10

眠りの痕(side.秋月)


 机の上に広がる髪は、艶やかなハニーブロンド。
 規則正しい寝息は、眠りの深さを窺わせた。


 ……ホント、馬鹿じゃねーの。





『資料室から校則改正についてのファイル取ってきてくれ』


 キイチのヤローに連行されて数日。

 風紀の仕事をさせられてる。
 めんどくせー。


 資料室に行くのも、面倒くせー。
 来てみりゃ余計に、面倒くせーことが待っていやがった。


 神原 真彩。
 黄昏王子サマが、寝てやがる。

 調べものの途中だったのか、机の上には分厚いファイル。
 それを枕にして熟睡中だ。


 窓際に置いてある机。
 日が当たって、暖かかったことが予想できる。

 だが、もう日は沈んだ。
 雪の降りそうな12月。
 じきに寒くなることは考えるまでもねー。


「……ったく」


 空調の効かない資料室。

 んなとこで寝るなよ。
 風邪ひくだろーが、バーカ。


「おい、起きろ」


 肩を揺すれば、もそりと頭が動いた。
「んっ……」


 動いただけ。
 起きやしねー。
 だが、頭が横向きになって、顔がよく見えるようになった。
 王子と呼ばれるだけあって、整った容貌だ。

 その容貌を、瞳の下の隈が損なっている。
 数日、授業に来てねーし、生徒会の仕事で忙しいらしい。

 睡眠時間くらい、確保しろよ。


「起きろよ」


 うっすらと瞳を開けた。
 かと思えば、また閉じる。

 寒いのか、もぞりと身体を丸くする。


「起きろって」
「も、ちょっと……」


 何がもうちょっと、だ。

 身体を揺する度に、揺れる髪。
 ハニーブロンド。
 甘ったるそーな色してやがる。

 それに触れてみたくなったのは、ただの気まぐれ。

 表情がよく見えるように、髪をかき揚げてみる。
 サラサラと、指の間をすり抜けた。


「おい、起き……」


 声をかけてやりながら、再度、髪をかき揚げた時だった。
 指先に感じた違和感。

 目をこらしてようやく見えた、それ。
 ――傷痕。

 髪の生え際のあたり。
 うっすらと浮き上がる傷。

 指でなぞるが、痛みは感じていないらしい。
 王子の眠りは、まだ覚めない。

 頭に傷がある人間なんて、珍しいわけじゃねーけど。
 王子サマと呼ばれているヤツに、そんな傷があるなんて。
 誰も想像しねーはずだ。


「ん、……空雅?」


 寝惚けた瞳が、俺を見た。

 誰だよ、空雅って。


「ちが、う……あれ? あきつきだ」


 触れていた髪から手を離す。
 名残惜しいさを感じたのは、気のせいだ。


「あ、れ……?」


 状況が飲み込めていないのか、ゆっくりと周囲を見渡す王子サマ。
 時計を確認して、瞳を見開いた。


「わっ、6時!?」


 どんだけ寝てたんだよ。

 うわー、と慌てる王子の顔。
 特に頬。

 寝ていたときに、ファイルが当たっていたのだろう。
 赤い寝痕がついてやがる。


「だせー寝痕」
「!」


 指摘してやれば、ゴシゴシと頬を擦っていた。
 余計に赤くなってやがる。
 ホント、バカだよな。


「おい」
「ん、なに?」
「空雅って、誰だよ」


 寝起きに呟いた言葉。
 俺を見て、呼んだ名前。


「アキツキ、空雅を知ってるんだ」
「は、知らねーから訊いてんだろ」


 いつにもまして、呆けてやがる。
 寝起きってことが拍車をかけているようだ。


「てめーが、俺見て、空雅っつったんだろ」
「え、いつ?」
「さっきだ! ったく、寝惚けやがって……」


 空雅。
 聞いたことねー名前だ。

 王子サマと呼ばれるわりに、浮いた話のねーヤツだと思っていた。
 だが、やっぱ、会長の幼なじみってか?
 そーゆー相手なんだろ。
 その空雅ってヤツは。

 ――そう考えて、イライラした。


「弟だよ」
「は?」
「空雅は、僕の弟。なんでアキツキを見て、呼んじゃったんだろ」


 呼んじゃったんだろ、って。
 んなこと知るかよ。


「お前、弟なんていたのか?」


 聞いたことねーし。


