09
目まぐる日々(side.真彩)
カリカリと、ペンの動く音だけが室内に響く。
書いても書いても終わらない。
頭に浮かぶ文章。
ペンを動かすスピードが追い付かない。
長時間ペンを持つ手が痛い。
腱鞘炎になりそうだ。
「神原、悪いけど」
時間だから、と辻塚が席を立った。
学内では副会長。
学外ではモデルの仕事と家業の手伝い。
多忙だ。
「うん、お疲れ」
「頑張れって言ってくれないかな。お疲れじゃなくてさ」
今からまた仕事なんだから。
辻塚の顔は、少し疲れて見える。
副会長の職務の後に、モデルの仕事。
疲れるのも当然だ。
それでも、愚痴ひとつ溢さない辻塚は、本当にすごい。
「うん、頑張れ」
「神原には後を任せて悪いけど……あまり頑張り過ぎないように」
僕は応援した。
それなのに、辻塚からは忠告が返ってきた。
「期限の差し迫ったものはないからね。──手出しは無用だよ」
「相変わらず、早いね」
僕とは大違いだ。
「神原は、面倒なものばかり引き受けてるからだよ。まぁ、そのおかげで俺が楽できるんだけど」
意地悪く笑う辻塚。
口ではそう言うけれど辻塚だって変わらない量の仕事をしてる。
学外での仕事もある分、辻塚のほうがハードだ。
「古宮と仁保の分も、手出ししなくていいから」
古宮と、仁保。
2人はいない。
もう1週間以上、生徒会室に来ていない。
サボり癖は以前からあったけど、今はたぶん光くんと一緒にいるのだろう。
その2人の仕事は着実に滞っている。
「でも……」
「溜め込む奴らが悪いんだよ、自業自得」
厳しい言葉。
辻塚だって、光くんに興味がある。
本当は一緒にいたいはず。
それでも、仕事を優先する。
辻塚は、とても大人だから。
自分を上手く制御できている。
「悪いけど、急ぐから」
扉が閉まった。
生徒会室には、僕ひとり。
仕事がいっぱい。
時間と共に、仕事も片付いていく。
僕の割り当ても、期限が近いものはなくなった。
古宮と仁保の机。
山積みにされた書類。
辻塚は、しなくていいと言った。
だけど、そうもいってられない。
先生方や委員会、行事にも支障が出る。
――終わらせなくては。
終わらない。
進まない。
膨大な量の書類。
優先順位を決めるのにも、一苦労。
「あ、」
資料に紛れ込んでいた書類。
風紀委員会に提出しなくてはいけないものだ。
期限は、昨日。
しまった。
急がなくては。
書類を確認しながら、扉を開ける。
すぐに、何かにぶつかった。
「いきなり飛び出てくるのは、感心できんな」
ぶつかったのは、五十部。
書類を渡さなくてはいけない相手。
風紀委員長。
「ご、ごめん」
「ついでに言わせてもらうが、昨日が期限の書類があるはずだが?」
「ごめん。これ……」
ぶつかって。
期限すぎて。
申し訳なくて、顔が上げられない。
「神原が期限に遅れるとは珍しいな」
咎めてはこない。
けれど、少し呆れた声だ。
「ちょっと、忙しくて……」
クリスマスパーティーの案件。
2学期の決算。
修学旅行の日程調整。
卒業式についても、そろそろ話し合わなくてはいけない。
「忙しい、という割に、生徒会室は空っぽのようだが」
五十部は覗き込む。
誰もいない生徒会室。
辻塚は仕事。
けれど、古宮と仁保は……。
返す言葉が見つからなくて、口を接ぐんだ。
「はぁ……」
五十部は、ため息をひとつ。
「神原は、よく――」
「僕?」
「いや……神原は、生徒会長と幼なじみだったな」
「う、ん?」
母さんが再婚して、移り住んだ家。
そこが古宮の家の隣だったから。
「よく、続けられるな」
「続け?……何を?」
「会長の幼なじみを、だ」
五十部が何を言いたいのか、よく分からない。
家が隣になった。
同じ年頃の子どもが、僕達2人だけだった。
それで、小さい頃は一緒に遊んでいて。
