×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
永劫に
時は経ち、大阪城の中はいつもとは違う雰囲気に呑まれていた。
いつぞやかの宴とは違い、慌しいような、でもふんわりと柔らかな。そんな言葉が相応しい。そんな柔らかな言葉はこの豊臣軍には似つかわしくは無いのだけども。
三成はいつも間に纏っている白と藤色の陣羽織を脱ぎ、黒の着物に白の袴を身に纏っていた。そしてそのまま瞼を閉じ、部屋の真ん中に正座で座り何かをじっと待っていた。

「やれ三成。着替えは終わったのか」
「刑部」
「いや、目出度きな。主が千影を娶るとは。いや、仲睦まじき主らの事よ。何時かはこの時が来るというのは解っておった」
「……それ以上の言葉を口にするな」
「あい解った。それでは我は千影の、皎月の元にでも向かうとするか」

その言葉に三成はピクリとこめかみを動かした。吉継はその様を見逃していなかったのか「ヒヒッ」といつもの調子で笑う。
皎月。"皎月"院という法名を千影が貰ったのはこの婚礼に先駆けての事だ。
千影が法名を貰う間、暫くの間は三成は再び千影と顔を合わせる事が出来なかったから吉継の一言に過剰に反応をしてしまう。
尤も、相手が他ならない千影だからであって、他の女であれば「勝手にしろ」の一言で済ますのだろうけど。

「冗談よ、ジョウダン。誰よりも皎月を愛している主より先にあやつの愛らしい姿を目にする訳がなかろ」
「貴様の冗談はいつも冗談には聞こえん」

三成は肩の力を抜くと溜息を吐いた。
通常の大名の婚礼と違う様式で婚礼を挙げる事になったと聞いた時は面倒な事この上ないと思った。でも、秀吉も特に半兵衛もすっかりその気になってしまっており、婚礼の儀が不要だなんて事は口に出来なかった。尤も、口に出来たとしても半兵衛に物凄い剣幕で「君達は夫婦になるんだから確りと婚礼の儀を執り行わないといけないよ」と言われるのが目に見えていたのだけど。
自分にも千影にも、生家など無いから通常の大名の婚礼方法などが適応されない事位解ってはいた。でも、その話を聞いた時の千影の仕草と表情を見てしまえば婚礼の儀を行わない訳には行かなかった。
だが、これで良いのか。三成は胸中ではそう思っていた。
確かに千影の事は愛している。それは既に認めた事だし、彼女本人にも伝え気持ち事だ。
しかし、親の愛情など知らないまま親戚に謗られ、暴虐の限りを尽くされた自分が所帯など持っても構わないのか。
秀吉の為にこの命を、この身を凌ぎ削ると誓ったのではないのか。

「……刑部」
「何だ」
「私は、千影を娶っても良いのか。それだけの資格はあるのか」
「主が恐れ慄くとは珍しき事よ。阿修羅の姫を娶る事に今更恐れを抱いておるのか?」
「千影が何者であろうと関係は無いといっているだろう。何度も言わせるな。ただ、私は恐ろしい」

両膝の上に置いた、掌を天に向ける。
血色の悪い掌を見つめ、三成は珍しく声を震わせた。

「私は千影を、千影に幸福を与え、傷付けずに愛する事が出来るのか……?」

最初は疎ましいと思っていた。身分も何も解らない小娘如きが豊臣の軍師である竹中半兵衛の傍に置かれ、寵愛されている事が。あの能天気で何も考えて居なさそうな、影など抱えて居なさそうな明るい笑顔が。
でも、千影がただ能天気に笑っているだけではない事を知り、三成は段々と彼女を好いていった。
あの笑顔を守りたい。そう思い初めてから全ては始まった様な気がする。
でも、人の愛し方など知らない自分が千影の笑顔を、彼女自身を守り、幸せに出来るなど到底思って居なかった。紛れも無く三成であるのに三成に見えない男に吉継は微かに溜息の様な呼吸を吐いた。

