▼ 星よりも輝くそれは
街の中を歩いていて気が付いたけど、今日はクリスマス・イブだった。
アスタはそれをなんとも思わなかったがただ漠然と雰囲気だけは楽しそうだなと、その雰囲気に合った表情を浮かべる。
尤も人工的ではあるけど悪魔であるアスタにはクリスマスなんて関係がない。寧ろ、神の生誕日だなんて悪魔は嫌悪するべき日だ。
それに彼も、こう言った人間が賑わう場所は嫌いだろう。早く次の街へ出発する為の準備をしなくちゃと、紙袋を腕に抱えて宿泊先のホテルへの帰路を急いだ。
「……こんな所で良いか」
ホテルの部屋でバージルは腕組をしながら悦に浸ったような、満足いったと言う様な表情を浮かべていた。
部屋のテーブルの上には水色のキャンドル。それに真っ白な陶磁器にカラフルなマカロンを山盛りに乗せていて。ケーキは甘過ぎて苦手だが味が多様なマカロンであれば少しは食べられる。見た目もケーキに近くない訳でもない。
それにアスタはこういった菓子類は可愛いといって前から気にしていた。だからマカロンをチョイスした。
昔はこうしてクリスマス・イブには母・エヴァの意向でクリスマスパーティをしていた。だからと言ってクリスマスの準備をしていた訳ではないのだけど、少し位こういう空気に呑まれるのも悪くはない。そう思っただけだ。
そろそろアスタが帰ってくる頃合かと窓の外を見れば、人が行きかう大通りの中で自分と同じ色調の青いコートを身に纏った少女の姿が目に映る。
間違いなくあれはアスタだ。見間違う訳が無い。
バージルはすぐさま、だが慌てる様子もなくいつも通りの冷静な動作でキャンドルに火を点け、部屋の明かりを消し、椅子に座りアスタが部屋に戻ってくるのを静かに待つ。
こうしていると幼い頃に母と弟と共に父の帰りを待っていた時の事を思い出す。ダンテが父の帰りを待てずに騒がしかった事をよく覚えている。
それはもう帰ってはこない遠い遠い記憶。
そしてこれからを歩んでいくのに不要な記憶。
アスタの前でそれを口にしたらきっと彼女は泣きながら怒るのだろうけど。そんな事を思いながらゆっくりと、瞼を閉じる。
すると部屋のドアがゆっくりと開けられた。蝶番の軋む音がする。
「ただいま。……バージル?」
何時もの優しそうな声の後に少しだけ不安そうにバージルの名を呼ぶ声が聞こえて来た。
それはそうだ。彼女が買い出しに行くと言った時に部屋に居るといって残ったのはバージルなのだから。
バージルは「此処だ」と静かに言い放ち、アスタを呼び寄せる。アスタのブーツが木製の床を蹴る音が段々と近づいてくる。
「バージル?」
もう一度アスタはバージルの名を呼ぶ。
アスタが部屋に入ってきた途端、キャンドルの火がアスタの姿を暗闇にぼんやりと映し出した。そして彼女は「わぁ」と感嘆の声を零す。
「綺麗ですね、キャンドルライト」
「たまにはこういう趣向もいいだろう」
アスタに荷物をベッドの上に置き、椅子に座るように指示をする。キャンドルライトの灯りだけを頼りに行動するアスタにバージルは立ち上がって少しだけ手伝ってやった。少し位手伝ってやろうという気が珍しく湧いてきたのだ。
アスタを無事に椅子に座らせると用意していたカップに予め用意していた紅茶を注ぐ。
本当はワインで、と思ったがどうも酒は苦手だ。だと言ってフルーツジュースと言うのも用意が面倒だ。
それに、たかが人界の神≠ニ呼ばれた男の聖誕祭に其処まで乗ってやる事も無い。これはティーパーティーの延長線の様な物だとバージルは考えていた。バージルも椅子に再び座りなおした所で、アスタは興奮したように、でも嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「意外です。バージルもこういう祭事、お好きだったんですね」
「好きでもないが嫌いでも無いな。だが、たまには良いだろう、こう言うのも」
「はい!……少し嬉しいです。私、小さい頃からこういうパーティーとかした事がなくて、だからどういう物なのかなってずっと気になっていたんです」
「……そうか」
パーティーといえばパーティーなのだろうけど、少し違うような気がする。そう言いたかったけれどアスタの嬉しそうな顔を見ていたらそんな言葉も喉の奥で勝手に圧殺されてしまって。
その後の言葉を続けるのが気まずくて紅茶で圧殺された言葉を無理に流し込む。それでもアスタの笑顔は変わらない。
