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誰そ彼は悪夢なのか
暇になった千影は自分自身に不気味さを感じていたけど、急速的に襲ってきた睡魔に大人しく目蓋を閉じて眠りについていた。
暇であれば眠れば良い。眠ってしまえば、何も思考し無くて済む。
以前、何処で誰に言われたか忘れてしまったけど、そんな事を言われた覚えがある。これも恐らくは消え去ってしまった記憶の中での言葉なのかも知れない。
千影の目蓋の裏には紫の、袖の無い戦装束を着た少年が其処に居た。でもその顔は影に覆われて見えない。
一体この子は何処の子で、何と言う名前なのだろうか。少なくとも豊臣軍内ではこんな子供の姿など見た事は無いけど。

「あの、貴方は?」
「は?何言ってんだよお前。って言うか、相変わらず辛気臭い顔してんなよな!」

子供は無邪気に千影の手を取り、「なーなー、早くあっち行こうよ。一緒に金平糖食べるって約束したろ?」と、これまた無邪気な声音で語りかける。
金平糖とは、あの南蛮菓子の金平糖か。そう問えば子供は「あったり前だろ!ご褒美は何時も金平糖じゃんか」と、さも当たり前ですと言った口調で返す。

「本当千影って抜けてるよなー。戦の時は何時も鬼みてぇに強いのに。何だっけ、阿修羅姫?だっけ。そう呼ばれてんじゃん」
「……阿修羅、姫?」

何だその仰々しい呼び名は。自分の顔を見なくても解る位に、相当訝しげな顔をしているだろう。
そんな千影の顔を見て子供も「何だよ、その顔ー」と言っている。

「ねぇ、  」

不意に子供の名前を呼ぶ。この子の事なんて知らない筈なのに、名前を覚えている気がして。
でも、彼の名前であろう言葉を口にしてもその言葉は砂嵐の中に掻き消された様に、音を失った。
その様子をみた子供は悲しそうに眉を寄せる。

「やっぱり、忘れちまったんだな。  達の事」

そう言った声すらも、悲しそうだった。
そして、彼の背後には千影の姿を哀れみながら見つめる者や興味なさそうに見つめる者。存在そのものをつまらなさそうに見つめる者。その人たちの影を見た千影はその場に自主的に膝を付き、頭を垂れる。
意識が、視界が朧に霞み始める。
そして、急に頭の中がぼんやりと靄が掛かって思っても居ない言葉が口を裂いて吐かれる。

「  様。千影、只今参上仕りました。ご命令を……」


其処で名前は目をかっぴらき、飛び上がる様に体を起こした。
今の夢は一体なんだったのだろう。体が汗ばんでいるから悪夢の類かと思ったが、やけに懐かしい感じもした。
あの人達は自分の過去を知っている人達なのだろうか。そう思うと途端に会いたくなって仕方がない。
でも、その反面思い出すのが怖った。
三成が城下町に連れて行ってくれた時に返した言葉は嘘ではない。今の、この豊臣で過ごしている間の記憶も千影にとっては大切で尊い物。拠所が無い千影にとっては此処だけが唯一の居場所。
過去を思い出したりしたら此処に居れなくなってしまいそうで、今の記憶が無くなってしまいそうで怖い。
千影は今度は壁際に寄って、壁に背を預ける様に座った。そして部屋の中を見回すと、すぐ近くにあった文机の上にある黒い鞘の小太刀が目に映る。そしてそれに無意識の内に手を伸ばすと手に取った小太刀に愛しむかの様な視線を向けた。

「そういえば、お前は私がこの豊臣に忠誠を誓った時に秀吉様から賜った小太刀だったね」

鞘を優しい手つきで撫で、柄に手を掛ける。
しかし、そのまま刀身を外に見せる様な事はしなかった。この小太刀を自らの手で鞘から抜いてはいけない。何故かそんな気がして。
そんな時、廊下の外に人影が写りこんだのを確認した。見張りの人間ではないのは明らかだ。
何故なら、新たに映り込んだ影は千影が良く知る者の影だったから。
急いで小太刀を机の上に戻すと、置き終わったと同時に千影の部屋の障子が開いて何時もの外の風景が映り込んだ。
白髪の、美しい青年と共に。

「夕餉を持ってきたよ、千影君」
「半兵衛様」

半兵衛の合図で女中達が二人分の膳を名前の部屋に運び込む。
それを不自然に思って見ていたら半兵衛は察したのか、「今日は僕も此処で食事を取るよ」とはにかみながらそう言った。
そして半兵衛は千影の目の前まで来て、優しく頭を撫でる。

「すまないね。君が訳も解らない内に他の人間から遠ざけて。退屈ではなかったかい?」
「……いいえ。今まで眠っていましたから」
「そうかい」

そう言った半兵衛は悲しそうな顔をしていた。
何故そんな顔をするのか。千影には理解に及ばなかったが、取り敢えず大切な事なのだろうと、昼間の半兵衛をみて納得するようにした。
後で、夢の中に出てきた単語の色々も聞いてみようと思いながら。


半兵衛と千影は膳を向かい合う様に並べ、黙々と食事を取っていた。
相も変わらず、食事をとる姿すら美しい。そう思いながら千影も魚に箸をつける。

「半兵衛様。私は何時までこの部屋に居れば良いのでしょう」
「言っただろう、暫くの間だと。君はむやみやたらに外の世界を知りたがる。まぁ、それが悪い事だとは僕は思えないけどね」
「……昼の、あの松永という方と邂逅してから半兵衛様は可笑しいです」