「悩め、ナヤメ。主はこれからもっと悩む事になるであろ」

恐らくは別室に控えている千影も同じ様に三成の事で悩んでいるだろうから。
その千影も用意された部屋で白無垢に着替え、鏡台の前にぽつんと座っていた。
「暫く一人になりたい」。我儘だと解りながらもそう言って侍女達には下がってもらった。
小さな手には三成から貰った髪飾り。その髪飾りを見つめながら、千影は憂いた表情で顔を俯かせていた。

「千影君、入っても良いかい?」
「……半兵衛様」

九枚笹の家紋が入った正装に着替えた半兵衛が部屋に訪れる。千影は慌てて取り繕うように笑顔を浮かべて迎えた。

「すまないね、侍女達から人払いをされている事は聞いたんだけど少しだけでも話がしたくてね」
「構いません。きっとこの先、半兵衛様とお話する機会が減ってしまいそうだと思いますので」
「……そうだね。三成君の事だからきっと過保護に君を大切にするだろうからね」
「ふふ、三成は私を閉じ込めたりしませんよ。自由は、ほんの少しでも与えてくれる人だって解っていますから」

ほんのりと頬を色付かせて自分が知っている"石田三成"と言う人間がどういう人物か、ものの一欠片を語る。
半兵衛の方が三成と共に過ごした時間が長いというのは重々承知している。だけども、半兵衛が知っている三成と千影が知っている三成は若干差異がある。彼は自分の本当の地を滅多に半兵衛や秀吉には見せなかったから。
でも千影はそれを知っている。三成が本当は寂しがり屋だという事も。だから千影が嫌がるような、特に行動の制限はしないという事は良く解っていた。何かと制限して嫌われるだなんて道はきっと選びはしないだろう、と。
そんな千影を見て半兵衛は嬉しそうに、楽しそうに、でも寂しそうに口元を緩ませた。
実の妹の様に可愛がっていた千影が幾ら半兵衛が信頼を置いているとは言え三成に、他の男の下へ嫁ぐのは思いの他、寂しい。
でも、千影がそれを喜んでいるのであれば、それで幸せになれるのであれば半兵衛はそれで良いと思っている。

「君は本心から三成君を愛しているんだね」
「……はい。ねぇ、半兵衛様。私思うんです」
「何をだい?」
「私は三成が居てくれたから"宇多 千影"という一人の人間で居られたんだと。きっと三成がいなければ私は皆が望むまま"阿修羅姫"としてこの豊臣の為に力を奮っていたでしょう」
「……」

半兵衛は三成から聞かされていた。一部の人間から千影が阿修羅姫だといわれている噂を。
彼女が記憶を失う前の存在が阿修羅姫だという事実は千影に教えないままで居ようと秀吉にも、三成にも吉継達にも告げていたけど、千影は知らず知らずの内に察しているのかもしれない。自分の驚異的で、強大な闇の力を。
すると千影は鏡台の下に隠していた、秀吉から賜った小太刀を引き出し、そして頭を垂れてから半兵衛に差し出した。

「千影君?」
「半兵衛様。秀吉様より賜りましたこの小太刀、貴方様に是非に受け取っていただきたく存じます」
「……。それは出来ない」
「何故」
「それは君の未来を守る守り刀だ。だからそれは君が持っているんだ、千影君」

「君と三成君の為に」。そう告げて半兵衛は千影の手に触れ、その旨に小太刀を抱かせた。
元々千影の小太刀は、千影が阿修羅姫の名を持っていた時に使っていた刀身が赤く光っていた長太刀の刃を鍛え上げたものなのだから。

「竹中様、千影様。そろそろお時間が……」
「もうそんな時間か。さぁ千影君、行こうか。三成君が君の事を待っているよ」
「はい、半兵衛様」

差し伸べられた半兵衛の手を取り、立ち上がる。
きっともう、二度とこうして半兵衛の手を取る事はないのだろう。そう思えば千影も寂しい気がする。血が繋がっていないとは言え、千影も半兵衛を心密かに実の兄として慕っていたのだから。

「半兵衛様、一度だけご無礼を承知で呼ばせていただきたい名があるのです」
「何だい?言ってご覧」
「貴方様を、兄様と呼ばせてください。たった一度でかまいませんので」
「……馬鹿だね、君は。今日くらい、僕の事を本当の兄だと思っている胸を表に出して構わないのに」


