07
指先の温度(side.神原)
勢いよく開けられた扉。
バンッ、と大きな音が響いた。
「アキ、ツキ……五十部」
振り返れば、2人がいた。
2人が見つめる先。
教室、窓側の奥。
落書きだらけの、光くんの席。
「えっと、あの……これは、」
僕がしたわけじゃない。
けれど、どう伝えればいいのか。
言葉が上手く出てこない。
「誰もてめーが、んなことするとは思っちゃいねーよ」
「親衛隊の仕業だろう」
分かって、くれた。
だけど、親衛隊。
生徒会公認の親衛隊。
だから、その行動の責任は生徒会にもある。
イタズラの責任は、僕にもある。
「ごめん……」
「謝る相手は俺じゃねーだろ。謝るなら、本人に謝りやがれ」
秋月の言葉はそのとおりだ。
光くんに謝らないと。
「うん、ごめん」
「…………チッ」
舌打ち。
思い出すのは昨日のこと。
秋月はまだ、怒っているのだろう。
「おい」
低い声。
まだ、少しだけ恐怖を感じる。
「さっさと片付けるぞ」
「あ……うん」
落書きのひどい机。
僕が運んだそれは、風紀委員が新しいものと取り換えてくれることになった。
五十部が電話でそう指示していた。
残るは、散乱する教科書。
原形を留めているものはほとんどない。
ゴミも混じっている。
無事なものだけを1つ1つ選別する。
「っ!」
指先に走った痛み。
ポタリ、ポタリと血が垂れた。
教科書の間から出てきたカッターの刃。
陰湿だ。
でも、よかった。
光くんが怪我しなくて。
ポタリ、と血が床に落ちた。
「傷は深いのか」
五十部が心配そうに傷口を見る。
「そこまで、ないよ」
「医務室は……まだ開いてないな」
今はまだ早朝。
医務の先生もまだ来てない時間。
「大丈夫。すぐに血止まるから」
そう言って、また血の雫が落ちた。
説得力がないかもしれない。
けれど僕は、絆創膏も何も持っていないから。
「ったく……貸せ」
呆れた口調。
秋月が、僕の腕を掴む。
「アキ、ツキ?」
何をされるのか。
秋月が何をするのか。
思い出すのは、昨日のこと。
掴まれた腕が緊張する。
「黙ってろ」
教卓に置いてあるティッシュ。
秋月はそれを取って、僕の指に巻き付けた。
上からセロテープで固定する。
「ほら、」
終わったと、手を解放された。
「…………すごい」
考えもしなかった。
即席の絆創膏。
「……んくらい誰でもできるだろ。馬鹿じゃねーの」
誰でもできるわけじゃない。
僕は思いつきもしなかった。
それどころか、秋月に何かされるんじゃないかって怖がっていた。
指に巻かれたティッシュ。
空いている手で、なぞる。
痛くない。
再び片付けを始めようと伸ばした手を、五十部に止められた。
「神原は、もう手を出すな」
「え、」
「てめーは見てろ」
秋月にも止められた。
「邪魔、かな……」
片付けのスピードは、遅いかもしれない。
僕なりに頑張っているつもりだけれど。
怪我をしたから、余計に遅くなるかもしれない。
だから、2人にとって邪魔なのかな。
「見てて危なっかしーんだよ」
また怪我されたら堪んねーから。
黙ってみてろ。
そう言われると、反論しようがなかった。
片付けをする2人。
僕だけ、何もしない。
手持ちぶさた。
秋月の片付け方は、少し雑。
なんでも、ごみ箱に放り込んでいく。
その隣で、五十部が丁寧に床を掃いている。
性格も行動も、2人は違う。
けれど何処か息が合っている。
そのことが、とても羨ましく思えた。
片付けを終えた頃。
生徒が徐々に登校してきた。
「そろそろ医務室も開いているだろう」
行ってこい、という五十部の言葉に頷いて、教室を出た。
*
「広幡(ひろはた)先生」
医務室の扉を開く。
薬品の匂いに混じって、煙草の匂いが漂う。
「あぁ、また神原くんか」
また。
この頃は来ていないのに。
煙草の火を消しながら、広幡先生は意地悪そうに笑った。
「今日は怪我です」
「ふぅん。今日は、ね。次来る時は貧血だろうね」
「…………体調はちゃんと気をつけてます」
保健室には常連だった。
よく貧血を起こしていたから。
けれど今は大丈夫。
体調にも、食事にも、気をつけている。
「よろしい。怪我したところ見せて」
左手を差し出す。
秋月にしてもらった即席の絆創膏。
まだ指につけたまま。
取るのは、少し勿体ない気がした。
「よし。あまり深くないから、血が止まったら絆創膏外していいよ」
「はい。ありがとうございました」
「あーはいはい」
礼を言って、頭を下げた。
先生の返事は、少し適当。
いつものことだから気にしない。
「それにしても、」
「?」
「怪我したのに、嬉しそうな顔をしているね」
いつもと違った、指摘。
「…………そう、ですか?」
「そうだよ。自分で気付いていなかった?」
嬉しそう?
言われて、思い付くこと。
秋月。
怒りを向けられて怖かった昨日。
乱暴だけど手当てしてくれた今朝。
「あ……」
「うん?」
「いえ、何でも」
手当てのお礼をまだ、言ってない。
「先生、本当にありがとうございました」
「何度も言うけど、体調には気をつけるんだよ」
「分かってます」
一礼をして、医務室の扉を閉める。
急いで教室に戻ろう。
そして、お礼を言おう。
他の生徒が来る前に、言わないと。
騒ぎにしたくないから。
廊下は、寒い。
窓から伝わる外気が冷たい。
たけど、僕の歩みが早かったのは、寒さのせいだけじゃない。
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