが怖いっていうのか。
それ以前に、俺に対する謝罪はどうした。
俺の思考は、なんら間違ってはないはずだ。
古宮と、神原。
第一印象は、整った顔立ちの2人組。
そして、失礼なやつら。
その印象は、もう抜け落ちたか、と聞かれたら、唸ってしまう。
しかし、友好的な関係を築けているのは確かだ。
ちなみに、あの後、編入してきた俺の話は、異様な速さで広まった。
古宮財閥の後継ぎに、あんな口を聞くなんて。
――俺たちの会話を盗み聞きしていたクラスメイトは、口々にそう言って回ったらしい。
その話を聞いて、俺のことを、勇敢だと囃し立てる人間がいた。
反対に、無知蒙昧だと蔑む人間もいた。
しかし、俺は名家『中山』の血筋。
そのことを知れば、皆、何も言わなくなった。
*
風紀委員会との校則改正についての話し合いを終え、生徒会室に戻る。
室内には、生徒会長――古宮のみ。
書類から目を離し、俺を捉えた。
「はぁ」
「人の顔見て、ため息ついてんだよ」
ずっと書類と向かい合っていたことで、鬱憤が溜まっているらしい。
古宮の機嫌はすこぶる悪い。
「風紀からの嫌みに堪えてきたんだ。ため息くらい、いいだろう?」
生徒の意思と自由を尊重する生徒会。
学校の秩序と品格を遵守する風紀委員会。
それぞれの機関の目的の違いから、衝突することが絶えない。
もちろん、気にくわない、という個人的感情も多少ある。
しかし、それはお互い様だ。
「風紀……五十部か」
「まさか」
風紀委員長、五十部輝一郎。
厳しい視線を向けられた。
しかし、先陣きって毒を吐くようなことはされていない。
そうした愚行を得手とするのは、副委員長のほうだ。
「芹澤だよ」
芹澤 千歳。
風紀委員会副委員長。
辛辣な言葉で、生徒会を批判する筆頭だ。
「神原が倒れたことについて、追及してきた」
殊に、芹澤は神原に対して辛辣だ。
『体調管理もできないとは。そんな人間を重用する生徒会長にも甚だ疑問がありますが。――まぁ、今期の生徒会は馴れ合い集団ですから。致し方ないと言えば、所詮それまで』
話し合いの中、吐き出された言葉の毒。
思い出して、握る拳に力が加わる。
「ちゃんと言い返してきたんだろうな」
「当然だろ」
言い負けるわけにはいかない。
生徒会の副会長として。
それ以前に、俺の――『辻塚恭輔』の矜持として。
「話し合いの資料は、神原が倒れる前に作成したものだったからね」
口頭での説明が苦手な神原。
そんな彼が、書記である理由。
――文章が上手いから。
ただ読みやすい、というだけではない。
説得力、文章構成力ともに兼ね備えている。
今回の資料も、風紀委員に反論1つさせなかった。
――神原の作る資料は、それほど完成度が高い。
「馴れ合い集団と罵る芹澤に、今期生徒会の能力の高さを思い知らせてあげたさ」
俺たちが生徒会役員である理由。
それは、顔がいいからではない。
家柄がいいからではない。
神原が書記をしている理由。
古宮の幼なじみだからではない。
――役職に見合う能力を持ち得ているから。
勘違いしている連中には、思い知らさなくてはいけない。
今期生徒会は、先代までの悪習を引き継いでいないことを――。
「聞かなくても予想はつくが、話し合いの結果はどうだ?」
校則改正についての話し合い。
1つは、携帯電話の使用規制。
もう1つは、補助かばんのデザイン変更。
「もちろん、こちらの意見どおり」
資料は、神原が。
口頭の説明は、俺が。
――風紀委員会に負けるわけがない。
「当然の結果だな」
ふん、と鼻を鳴らす古宮。
相変わらず、高慢だ。
話し合いの報告の後。
クリスマスパーティーの実行委員のところへと出向こうとしていた。
廊下の窓から見える空は、曇天。
古宮が働き出してから、ずっと曇りの日が続いている。
『古宮がサボらないで仕事してたら、気持ち悪いよ』
神原の言葉を思い出して、笑った。
――暗雲の原因は古宮かもしれない。
分家『中山』。
その上に立つ、絶対権力者たる本家。
辻塚は、分家『中山』の分家という存在でしかなかった。
幼い頃から言い聞かされていた言葉。
――決して逆らわぬよう。
――決して背かぬよう。
――本家の意思に、従うよう。
自分自身が、まるで1つの歯車のように思えてならなかった。
『中山』という全て。
それを補うための存在としての、俺。
10を数える頃には、無気力になっていた。
抗う術(すべ)のない、家という存在。
立ちはだかる壁。
越えられない、と理解していた。
だから、無気力になるしかないと思っていた。
何事も、どうでもいい。
そう思い込もうとしていた。
鴫川学園に編入したのは、中等部から。
知り合った、古宮と神原。
2人の、置かれている立場。
家庭環境。
性格、価値観、意思――。
知っていくにつれ、世界が変わった。
分かっていくにつれ、世界が広がった。
いつの頃からか、無気力ではなくなった。
どうでもいい――という思いは消え去っていた。
モデル業に、副会長職も。
自ら能動的に始めたのだから、これは進歩と呼べるだろう。
それでも、
『――お忘れになられますな。全ては本家。あなたは、その一部にも満たぬということを』
闇に、囚われそうになる。
『中山』家の闇の大きさ、深さ。
足掻けば足掻くほど、絡み付く。
抜け出せない闇。
そんな俺の前に現れた、輝く存在。
手を伸ばしたくなるのは、俺だけではないはずだ。
「光」
「あ、恭輔!」
廊下の向こう側から、歩いてきた彼。
呼び止めれば、明るい笑みで答えてくれる。
眩しい輝きだ、と思った。
その輝きに、闇をかき消してほしかった。
しかし実際は、『中山』という家の汚さを白日に曝すだけ。
「光、」
「? どうかしたのか?」
『辻塚』も、『中山』の一端を担う。
目の前の輝きは、眩しすぎる。
――手を伸ばそうとして躊躇ってしまうのは、おそらく心の中に尊大に居座る恐怖心と惨めな矜持によるもの。
「なんでもないよ」
表面を取り繕っていることを、見抜いてほしい気持ちと暴かれたくない感情。
その両方が心の中に巣食ったまま、笑顔を張り付かせた。
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