===============


婚礼の儀も滞りなく終了を迎えた三成と千影は秀吉と半兵衛に連れられてある場所へ向かっていた。
その場所と言うのは三成達には何も伝えられておらず、ただ一言秀吉に「連いて来い」と言われたから従っているだけなのだけど。

「三成、秀吉様は一体私達を何処に連れて行かれるのかしら」
「知らん。だがこの方角は、近江の方角だ」
「近江?」

近江と言えば浅井京極軍が領地を収めていた筈だ。確かに、確かに秀吉の納める城と領地も幾つかあるけど。
もしかしたら左遷されるのではないかと悪い方向に考えてしまう。結納を収めて早々秀吉から遠ざけられたとなれば三成に申し訳が立たなくなる。幾ら近江と大坂が近いとは言えどもだ。

「……また貴様は下らぬ事を考えているな」
「下らない事なんて考えていません」
「ならばその憂いた顔を止めろ。私は貴様の曇り顔など見たくはない」
「……そう、ですね。今日くらい表情を翳らせないようにする。三成の奥になれた日なのだから」

笑みを浮かべて三成にそう言うと三成は顔を背け、馬の速度を少しだけ速めた。
「あ」と千影は声を零すも、馬の速度は変えず少し遠ざかる三成の細い背を眺めて先程とは違う性質の笑みを浮かべた。
全くもって素直じゃない。本来の三成のありのままを知っていたら、万物様々な物に対して素直な三成と言うのは存在するだけ不気味ではあるけど。
でも、三成も今日くらいは素直になってくれれば良いのにと少しだけ落胆の表情を浮かべそうになってしまう。つい先程三成に「表情を翳らせるな」と言われたばかりだから笑みを浮かべたままで居るけど。
千影が知りうる限り、三成が素直になったは千影に思慕の情、胸の内の想いを告げたあの時だけだ。

「皎月、難しい顔をしてどうしやった」
「刑部。……三成を素直にさせるにはどうしたものかと考えていたの」
「ふむ、あやつを素直にさせるなど主であればお茶の子さいさいであろうに。何を悩む」
「素直に出来ないから困っているのに」
「三成、あれは主が思っているよりも主に対してよっぽど素直に思いの丈を表していると思うがなァ」

吉継がそう言うと千影は首を傾げて「そうは見えないけど……?」と言葉を返す。
事実、千影は知らない事ではあるけど吉継はよく三成に千影の事を相談されていた。
千影にどうしたら気持ちを伝えられるか、どうすれば笑顔を浮かばせてやる事が出来るか。そんな事ばかりを三成が千影への慕情に気が付いた此処数ヶ月間、ずっと毎日の様に相談されてきた。
そしてそれはきっとこれからもそうであるだろう。吉継は秀吉が三成と千影を何処に連れて行くかを知っているのだから。そしてその場で何をすべきか。其処までの指示を事前に与えられている。

すると先頭の秀吉が馬を止めたのか、千影達も走らせ続けていた馬を止める。
目の前には闇色の戸に黄金で描かれた華をあしらった綺麗な、でも荘厳な門が聳え立っていた。その奥には大きな城が建っている。

「秀吉様、もしや此処は……?」
「我の所有の城の一つよ」

「名を"佐和山城"と言う」。秀吉の一言に三成も千影も息を呑んだ。
しかし、秀吉様は何故この佐和山城まで自分達を連れてきたのだろう。千影はそれを疑問に思いながら秀吉の大きな背を見つめていた。
三成も千影と同じ様に敬愛する主の横顔をじっと見上げ、見つめていた。

「三成、千影。今日からお前達はこの城に住まえ」
「秀吉、様?それは一体どういう……」
「うむ。お前もそろそろ城を持つ頃合かと思ってな」
「!」
「!」

三成と千影は秀吉の言葉に目を見開いた。
その言葉は紛れも無く、三成にこの城を手渡すという意味で。三成は背後に居る千影の方を見て「貴様も今の言葉を聴いたのか」といった感じに秀吉の言葉を確認する。千影はその視線に二、三回頷くと小幅で三成に駆け寄った。