「もしかしたら私が買い出しに行っている間、お一人で全て準備を?」
「あぁ。こんなに喜ばれるとは思いもしていなかったがな」
「だって、嬉しいんですもの」
はにかみながら「キリストの聖誕祭でなければもっと、楽しめたのでしょうが……」と少し残念そうな声で言うからバージルも「そうだな、悪魔である俺達には関係の無い事だ」と慰めるかの様にそう言った。
忘れてはいけない。自分達は力を求め、日々戦っている悪魔だ。だがバージルはアスタに視線を向け、少し気恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。折角向けた視線を瞼で閉ざしながら。
「だが、悪魔がこの流れに乗るというのも良いだろう」
「……そうですね。ふふ、此処を発つ前に思い出を少しでも作れて私、嬉しいです」
アスタも同じように紅茶を飲みながら微笑む。
そうだ、もしかしたらこの笑顔が見たかったのかもしれない。だからこんな全世界で行われている茶番に乗ったのかもしれない。大概、まだ人間らしい部分が残っているんだなと時折思う。アスタと二人きりで居る時は尚更。
しかしこの喜びようならきっともう一つ用意していたサプライズを見せたら彼女は泣き出してしまうのではないかとすら思ってしまう。そう思うと何時も通り眉間に皺が寄ってしまう。更に乗ったピスタチオクリームのマカロンを掴み、口に放り込む。
だが、渡すタイミングはもう今日のこのタイミングしかない。明日になればこの街を発って次の街に移動する予定だから。
「……アスタ」
「?」
「……グローブを外して左手を差し出せ。手の甲を上にしてな」
「左手、ですか?」
アスタは急に指示を出され、困惑しながらも言われた通りに左手を差し出す。
するとバージルは手元に置いていた水色の箱を手に取ると中身を指先で掴むとアスタの手に手を添えてそれを左指にそれを嵌め込んだ。
# name1#の指には白銀の、サファイアの石が埋め込まれた指輪が光る。バージルはその様を少し気恥ずかしそうに眺めていた。
「これは、指輪?」
「プレゼントだ。俺からお前へのな」
「バージルから……」
そうだけ言うとアスタは本当に嬉しそうに、満面の笑みを浮かべて「ふふふ」と笑った。
てっきり泣き出すかと思っていたけど、予想外だ。だが泣かれるよりは良いとバージルも微かに表情を崩す。
「綺麗……。配色も、バージルと同じ」
言われてから気が付くも、出来れば言わないで欲しかった。自分と同じ色調の物を渡していただなんて。まるで自分色に染まれと言っている様なものではないかと。
だが、改めて彼女の格好を見てみたら今更だ。アスタの服は型こそは違うけど、同じ色調だ。
そんな思考を止める様にアスタは何時もの子供の様なあどけない笑みを満開にし、感謝の言葉をその口から告げる。その様は悪魔でも人間でもなく、天使の様な表情だった。
「バージル、ありがとうございます。私、この指輪大切にしますね!」
「! 好きにしろ」
「そうと決まったら次の街で鎖を買わなくちゃ……」
「鎖?」
「このまま指に嵌めていたら血を被って汚れて錆びてしまいますから。バージルの、お母様の形見の様に首に掛けて置けば無くさないし、ずっと身につけていられます」
「っ、鎖も買っておけばよかったな。配慮が足りなかった……」
はにかむようにそう言うとアスタは慌てた様に「い、いえ!そういう意味ではなく!私が勝手に色々言ってしまっているので!!その、」と早口で捲くし立てるがそれが思わず可笑しくてぷっと噴出してしまう。こんな風に人前で笑うのは何時振りだろうか。
アスタも驚いているのか目を丸くし、バージルを見ていた。すぐに「何を見ている」と何時も通りの空気に戻すが。
あの日、父が失踪しないで、母も悪魔に殺されなかったら。弟と離れ離れにならなかったら。自分は安穏とした生活を続けていたのだろうか。
だがそれは今の自分と、アスタとの出会いを否定している様にも思えてきてすぐに払拭する様に小さく首を振った。
「どうかしましたか?」
「……いや、気にするな」
そう言った後に言葉を繋げようとしたが上手く言葉が出てこない。頭の中で何度も何度も浮かべて、その度に殺してきた言葉。
「この先も一緒に居てくれ」。きっと彼女の答えは一つだけだと解かっている。
だからこそバージルはそのまま言葉を紡がず、カップに残っていた紅茶を飲み干した。
2014/12/22