「今、6年生で――」


 小学生。
 知らねーわけだ。
 弟のことを思い浮かべているのだろう。
 王子は、柔らかく笑ってやがる。


「ブラコン」
「っ……そこまで、ない」


 少し自覚があるんだろう。
 否定する口調はたどたどしい。


 空雅は、弟。
 答えを聞いて、安堵した自分に気付かねーふりをした。






「そういえば、アキツキは何でここに?」


 王子の質問に、資料室に来た目的を思い出す。

 キイチから押しつけられた仕事。
 校則改正のファイルを持っていかなきゃなんねーんだが、

 ……どれだよ。

 膨大な資料ファイル。
 どこに何があるのか分かんねー。


「アキツキも調べもの?」
「あー、めんどくせーけど」


 熟睡できるほど、資料室に入り浸ってやがる王子。
 なら、ファイルの場所も知っているはず。


「校則改正のファイルって何処だ」
「校則……こっち」


 案の定、知っているらしい。
 まだ寝惚けてやがるのか、案内する足取りがおぼつかない。


「ここが、校則関連の棚だけど……」


 導かれた棚には、ファイルがぎっしりと並ぶ。


「改正のヤツは、どれだよ」
「この列、全部」
「は、」


 王子が指差す列には、分厚いファイル10冊ほど。

 何の冗談だ、と言いたかった。
 だが、申し訳なさそうに見上げる視線が、冗談じゃねーことをよく表している。

 これ全部持ってこいってか?
 キイチのヤロー。


「風紀で使うの、だよね?」
「それ以外で何に使うっつーんだ」


 俺個人が使うはずねーことぐらい、分かるだろ。


「ごめん、そうだね。それなら……」


 引き抜いたのは、一冊のファイル。


「これ、何」
「補助かばんについて。自由にしてほしいっていう意見あって」
「よく覚えてんな」
「校則改正の議題は、生徒会側でも話し合うから」


 学校指定の補助かばん。
 ダサすぎて誰も使わおーとしねーヤツだ。

 手渡されたファイルには、過去の補助かばんについての会議の記録が収まっていた。


「あと、」
「まだあんのかよ」
「もうひとつだけ。携帯電話の使用規制についてで――」


 そう言いながら、王子は、元いた場所に戻っていく。


「ごめん、枕にしてた」


 寝ていた机の上。
 置いたままにしていたファイルを差し出してきた。


「……使ってたんじゃねーの」


 枕にするために、持っていたわけじゃねーことくらい分かる。
 生徒会でも話し合うから、使ってたんだろ。
 さっき、自分でそう言ったんだ。


「参考にしたいところは、もう写したから、大丈夫」


 写し終わって、少し休憩するはずだったんだけど、そのまま寝ちゃったんだ。

 そう言って笑う姿は、ホントお人好し。
 ホント、バカみてー。


「……垂らしたりしてねーよな」
「垂らす? 何を?」
「よだれ」


 枕にしていたヤツだから、万が一ってこともある。
 そう思いながら、ファイルの裏表を確認した。


「そんなこと、して、ない!」


 顔を真っ赤にして、言葉を返す王子。
 予想以上の反応だ。

 可笑しくなって、つい、笑った。



「じゃあな、ありがたく借りてく」
「うん」


 王子の瞳の下。
 くっきりと隈がある。


「調べものは終わったんだろ」
「え? あ、僕の?」
「あぁ。てめーもさっさと帰れよ。また、んな場所で寝るつもりか」
「もう居眠りしないよ」


 隈のある顔で言われたところで、説得力に欠ける。


「さっさと帰って、さっさと寝ろ。ぶっ倒れも知らねーからな」


 忠告はした。
 後はホントに、知らねーからな。

 資料室の扉に手をかければ、王子が後ろから呼び止めてきた。


「ありがとう」


 いちいち感謝する必要なんてねーのに。
 ホント、バカみてーにお人好し。


 笑う度に、揺れる髪。
 触れようとする衝動を、どうにか抑え込んだ。



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