01

 
 高等部に、桜はない。

 桜の下には骸骨が埋まっている――不吉な都市伝説を嫌った数代前の生徒会長が全て掘り起こして廃棄してしまったらしい。

 噂の真偽を確かめたことはないが、昨年兄貴は確かに言っていた。

 桜はない、と。

 だが、それだけでは終わらない。兄貴の言葉には続きがあった。――それでも高等部の春は鮮やかなものだ、と。



 兄貴の話を、昨年の僕は半信半疑で聞いていた。
 桜のない春の風景が鮮やかなどと想像できなかったからだ。
 桜以外、春を代表する花を知らない教養の乏しさの中で、桜を除いた春の風景を思い浮かる想像力はない。


 今になって分かる。
 確かに、高等部の春は鮮やかだ。

 桜がないことすら感じさせないほど、目の前には色とりどりの花々が咲き誇る。

 百花繚乱――高等部へ進む者にとって、祝福されているような、新しい環境へ期待を沸き起こす原動力になる気がした。


「でもなぁ……」


 僕の置かれる状況は、この一言に尽きる。


「…………情けない」


 今日から高等部に通うっていうのに、Sクラスに入れるっていうのに、総代を任されているっていうのに、――――迷子だなんて。


「はあぁぁぁー」


 零れた溜め息と一緒に力も抜けて、その場に座り込んでしまった。

 建物の外観が中等部と似通っていることに油断した。
 構造や配置も同じだろう、とタカをくくっていたのが悪かった。

 入学式が行われるのは大講堂だと分かっていても、それが何処なのか、そして今の自分の居場所が何処にいるのか分からない。


 目の前にあるのは、
 黄色の花咲く枝垂れた樹木。

 枝をつまんで引っ張り、指を離す。
 元に戻ろうとすり反動で、ぴんっと揺れた枝からは朝露が零れた。


『まったく何をやっている。考えてから行動しろと常日頃から言っているだろう。だからお前は――、』


 兄貴の口癖が、頭によぎる。

 たった1歳違うだけなのに、兄貴の言うことはいつも的を射た正論だ。
 言われる度に自分が惨めで堪らない気持ちが込み上げて苦しくなる。
 なけなしの虚栄心と反抗心で突っぱねるが、その反面では幼稚さを持て余している自分自身に嫌気が差していた。

 分かっている。
 いや、向き合おうとしているんだ。
 ――僕自身と。



「……にうえと、いたのか」
「――――えっ!?」


 不意に聞こえた声に振り向けば、後ろ数歩と離れぬ位置に人がいた。

 迷子の現状で人に遇えることは嬉しい限りだが、不意に交わった視線に――相手の眼の色にドキリとした。

 何も珍しい色ではなく、むしろ、ありふれた色だ。
 それなのに、今まで見た中でもひどく純粋な色をしているようで、吸い込まれそうになる――黒色。

 炭を割ったようというか、鴉の濡れ羽というか――的確な表現が思い付かなくなるほど印象的な。

 しかし僕の驚きは、この人がヘラリと陽気を通り越した脱力感のある笑みを浮かべることで消え失せてしまった。

 ひどく、残念な気がした。


「えっと……?」


 思わず溢れそうになった嘆息を取り繕うように、この人に困惑の表情を向けた。


「あぁ悪い。犬養ジュニアだよな」
「――、はい」


 ジュニア。
 本来なら二世を示す言葉だが、兄をよく知る上級生は常に僕をそう呼んだ。

 僕と兄を呼び分けるために使っているのだろうが、この呼び名は僕を兄の付属品扱いされている気がして嫌いだった。

 兄弟揃った場なら兎も角、今この場にいる“犬養”は僕だけだ。 
 ジュニアをつけないで呼んでほしい、と思いつつも、先輩相手に噛みつくことはできない以上、胸の内で悪態をつくに留めた。


「こんなとこにいたのか」


 その言葉に、肩が揺れる。
 この人――先輩の言い方では、まるで探してくれていたようだ。

 推測ではなく、それが事実であることを知るまでに時間はかからなかった。


 

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