「明日にでも家財道具の搬入を進める」
「この城にも元々家財道具は置いてあるから今日から生活は出来るよ。今日からこの佐和山城が君達の居城だ」
「確りと守り、今まで通り我を支えよ」

秀吉の言葉に三成と千影はその場に方膝を着いてしゃがむ。そして深く頭を下げた。

「畏れ多くも秀吉様より賜りし、この佐和山城。この石田三成めがしかと守り存じ上げます!」


その後、秀吉達は先に大阪城に戻り、三成や吉継、千影をはじめとする面々は門を潜り城の中へ入城する。
城の中もつい先程まで人が住んでいたのかと聞きたい位に綺麗に手入れをされていた。きっと城の内部に関しては半兵衛があれやこれやと手を回していたのかもしれない。

「千影」

背後から声を掛けられ千影は振り返る。
その場にはつい先程夫となった愛しい男が立っていた。

「三成……。おめでとう」
「な、何だいきなり」
「これで貴方も一国の主でしょう?」
「だが秀吉様の元から離れてしまった」
「確かに物理的な距離は離れてしまった。でも、考え方を変えて見て?秀吉様がこの城を貴方に任せたのは、この近江の事を貴方に一任したからでしょ?それって秀吉様に期待されているって事じゃないかな」
「!」

千影の言葉に考えを改めた三成は少しだけ切れ長の細い目を見開き、でもすぐにフッと千影にだけ見せるように笑みを浮かべた。
千影は三成に駆け寄ると「貴方もそんな風に笑えるんだね」とにこやかに笑いかける。それが気恥ずかしかったのか三成はすぐにいつもの仏頂面に戻ってしまったが。

「私も貴様のように、少し視野を広げた方が良いのかも知れないな」
「そうだね。でも、私は今のままの三成で良いと思うよ」
「何故だ」
「だって、三成が視野を広げてしまったら私なんてすぐに忘れ去られてしまいそうだもの。だって貴方は誰よりも秀吉様に、豊臣に傾倒しているんだから」
「……誰が貴様の事を忘れるものか」

三成の腕がゆっくりと千影の腕に伸びてくる。
そして、くんっと腕を引かれるとそのまま体重も重力も何も存在しないかの様に三成の腕の中に綺麗に納まった。
こうして三成の腕に抱かれるのは何回目だろうか。
その度に胸の鼓動が高揚して時めくのを感じていたが、今の高揚は今までのそれとは比べ物にならない。

「私はきっとこの先これから何があっても貴様の事を忘れやしないし、手放しもしない」
「え?」
「……私の許可無く勝手に死ぬ事は許さん。死んだその時は貴様の骸を引き摺り、誰の目にも止まらぬ場所に葬り去ってやる。私しか知らない、深淵の更に奥に……」

抱き締められる力が強くなる。相も変わらず三成の体は冷たいけど、想いの温かさは確りと千影の体にも心にも伝わっていた。
千影は顔を上げると柔らかに、三成を心の底から愛おしいと思いながら笑みを浮かべる。

「私の命は此れより貴方に預けたも同じ事。だから、ずっと……永劫に貴方の傍に居させて下さい」
「あぁ。言われる事もなく許可してやる」

視界がそっと三成の手で覆われる。
そして三成は上半身を少しだけ前のめりに体を屈めると千影に唇に軽く触れた。
それが終わると千影の目を覆っていた手を退けて顔を背ける。

「……三成?今何を……」
「何も聞くな」

明らかに照れている三成を見て何をされたかを察して千影は頬を染め、着物の袖で口元を隠しクスクスと笑む。
この人に出会えて、こんなにも好きになれた事が嬉しい。そしてこの先、そう思わせてくれた人と共に時間を過ごし、傍に身を置けると言う事実に至福を感じていた。

「千影、貴様に出会え私は何か変われたのかもしれない。礼を言う」
「御礼なんて必要ないわ、貴方の傍に居られるなら……」
「フン」


END


2014/07/06