そう言うと半兵衛は箸を静かに膳の上に置いた。そして、味噌汁を啜る。
その椀すらも膳台に置くと、何事もなかったかの様に食事を続ける千影をじっと見つめた。
急に微笑みかけられ千影はびくりと肩を萎縮させる。まるで半兵衛が怒っているときの様な、そんな空気を醸し出しているから。

「君の態度も少し可笑しいよ、千影君。矢張り、松永君から何かを聞かされたのかい?」
「あの方とは少しお話しをしただけです。往来で少し三成と言い合いになってしまってその場面を見ていらっしゃったらしくて。その後一人で右往左往してる私を見付たから声を掛けた、と。私は優しい方だと思いました」
「君は色々と騙されやすい子だね」
「? そうでしょうか。でも……」

千影も箸を膳の上に置くと目を伏せた。
今でも松永と話していた間の嫌な感じが残っている。
恐らく、さっき見たあの夢も松永に会った事で何かが引き金になっているのかもしれない。だとしたら松永は自分に何か縁があった人間なのか。
でも千影はもう松永に会いたいとは微塵も思わなかった。彼には言葉に出来ないおぞましさがある。
それに半兵衛が此処まで警戒をしている人間だから、きっと何かをやらかしているに違いないとそう思う。

「でも、どうかしたのかい?」
「あの人は、怖いです。話をしている間、ずっと動悸が止まりませんでした」
「彼は"乱世の梟雄"と呼ばれるような人だ。その隠し切れない悪意に君は無意識な内に警戒したんだろう」
「……そうなのでしょうか」

別に半兵衛の言葉を疑う訳ではないが、無意識に警戒をしたとは何だか違うような気がした。
しかし、これ以上松永に関しての話題は避けた方が良いかもしれない。松永の話題を出すと半兵衛の表情は怒りの色を滲ませる。その表情は千影にとって見るに耐えない物であった。
まるで怒りに囚われた悲しい人形の様で。

「まぁ、君の様子が可笑しかったのは今朝からずっと、だけどね」
「!!」
「大丈夫だよ、何があっても君は守る。必要な豊臣の戦力だからね。簡単に削ぐ事は利口ではない」
「あ、ありがとうございます」

普通であれば、臣下は主に為に戦うものだ。
でも半兵衛がそうすると云うのであれば、そうしてもらった方がいいのかもしれない。何故なら半兵衛は主である秀吉の唯一の友であり、唯一の軍師なのだから。
そんな空気を変える様に千影は次の話題を出した。
それが、半兵衛にとって質問されるのが一番辛い内容だと知らずに。

「あの、半兵衛様。後幾つかお話を伺っても宜しいでしょうか」
「何だい?」
「阿修羅姫、とは何なのですか?」

半兵衛の表情が仮面の下で凍りつく。
今まで三成や吉継、家康には阿修羅姫の話をした覚えはあるけど、千影には一切その話をした覚えが無い。
もしかしたら彼らが千影に阿修羅姫の話をしたのか。そう思ったけど半兵衛には三成達が千影にその話をするとは到底思えなかった。
もしかしたらあの話を聞かれていたか。しかし、此処で半兵衛が変に焦燥を見せたりすればきっと千影は好奇心につられて内容掘り下げて聞いてくるだろう。

「久しい名だね。阿修羅姫、と云うのは安土・織田軍に所属していたとされる女兵卒の通り名だよ」
「していた、とは?その方は既に亡くなっているのですか?」
「恐らくね。ある戦を境に彼女は一族を連れて織田から、この日ノ本から姿を消したらしい。何でも阿修羅姫はとても強かったらしいよ。目が合った敵兵を一刀両断、物ともせず切り伏せていたという話だ」
「……とても恐ろしい方だったんですね」
「でも、いきなりどうしたんだい。阿修羅姫なんて御伽噺の様な存在を口にするだなんて」

そう問い掛け、極自然に話が繋がる様に問いかける。
すると、千影は歯切れが悪そうに「それは、その……」と、言葉を紡いだ。

「半兵衛様、笑わないで聞いてください」
「笑わないよ。言って御覧?」
「夢に出てきた男の子が、私に戦の時は阿修羅姫と呼ばれていると、そう言ったのです」
「男の子?」
「はい。背格好は小さくて、紫色の袖の無い着物を着ていて、前髪を結い上げている男の子です」

その特徴を聞いた半兵衛は目を大きく見開き、絶句する。
そんなまさか。確信しつつあったけど千影の言葉が嫌な予感に結びついてしまった。
千影が上げた特徴の男の子を半兵衛は良く知っていた。
森蘭丸。今は行方不明だと言われている、"魔王の子"として恐れられている織田信長の側近。その名は知らないみたいだけど存在を知っていると云うだけでも半兵衛には十分な打撃だ。

「半兵衛様は、その男の子の事を知っているのですか」
「……いや、知らないな」
「そうですか」

しょんぼりした千影を半兵衛は優しげな視線を投げかける。
そして、胸の内で謝罪の言葉を告げる。

「(……すまない千影君。真実を知りたい君の力にはなりたい。でも、この真実だけは知らせたくはないんだ)」

半兵衛は滅多に抱かない罪悪感を胸に抱き、目を伏せた。


2014/04/05