×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


3/3




いつもよりシャワーのお湯を熱くした。頸に当たる湯の束が重く感じる。蒸気が全身をやんわりと包んだ。
ベッドでは、柳蓮二がゆったり寛いでいる。物好きな奴だな、あいつは。自分がバスルームへ行く直前にも、飽きもせずにぬいぐるみを眺めていた。
自分には中学の時の印象しかない。静かで、穏やかで、凛と席に座っていた記憶しかない。座学ではトップを取り続け、傍目から見れば生真面目な奴だったという思い出しかないのだ。それが蓋を開けてみたら意外と可愛い一面があるらしい。大人になって物腰柔らかになったのだろうか。
本来なら再会を喜ぶべきなのだろうが、その再会が突然過ぎてこうやって1人で過ごす時間が必要になった。背後から勢いの良い湯に打たれ続け、髪が前へ垂れていく。頭も体も洗い終わったが、もう少し風呂場で蒸されていたかった。




服を着、髪を拭き、頭にタオルを被せてバスルームを出た。部屋に戻ると、柳は床に放って置かれていたクッションに座り、テーブルを見つめていた。何を見ているのだろうと思ったら、その視線は香水を捉えていることに気付いた。職業柄、この部屋には数多の香水が置かれている。種類は豊富だ、もう廃盤になったものから先週発売されたものまで。ひとつひとつの容量こそ多くはないが、これだけあるとそりゃ物珍しいのだろう。

『何か、気になる香りでもあるか?』

真後ろから話しかけると、彼は緩やかにこちらを向き、そして瓶の1つを手に取ってみた。

「先程お前が使っていたものが気になってな。好みの匂いだったんだ」

『ああ……それか。それはもう現在は廃盤になってるんだけど、良かったらつけてみるか?』

「いいのか?廃盤になったものなのに」

『まあ、別に。……仕事柄、色んな香水知ってもらいたいのもあるけど』

つけてみな、と眉を少し跳ね上げてみると、柳が手に取っていた瓶のキャップを取った。半分ほどの容量であるそれを手首に一度吹き付けた。よみがえるフレッシュな酸味の含む香り、しかしその奥には何事にも動じないような重圧な苦味が感じられる。
柳は瓶を戻しパタパタと手首を振った。そうしてすんすんと鼻を近づける。

「いい香りだ。精神が安らぐような気がする」

『だろ?……廃盤になっちまったのが残念だけどな』

先ほども言ったが、このライムベースの香水はゆずにとってもお気に入り中のお気に入りだ。自分が好いているものが他の人間にも好評だと、それは勿論嬉しいものである。自分でも気がつかないうちに表情が緩んだのだろう、指摘されてから表情筋の弛緩に気付いた。

「お前、そんな顔をするのだな」

『……あ?』

「頬と口が緩み切っていたぞ」

『やめろ、恥ずかしいから』

手の甲で口元を隠した。眉を顰めて視線を外す。隙を見せると、その度にこの男に転がされるのが何だか悔しい。

『……それ、時間が経つと柔らかみが出てくるが同時に苦味も存在する。クールで冷たい雰囲気になるから、何か大きい仕事がある時とかに冷静になるためにつけることもあるな』

「ほう。……なら、こっちの香りはどういった代物だ?」

柳が別の小瓶を見せてきた。それを見るなりゆずは首を振る。

『それはローズの香りが強い。大人の女性が……それもくどい部類のやつが好んでつけるようなやつだ。柳はきっと好みじゃない』

「なら、これは?」

『それはさっきつけたやつよりも大人な印象を持ってるな。最初は結構スパイシーなんだけど、時間が経つと妖艶さが増してくる』

柳はそんなに香水に興味があるのか。時折ムエットに吹き付けて香りながら、ゆずの説明を聞いていた。ゆずはゆずで、これは好きそう、これはダメだ、と瓶を見ただけで容易く仕分けていく。柳はそんな慣れた手つきを見ていた。昨日も店で見たのだが、やはりテキパキとして無駄がない。

「勉強になるな。あまり深くは知らないものだから」

顎に手を当て、“これは好きそう”と並べられた瓶をなぞるように見つめた。きっと全て溌剌とはせず、一定に落ち着いた香りなのだろう。

『気になるのがあったら買いに来るといいよ。少なくとも、ここにあるのは全部私のいる店に揃ってるから』

「ああ、そうさせてもらおう」

また、1番最初に香水をつけた手首を鼻に近づける。ゆずの説明を聞いているうちに少し香りが変わったのだろうか。嗅覚が、冷ややかな落ち着きの中に仄かな甘みを捉える。

ああ……とてもいい香りだ。本当に。

柳の目が少し開く。体の深部からリラックスできるようだった。心臓がゆっくり拍動するのが分かる。これに似たものが欲しいな、と思った。

「霧生……今日は、暇か?」

『え?……ああ、休みだから時間はあるけど』

「なら俺と出かけないか」

『は?』

随分と間抜けな顔を晒したかもしれないと自分でも思うほど、ゆずはポカンと口を開けてしまった。この男は何と言った?さっき帰る帰らないの話をしたのに今度は出かけると言い出すなんて。
と、思っていたらそれを察されたのだろう。くつくつとゆずの様子を面白がりながら目的を言い直した。

