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虚構の笑み

※人の死に関する描写有


翌朝。
投稿前の日南は跡部邸で跡部家専属のメイドに髪を梳いて貰っていた。
洗顔した直後だから目はパッチりと覚めてはいるけど、何故か頭の芯はすっきりしない。
目覚めが余りにも強烈過ぎた所為で少しだけ思考が麻痺しているのもあるだろうけど。
目を覚ましたら上半身裸の跡部に抱き付かれて寝てるだなんて、そんなのびっくりする外ない。
もしこの事実を氷帝女子の皆様方に知られでもしたら袋叩きに合うんだろうな、と考えてしまって思わず苦笑が零れた。

髪を梳いてもらった後、すぐに跡部と二人で朝食を頂いて、リムジンで学校まで送迎される。やっぱり、慣れない事だから少し緊張していると跡部が「安心しろ」と、昨日の様に肩をそっと抱かれた。
きっと女子生徒の事で心配してくれているのかもしれない。

「何かあったら俺が守ってやる。だから、背筋真っ直ぐにして胸を張れ」
「……うん」

顔を俯かせた日南に溜息を吐く。

「日南、お前なんでそんなに他人に頼るのを拒む?」
「べ、別に拒んでなんかないと思う、けど」
「妃の奴が心配していた」
「妃ちゃんが?」

不意に出された他の幼馴染の日南を出されて胸がぎゅっと苦しくなる感覚を覚える。

「あいつ、俺の事敵対視してる癖して俺に日南の事ばかり相談してくるからな。忍足にも相談しているみたいだが……」
「侑士君にも?」
「日南、お前なんで日本に来たんだ?」
「え?」

いきなりの話題転換に日南は困惑した。
妃ちゃんの相談事に何か関係あるのかな。そう思って次の言葉を待つけど、跡部は一瞬表情を暗くしてからその唇を震わせた。

「何故アレクシア小母さんは、日本に居ない?」

刹那、思考が止まる。
そして頭の中で急る急ると音を立てて、ドイツでの最後の思い出がフィルムの様に巻き戻されて、再生された。

焦げ付いたにおいに、生温い赤い水。それに、温かくて柔らかい、肉の感触。
忘れようとしても忘れられない、大切な人の苦しそうな、最後の笑顔。
『Ich konnte dich nicht mehr lieben.…Meine kostbare Tochter.』。
どんな声で告げられたかは忘れてしまったけど、耳元で囁かれた言葉を最後に意識を失った事だけは覚えている。次に目覚めた時の事は、殆ど覚えてない。
そういえば日南の記憶がごっそり抜けているのはこの時くらいからだ。
急に体が心から冷えた様な錯覚に陥り、ガタガタと震えていく。胃液が喉までせり上がって来ているのか、喉がひりひりする。
口を両手で抑えて体を前のめりにして低くすると跡部が「日南?」と優しく声を掛けて来る。声の調子からして本気で心配している。
口に溜まった生唾を飲み込むついでに、吐き気も一緒に嚥下してしまおう。少し思考を停止させれば、すぐに良くなる。そう思って、何も考えないように小さく首を横に振った。
上手く生唾を飲み込み、苦しそうにすうっと息を吸う。

その様子を見て跡部は残酷な事をしたという罪悪感と共に「やはりか」と、眉間に皺を寄せた。
アレクシア。日南と眞尋の母で、跡部にとっても大切な人。彼女はもうこの世界の何処にも居ない人物。
実を言えば、昨晩日南が眠りに付いた後風鳥家に、日南の祖父に電話を掛けてその事を聞いた。
アレクシアが死んだから、日南達は日本に渡って来た。
日南はアレクシアが死んだのはずっと自分の所為だとうわ言の様に繰り返してはヒステリーを起こし、精神を徐々に病に蝕ませていったと。
大坂に養子に出したのも、他の事情があったからと言うのが大本だと、そう聞かされたた。
そして今回東京の本家に呼び戻されたのは他でもない、アレクシアの事で呼び戻されたのだ。
社内の空気を換気させて背中をさすってやっている間に、リムジンは氷帝学園の門の前に止まった。
幸いまだ生徒は居ない。居るとすれば校門の前で律儀に跡部の登校を待っていた樺地くらいなものだ。

「日南、大丈夫か。歩けるか」
「へい、き……ちょっと、気分悪いけど」

日南の腕を肩に回し、リムジンから降りる。そしてすぐに日南の体勢が楽になるように横に抱いた。

「樺地!俺は日南を保健室に連れて行く。車から俺達のバッグを持って来い」
「……ウス」

樺地も急にぐったりとしてリムジンから降りて来た日南にびっくりしたのか、跡部の指示にただただ小さく頷くだけだった。


===============


保健室に到着した時には日南の顔色は大分悪くなっていて、気を失っていた。
無理もない。無理矢理トラウマを引き摺る出すような話をしたのだから。
一か八かの賭けだったけど、矢張りあの話を出すのはまだ早かったみたいだ。
正直な話、日南の表情は上手く誤魔化されてはいるけど、虚構で作り上げられた様な張り付いた物の方が多い。
昨日の、四天宝寺の事を聞かせて欲しいと行った時のあの笑顔は本物だったけど、日常生活のあのはにかみ顔は本当の"笑顔"を忘れてしまったから、無理に作り上げているものだと跡部は推測していた。
表情の動きが乏しいというだけで、私生活にもかなりの影響は出る。
日南は意識するよりも先に本能でそれを察知して、無理に表情を貼り付けているのだろう。まだ、中学生と言う誰かの庇護下にいないと生きて行けない年齢なのに。
神様なんてものがいるのなら残酷だ。生まれた時から心臓が弱かったのに、目の前で大切な人を奪わせるだなんて。

