01
週末になる度、兄は私を訪ねてきた。
軽快な足音と共に明るい声で私の名を呼ぶ兄は、いつも眩しいほど輝いて見えた。
『‐‐‐』
敬愛する兄が呼ぶのなら、矮小な私の名さえ宝石のような煌めきを感じさせ、喜びに浸った。
兄が全てだった。
尊敬というよりも崇拝に近く、傾倒して敬愛して盲信して止まなかった。
だって兄は――兄の訪れは、唯一の楽しみだから。
与えられていた部屋は母屋から遠く人気も乏しい。昼間でも薄暗く、閉めきられた障子の桟が牢屋の鉄格子を思い起こさせて怖かった。孤独だった。
そんな恐怖と孤独から救い出してくれるのは、聡明な兄だけだった。
木下闇
‐このしたやみ‐
優しく明るく、そして賢い。
人を見極める目を持ち、人を使うことも上手く、人の思惑や権謀を読み取ることにも長けている。
才能に溢れ、この長い歴史を持つ家の当主となる器もあり、将来を有望視されていた。
――10歳も年齢が離れた兄だった。
それでも、久しく顔を見ない父母よりも慕い、幼いながらも負担にならぬよう従順に振る舞おうとしていた。
『誕生日だな、おめでとう』
その日の兄の笑顔は、今も鮮明に記憶している。
私が生まれてきた日のことを、自分のことのように意気揚々と話す姿を見て、嬉しさと安堵を感じたことも。
それなのに、
『そうだ! ケーキッ』
それなのに――、
『誕生日のケーキ、何が良い?』
それなのに、何故、
覚えていないのだろう。
この問いに私が何と答えたのか。
『苺が好きだもんな、苺のショートケーキがいいか? 苺のタルトでもいいな。けど‐‐‐はチョコも好きだよな。それならチョコレートケーキも捨て難い。いや、うーん』
慈しんでくれたというのに、不出来な弟である私に暖かく接してくれたというのに、――最愛の兄との最期の会話を覚えていない。
これ以上、兄の記憶を持たない私が嫌で嫌で堪らなかった。
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