▼ 絶望が四肢に絡みつく
※死ネタ
「う、そ…」
名前はその双眸で確かにそれを見てしまった。
首の無い、今は敵対関係にある幼馴染みの亡骸を。
血溜りに伏しているのは紛れもなく尼子晴久の躯だ。
"どうか見間違いであります様に"。
名前はそう思いながら覚束ない足取りで晴久に近づいた。
そして晴久の横にへたり込むと、切断された首の切り口にそっと指をのばす。
指先に伝わる微かな生暖かさが名前の背筋を一気に凍らせた。
「詮久…さま、詮久さま」
眠りから覚ます様に晴久の躯を揺するが何の返事もない。
その代わりに切断面から真っ赤な血が流れ、名前の周りの月山富田の砂を赤く染めた。
名前はその砂を震える手で一掴みした。そしてゆっくりと掌から落とす。
しかし、晴久の血を吸い水気を得たその砂は未だ名前の掌に留まっている。
掌を裏返し、砂を落とすと名前は嗚咽を零しながら晴久の躯を抱き締めた。
抱き締めた骸はすでに体温すら失せ、冷たくなり始めていた。
何処かに行ってしまった晴久の首----後頭部があったであろう場所を撫でる様に名前は手を動かした。
「詮久さま、痛かった?辛かった?それとも苦しかった?」
震えた声で晴久の昔の名を呼ぶ。
もう何も言わぬ晴久の躯を抱き締める腕に自然と力が籠もる。
放したくない、もう二度と彼から離れたくない。とでも言わんばかりに。
「ねぇ、詮久さま。嘘だって言って…」
晴久の肩口に顔を埋め、名前がそう言えば、急に背後から暖かい何かが覆いかぶさった。
すぐにその正体を確認しようと振り向こうとしたが、耳朶の裏側に柔らかい感触を得て名前は動きを止めた。
「そんなに、"嘘"であって欲しいか?」
耳元で囁かれた声に名前は目を大きく見開いた。
首にゆっくりと腕が絡み付く。
名前は少しだけ体をびくりと震わせ、眼球だけを器用に動かし自分の斜め後ろを確認する。
嫌な汗がじんわりと背を濡らす。
自分の頭が可笑しくなっていなければ、この声は紛れもなく彼の声だ。
そんな事はない、ありえない、ある筈がないとその考えを打ち消そうとしても、現実は無残に名前を裏切る。
「名前…」
「あ…詮久、さま…?」
名前を背後から抱き締めているのは、確かに首が無い筈の敵大将だった。
何故。彼は何故生きている。
何故自分を後ろから抱き締めている?
解らない。全てが、全てが解らない。
絶望の色に染まりきった名前を愛おし気に見つめている晴久は、名前の記憶の中に残っている通りの明るい笑顔で笑っていた。
その笑顔を見た途端にぞわりと恐怖が押し寄せてきた。
晴久はそんな様子を気にせずに首無しの骸を抱き締めている名前の腕を掴み、骸をその手から放させた。
「あ…っ」
「漸く、お前を手に入れる事が出来た…」
「あ…あき、ひさ…」
ブツリ。
名前の言の葉は晴久が口付けた事で途切れた。
晴久は口の中を切っているのか鉄の味がする。
その所為で自然に名前の不快感を感じた。
しかし晴久は名前の口の中を弄ぐる様に味わう。
「ん"…っ、はぁ…」
口が解放され名前は大きく呼吸した。
呼吸を整える際も晴久を睨み付けるが、まったく効果は無かった。
晴久が名前の頭に手を置く。
「名前。お前が安心して尼子に戻ってこれる様に邪魔者はちゃんと排除しとおいた」
「邪魔…者…?」
その一言にぞわりと背筋に冷たい、嫌なモノがほとばしった。
まさか、とは思うが。いいや、それはない。だってあの御方は…。
そう思考を巡らすが、ボトリと砂の上に何かが落ちた音で思考は止まってしまった。
「ちょっとてこずったけど、ちゃんと首級も持ってきた」
笑顔でそう言い切った晴久の言葉通りならば、砂の上に落ちたものは"邪魔者の首級"と云う事だ。
見てはいけない、と脳が警告するが名前は恐る恐る首級を見た。
「っ…!!」
首級を見た途端、胃の中のものが逆流しそうになったが、口を抑えてなんとかそれを押し留める。
しかしそれと同時に涙がボロボロと溢れた。
「元就…様ぁ…」
ずっと使えていた主を見間違う筈が無い。
あの首級首級は間違いなく名前の主・毛利元就の首級。
しかし間違いが無いと云う事は、あの首級が元就の首級であると云う事実になってしまう。
細い指を伸ばし、元就の首級を抱き締め泣き喚く名前を見て晴久は唇を三日月に歪ませた。
お題配布元「VIOLENCE.com」