▼ 闇を有する白昼の事
※狂愛
久し振りに人を殴った。
厳密にいえば破面だから人ではないのだけどそんな事はどうでもいい。
この世界で尤も尊くて、愛しい彼の悪口を言われて感情が急に昂ぶったからだと思う。
手には未だに殴った時の感覚が。耳には「もう止めてくれ」と懇願する声が残っている。
止めてくれ、だなんて言う位なら始めから他人の悪口なんて言わなきゃ良いのに。名前はそう思いながら顔に掛かった返り血を手の甲で拭った。
破面の白い死覇装にも点々と赤い染みが出来ている。
あぁ、この赤い斑模様の死覇装を見たら彼はどんな顔をするだろうか。せっかく汚れのない白い装束だというのに。
(……きたない)
しかし今はそんな事よりも目の前でピクピクと痙攣しながら醜態を曝している破面をどうするかだ。
虚閃で存在そのものを吹き飛ばそうか、それとも大虚の森に放り込んでやろうか……。
敢えての放置、と云う手もあるけれどそれは後々面倒臭いから却下だ。こんな汚物を放置しておくほど無粋で、ズボラでも無いし。
取り敢えず名前はその破面を宮へと引きづり始めた。ずるずると、モノが廊下の床と擦れる音が廊下に響く。
幸い、移動の際に誰にも見つからなかった。
そして名前は、彼が自分に与えられた部屋で連れてきた破面を無言で解体し始める。
勿論、苦しませるようにわざと生かしたまま。
左腕、右腕……。左脚、右脚と四肢を乱暴にもぎ取る。か弱い、非戦闘型の破面とはいえ、自分より低い数字を持つ雑魚程度であれば紙を千切るくらいの力でもぎ取れる。
部屋の中は生臭い血の匂いと、身体を裂くグロテスクな音だけが響く。しかしそんな中で名前は顔色一つ変えずに作業を続けた。
「何をしているんだい?名前」
扉の方から聞こえた柔らかいテノールに名前は作業の手を止め振り返った。
其処に立っていたのは名前を従属官に従えている「主」とも呼べる男で。
「ザエル、アポロ……」
「あぁ、せっかくの衣裳が血で汚れてしまったね」
「うん」
部屋に明かりが灯ったと思ったらザエルアポロは名前のすぐ目の前に立っていた。
そして元々の服の布地の白さが無い、赤く染まった服を見た感想を述べた後はしばらく沈黙が続く。
ザエルアポロは名前が引き摺ってきた、既にただの肉塊と化したそれを一瞥した。
普段はおとなしい彼女をここまで怒らせるだなんて、この破面は一体何をしでかしたのか。普段であれば興味すら湧かない内容だけれど、自分を愛して、尽くしてくれている唯一無二の存在の事だから、ほんの少しでも興味が湧いて訊ねる。
「それで?コレは君に何をしたんだい?」
「悪口言われたから制裁を加えただけだよ」
「……悪口だって?」
そのワードにザエルアポロは眉を潜める。
普段、自分が気分を害している時にどんな罵声を上げても、まるで彫刻の様にアルカイックスマイルを浮かべて耐え忍ぶ彼女が。こんな低脳は同輩に何を言われてそんなに気分を害したのか。
しかし名前は気が抜ける様なヘラヘラした笑顔を浮かべていた。その後、直ぐに刃物の様に鋭く目を光らせたのだけど。
「こいつね、私よりも遥かに数字が低いクセに、ザエルアポロの事悪く言ってたの」
笑みを浮かべたまま「久々に同族に対して怒ったよ」なんて軽口を叩きながら、虫の息である肉塊に近づく。
一歩一歩、ブーツと床がぶつかる音を立てて。
そのままボールを蹴る要領で肉塊を思い切り蹴り上げれば、名前の頬めがけて血の雫が飛ぶ。そして吐き捨てる様に「馬鹿だよね、本当」と吐き捨てた。
そんな名前を見てザエルアポロは唇を三日月に歪ませた。「流石僕の従属官だ」とでも言いたそうに。
既に意味を無くした制裁を止めさせる為に名前を呼ぶと、おとなしくなった名前の頭を優しく撫でる。
「君はいつでも僕を想って行動してくれているんだね。僕は君を従属官に出来て嬉しいよ、名前」
「当たり前だよ。主の為に動くのが従属官だもの」
「フフ……そうかい?」
恍惚の表情を浮かべる名前をザエルアポロは愛しく思った。
それは血で赤く汚れていても同じ事。
軽い力で名前を抱き締めると、名前は気持ちよさそうに目を細め、ザエルアポロに身を委ねる。
でも直ぐに名前は何かを思い出した様に声を上げる。
「あ!あのゴミ片付けなきゃ。部屋も綺麗に片さなきゃいけないし……。ゴミなんか持ち込んでしまってごめんなさい、ザエルアポロ」
眉根を潜めてそう言った名前は先程とは打って変わっていつもの無邪気な名前に戻っていた。
ザエルアポロの悪口を言った破面を殺す。
つまりその行動は一途な想いで盲目であるが故の行動。
そんな彼女を狂おしい程に愛している。
なんなら彼女が制裁を加えたあの破面にだって嫉妬の炎を燃やせられる。
あぁ、僕達は歪んでいて、狂っている。
肉塊を一人で片付ける名前の姿を見てザエルアポロはそう静かに思った。
End.
お題配布元「VIOLENCE.com」