「香水を選ぶのに付き合って欲しい。昨日は買いそびれたからな」

一貫して目的は変わらない、とでも言いたいようだった。やはりこの男は私を掌で自在に転がして面白がっている気がする。

『……なんだそんなことかよ。なら、支度をして私の店に行こうか』

ゆずの店に行けば、ここにあるもの以外にも大抵の香水は揃っている。パッと立ち上がると、ドレッサーに向かい合って化粧道具を漁った。化粧下地のチューブを手に取り、中身の少なくなったそれをブンブンと振って手の甲に出す。

『私は化粧するからその間に柳も支度をしてくれ』

「分かった」

化粧は薄い方だが、女性の身支度はそれなりに時間がかかる。柳は枕元に手を伸ばした。ネクタイとピンをその細長い指で掴み取り、慣れた手つきで首元に巻いた。

「終わったぞ」

『早すぎ、待ってくれよ』

ファンデーションを頬に叩き込みながら鏡越しに柳を見る。シャツにスラックスで寝ていたはずだが、その身なりはシャンとしていた。寝癖はないし服に目立った皺もない。何でだろうか。アイシャドウを指で乗せながらたまにチラチラと男の方を見遣った。




支度が終わったのは小1時間ほど経った後だった。ゆずが化粧をし、ヘアアイロンを握っている間、柳は一言も喋らずに待っていた。時折、自分の鞄から取り出したタブレットを弄りながら。
2人、部屋を出て玄関の鍵を閉めた。柳は手に鞄を持ち、ゆずはスマートフォンとカードケースだけを持って駅に向かった。
ゆずの職場は電車に揺られて10分の場所にある。ただ、駅についても電車を降りても、2人は無言だった。特段話すことがないからだろう。ゆずの方は居心地があまり良くないのか、事あるごとに咳払いをしていたが。
そんなこんなで勤務先へと辿り着いた。駅ビルの中、エレベーターを使って店のあるフロアへのぼる。エレベーターを降りて右に曲がり少し歩くと、あまり広くはないが沢山の香水が鎮座したケースが見えた。

『ちょっと、今日のシフト当番に挨拶してくる』

ゆずは足を早め、店の奥でハタキをかけてる男性に声をかけた。男性店員は彼女の方を振り向くと驚いた顔をしていた。

「えっ、霧生さん?今日はお休みじゃ……」

『あー、今日はプライベート。中学の同級生の香水選びに付き合ってる』

「あっ、なんだびっくりした……てっきり9連勤目かと思いました」

『いやいや流石にそれは私でもぶっ壊れるって』

後輩の男性と少し談笑すると、“連れへの香りの説明とかは私がするから君は別の仕事してていいよ”と店の奥を指差した。今日入荷し、明日から販売する予定の香水を整理しなくてはならないことをゆずは知っていた。

『さて、お待たせ柳。あの香水に近いものを選ぼうか』

職場の後輩と話して雰囲気が緩んだゆずは、綻んだ顔で振り返った。その先には少し険しい表情を貼り付けた柳が立っていた。

『柳?』

「……ああ、よろしく頼む」

スッキリ落ち着きのある匂いが好きな柳にとっては、このお店自体の匂いが強いのだろうか?なるべく早く選んでやろうと、ゆずはムエットを手に取った。
家で仕分けて見せたように、熟練の手捌きで瓶を取りムエットを並べ、彼が好みそうなものを厳選していった。ブランド物からお手頃価格まで、香り、質、濃度、値段と、丁寧に説明しながら真剣に眺める柳のアシストをしてやる。
数十分悩み、残り2つのところまで絞れたが、どっちをとるかで柳はまた黙り込んでしまった。中腰でガラス棚の一点を見つめる柳の背後で、ムエットを両手に持ちながらゆずは再度説明をする。

『向かって右にあるのが、シトラスを主軸にしていて甘味のあるものの後味がスッキリしているユニセックスな香り。少し値段は高いが、余韻が長く続くし、くどくなくておすすめの一品。
向かって左にあるのがレモンとイランイランが折り重なる柔らかくてセクシーな香り。右のと比べると値段は安いが濃度がほんの少し薄いな。ラストノートは穏やかだがその奥には官能的な甘味が見え隠れする。
どちらも基本的には柑橘系がベースになっているから、家でつけた香水と似通ってると思うぞ』

香水はそれぞれに良さがある。だから自分が素敵だと思うものに出会うのは中々難しいかもしれない。黙りこくって長考している柳は、森の中で分かれ道を前にしているようなものだろう。
何分経っただろうか。自分達より後に来た客がレジを去っていった後、“ふむ”と折り曲げていた腰を伸ばした。くるりと振り返り、柳は鞄から二つ折りの財布を取り出した。