だから、僕と古宮は幼馴染み。
「今さらだが、何故あのような輩(やから)が会長なのか、甚だ疑問だ」
生徒会長としての責務。
五十部には、古宮がそれを果たしていないように思えるのだろう。
「古宮は、自分勝手な人間に見えるかもしれないけど」
横暴だし。節操なしだし。
その反面、古宮は完璧主義者。
財閥の嫡男としての重圧が、古宮をそうさせた。
完璧を貫き通すことが、古宮のプライドにもなっている。
その過程での副産物――苦労や苦痛は、片鱗も見せないだろう。
誰にも、いつまでも。
幼馴染みの僕にさえ、もう、見せてはくれない。
「古宮は、優しいよ」
その優しさに、1番甘えているのは、幼馴染みの僕だから。
だから、分かる。
「理解できんな」
きっぱり否定する五十部。
それは仕方ないかもしれない。
五十部は、古宮のことを深くは知らない。
僕も、五十部のこと深くは知らないように。
「仕事する時はするんだよ、古宮」
「裏を返せば、しない時は全くしないのだろう」
う。
そのとおりだ。
言い返しようがない。
「……そんな輩が幼なじみで、嫌じゃないのか」
古宮が、嫌?
そんなこと考えたことすらなかった。
「古宮は古宮だから、嫌じゃないよ」
「…………理解に苦しむ説明だ」
五十部の溢した言葉はもっともだ。
僕は理屈っぽく説明できない。
古宮は、古宮。
その時その時で、嫌だと思うことはあった。
だけど、今までを通して考えれば、古宮が幼なじみで良かったと思うから。
古宮は良い幼なじみ。
「五十部は?」
「俺か? 俺は幼なじみなどいない」
「だって、秋月と」
幼なじみじゃないの?
そう訊こうとした。
だけど、五十部の剣幕にはそれを引っ込める威力があった。
「アイツと幼なじみ? 冗談でも止めてくれ」
冗談のつもりはないのだけれど。
五十部と、秋月。
性格は真逆。
気が合うように見えない。
それなのに仲が良いから、不思議だった。
だから、幼なじみじゃないか、と思ったんだ。
――僕と古宮と同じように。
「同じ空手の道場に通っていただけだ。そのくされ縁でしかない」
腐れ縁。
それが続くのは、不思議。
「口は悪い上に短気で、騒動をよく起こす。目の届くところに置いておけば面倒が少ないと思い、風紀委員に入れたが……」
役割を果たさない。
五十部は、愚痴を溢す。
夏の終わりに、秋月は3年の先輩と乱闘を起こしたことはまだ記憶に新しい。
確かに秋月は口が悪い。
そのせいもあって、秋月を怖いと思っていた。
だけど、
「秋月は、優しいよね」
前に怪我した指。
五十部に分かるように示した。
応急処置をしてくれたのは、秋月。
だから秋月は優しい。
そう考えるのは、単純すぎるだろうか。
「世話焼きではあるな」
「うん、優しいよね」
だから、五十部は秋月を嫌わない。
「……神原はお人好しだろう」
「そう?」
「そうだ。あの程度で優しいと言うのは」
五十部も優しい、と思う。
なんだかんだ言って、秋月のことを心配していることが分かるから。
「そろそろ仕事に戻らねば」
「あ、そうだね」
五十部は、風紀委員長。
きっと僕よりも忙しいだろう。
「書類、本当にごめん」
「いや、ちょうど良い息抜きができた」
期限を過ぎてしまったうえ、取りに来てもらうという徒労を働かせたというのに。
五十部は気にする様子を片鱗も見せなかった。
「五十部も、頑張って」
生徒会の人間が、風紀委員長を応援するのは、何か変な気がする。
でも、今はそれでもいい気がした。
「あぁ神原も…………神原は、頑張り過ぎないようにしたほうがいいと思うぞ」
辻塚もそうだった。
僕は応援したのに。
何故、みんな、僕に忠告してくるんだろう。
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