「跡部っ!!」
「……妃か」

血相を変えて保健室に飛び込んできた妃は足早に日南が横になるベッドに近付いてくる。
上から顔色を覗き込むと、あまりの顔色の悪さに眉間に皺を寄せた。

「一体何があったの」
「……アレクシア小母さんの事を、聞いた」

途端、妃は瞳孔を大きく開き、顔を俯かせている跡部の胸倉を思い切り掴み、その場に立たせる。
衝撃の所為で跡部が座っていた丸椅子がけたましい音を立てて床に転がる。

「あんた、ひぃちゃんにその話が禁句なの解かってて話したんじゃないでしょうね?」

口から吐き出された声は酷く低く、獣の呻りの様で。
跡部は目を伏せ、静かに、小さく頷いた。

「何でそんな事をした?!」
「解ってる……自分でも軽率な事だとは解ってた。だが」
「だが?何?言い訳でも並べるつもり?これでまた、ひぃちゃんが心を壊したら、あんたどうやって責任を取るつもりなの、跡部」
「……」

妃の尋問に言葉が出ない。
「ずっと傍にいてやるつもりだ」。そう言ったとしても果たして日南がそれを許容しなかったら。跡部の事すら拒むようになったら。
どうして先にその事を考えなかったのだろう。普段の跡部であればそんなミスをしたりはしないのに。
すると、胸倉を掴んでいた手を妃はゆるゆると離す。
顔を俯かせ、肩を小さく震わせていた。

「もし、ひぃちゃんが……日南ちゃんがまた心を壊したりしたら、一生あんたの事怨んでやる」
「そしてくれた方が、俺もありがたい」
「いけしゃあしゃあと……」

最後に一言毒を吐くとブレザーのポケットから携帯電話を取り出して、妃はどこかに電話を掛ける。

「あ、もしもし。風鳥様のご自宅でよろしいですか。はい、お世話になっています九条です。至急氷帝学園まで車をお出し頂けませんか?はい、日南ちゃんの容態芳しくないようで……はい。傍にいます、大丈夫です。はい、はい……ありがとうございます。お爺様にもよろしくお伝え下さい、では」

妃は溜息を吐いて、携帯電話をポケットに仕舞うとフラフラと跡部とは反対方向にある椅子に座って、日南の顔をじっと見詰めた。

「おい」
「この様子じゃ、今日はまともに学校生活なんて送れないでしょ。それなら家に帰して、病院に行かせてあげた方がマシよ」
「……俺がすべき事なのに、済まない」
「良いわよ、別に。……ねぇ、跡部」
「あん?」
「あんたも、人間は人間の死を乗り越えなきゃだめだとかそう思ってるクチの人間?」

少し考えてから、唇を僅かに動かす。
普段から思慮深い事で有名な妃の事だ。多分、今回の件について跡部の行動の動機を知りたいだけなのかもしれない。

「別に、人の死を乗り越えなくちゃいけないとは思ってねぇよ。悲しみなんて人それぞれだ」
「……そう」
「お前は、そういうお前はどうなんだ」
「私は、辛い思いをしてまで乗り越えなくても良いと思ってる。時間が経過したら、いつかは悲しみも薄れて行くだろうから。でも、ひぃちゃんの場合は目の前で、しかも自分の所為だと思っているのが問題でしょ。……この子の所為じゃないのに」

日南の額を優しく撫でながら妃はそう言った。
どうやら、妃も事の委細を日南の祖父から聞いているみたいだ。それも、跡部が知らない所まで。
今しがた妃が口にした「自分の所為だと思っているのが問題」と言うのが少し気に掛った。
何で日南がアレクシアの死を自分の所為と思っているのか。そんな事、今聞ける空気じゃないけど。

「ん……」
「日南?」
「ひぃちゃん」
「まぶし……ここ、どこ?妃ちゃんに、景吾君?」

今まで気を失っていた日南は体を捩りながら、目を手の甲で拭い上半身を起こす。
その様子からして特に精神的にダメージは負っていない様で跡部と妃はホッと胸を撫で下ろした。それでもまだ、顔色は悪いけど。

「此処は保健室。駄目よひぃちゃん、まだ顔色悪いから横になってなさい」
「? うん?でも、何で保健室に」
「済まなかった、日南。お前に聞いちゃ行けない事を俺が聞いたから……」
「え?景吾君と私、何かお話してたっけ?」
「は?」

今、日南はなんと言ったのか。聞き間違いじゃなければ「何かお話してたっけ?」と、そう聞こえた。
日南は頭を抱えながら「ううん、何か頭痛い。昨日大会の後何してたっけ……どうやって学校に来たんだっけ」と呻いている。
昨日は大会の後一緒に跡部邸まで来て、四天宝寺の話をしてもらった。その事も覚えていないようだ。
そう言えば昔何かの本で読んだ事がある。『記憶を失う時は、心が壊れる前。記憶を失う理由は人格を保護する為であるから、心が壊れてからでは保護するべき人格はない』と。
もしかしたら、脳の方がアレクシアの話から逃避しようとして記憶の一部を消したのかもしれない。そうすれば日南の言葉にも合点がいく。
酷く自分勝手で傲慢な考えだろうけど日南が辛い思いを引き摺らせないで済むなら、それで良い。

「景吾君、ごめん。何話してたか覚えてない」
「いや、良い。気にするな」
「……」

眉をハの字に下げる日南に跡部は優しく微笑んだ。
一種の逃避と罪悪感をその胸に抱きながら。


2016/03/21