「どちらも買うことにする」

番号札を2つ、ゆずに見せる。彼女はパチパチと瞬きをした。

『マジか。……いいのか?』

「どちらも俺好みだ。状況に応じて使い分けることにする」

柳の脳裏にゆずの家の香水が過ぎる。気分で香りを変えるというのは悪くなさそうだと思ったのだ。

『そうか、じゃあこれをレジに持って行こう』

「ああ」

柳はゆずの脇を通り過ぎてレジの前に立った。男性店員が番号札を受け取り、店の奥から箱を2つ取ってくる。クリップ式の財布を開き、そこに入っていたカードで支払い、紙袋を受け取って鞄の中にそれをしまった。
ゆずの前に戻ってきて、歩みを止めた。背の高い男の顔を見上げ、首を傾げる。

『どうした?』

「俺の私用に付き合ってくれたこと、感謝する」

『ああ、いいよこのくらい。減るもんじゃない』

ゆずは香水が好きだ。だからこうやって自分の好きなものを知ってもらえるのが嬉しかった。くしゃっと、目が潰れるほどの笑みを浮かべる。薄紅の引かれた唇の奥から、白い歯が覗いた。

『大切に使ってくれよ』

「ああ、ありがとう」

また、柳の目が開いた。その瞳は穏やかなブラウンで、揺らぐことなく見つめ返してくる。
ああ、なんだろうこの人は。不思議な魅力を持つ人だと思った。普段目を瞑ってる変なやつと今までは認識していたが、それは今日で終わるだろう。
ぼうっとしていると、どこからか嘲笑のような短い笑いが耳に届いた。ハッと目を見開くと、目の前の男は既に瞼を閉じていた。

「俺に見とれていたか?」

この男が私を揶揄う兆候が分かった気がする。声色が上がり、口の端が少しだけつっていた。

『ばか、そんなんじゃねーよ。目開けるの珍しいなって思っただけだ』

「そうか、そういうことにしておこう」

『事実だっての』

右手を一振りし、ゆずは踵を返した。用が済んだなら帰るぞと言わんばかりに早足で歩き出した。それを予期していたかのように、柳も一歩踏み出す。

「俺も電車だ」

『そうか』

2人は来た時と同じようにエレベーターに乗り、改札を通り、電車へと乗り込んだ。乗ったのは各駅停車の電車。丁度席が2つ空いていたので、隣同士で腰掛けた。ふとスマホを見るとまだ昼過ぎである。柳と別れたら帰り際に飯でも食って帰ろうと、ゆずは近くのレストランを調べ始めた。

「霧生」

耳元で、テノールの奥深い声が聞こえた。驚いて隣を見ると、そこには柳の顔があった。電車の中で周りに配慮するためとは言え、至近距離で囁かれるのは流石に誰でもドキッとする。しかもこの男は無駄に端正な顔立ちをしているから余計にタチが悪い。

『な、なんだ……?』

「俺はこのまま帰るが、ここで再会したのも何かの縁だ。連絡先を交換しないか」

柳が自分のスマートフォンを見せてくる。透明なケースに入った白い綺麗な端末だった。画面にはゆずも使っているトークアプリのQRコードが映し出されている。

『ああ……別にいいよ』

社会人になって、毎日毎日おんなじような時間を過ごしていたから、たまにはこういうのもアリだろう。柳も言っていたが何かのご縁ってやつだ。そういうのに乗っかるのも悪くない。
インターネットのタブを閉じ、トークアプリを起動させる。柳のスマホの画面を読み込み、友だち登録を申請した。

『ん、できた』

「こちらも、登録した」

柳のアカウントは簡素だった。白い背景とお抹茶のアイコン、名前は柳蓮二とフルネーム。この人らしいな、と思った。
電車のアナウンスが流れた。もう、自分の降りる駅に着くようだ。レストランを調べる時間こそ無くなってしまったが、改札を出てからゆっくり調べればいい。隣の男が降りる駅はまだ先らしいから、1人気ままに過ごそう。
電車が緩やかに減速する。駅のホームに入り、ピタッと停止した。ゆずは立ち上がり、今日初めて柳を見下ろす。

『じゃあな、柳。また今度会うことがあったら』

「ああ、今日はありがとう。またな」

プシューッと空気が噴き出されるような音がしてドアが自動で開く。ひらりと手を振りゆずは電車を降りた。

不思議な日だった。久しぶりに懐かしい気持ちに浸った。中学の夏、日光を浴びた畳の香ばしい香りがよみがえってくるようだった。
柳蓮二、凛と佇む男。
またな、と言っていたということは、香水が尽きかけた時に再び店に来るのだろうか。また、手伝ってくれないかと現れるのだろうか。……悪くはない。たまにはこうやって、仕事や小難しい人間関係に囚われずに過ごすのも悪くない。
しかし、そうなったのは自分の酒の失敗があってからというのに気付いて、ゆずは1人こっそりと反省するのだった。



To be continue








back