×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
不思議な感情
秀吉が三成の部屋に姿を現した事で、その場の空気は冷たく凍てついた。
そして、家康に体を支えされている千影と女を前に刀を抜いている三成を見て何かを悟った様に「……ふむ」と息を零す。

「三成よ」
「はっ」

名を呼ばれ、三成は咄嗟にその場に膝をつく。そして深く頭を垂れた。
秀吉は三成の部屋内部に入ると千影の侍女、もとい、千影を狙っていた雇われくノ一を一瞥する。
そしてその後すぐに、軟禁の際に怪我を負った千影に視線を移した。

「この女が千影を軟禁したのか」
「恐らく。こやつは千影を殺すと、そう言っていました」
「そうか……。千影」

静かに、しかし威圧感をまとったその声に名を呼ばれ、千影はその場でかしづく。

「は、はいっ」

何とか返事の声は出せた。だが、この騒動の引き金は紛れもなく自分。そう思うと冷汗なのか脂汗なのかはわからないが嫌な汗が皮膚を冷やしながら音もなく汗腺から分泌される。
しかし予想に反して秀吉は比較的穏やかな声で、予想にもしなかった言葉を千影に与えた。

「身体は大事無いか」
「はい。石田様が、守ってくださいましたから」
「そうか」

諸々の内容を自ら確認すると秀吉は三成に手首を落とされ呻き続けている女の頭を掴んだと思うと、そのまま庭に引き摺る。
廊下には血の線が描かれた。
秀吉は外で何かを女に問い詰めている。
千影はぼんやりとそれを見つめていたが、頭上から家康に「大丈夫か?」と声をかけられてはっとする。
彼は一体誰だ。疑心暗鬼に陥りかけた千影の表情を見て何かを察したのか家康は暖かな笑みを浮かべ、警戒心を解こうと務める。

「話しをするのは初めてだったな。某、徳川家康と言う。今後とも宜しくお願いしたい、千影殿」
「? 何故私の名を?」
「半兵衛殿から話を聞いている」

そう言われて納得する。
しかし、家康は人懐こい笑顔を浮かべているが、千影にはそれがどうにも異質に感じた。
この豊臣軍には大よそ似つかわない。それは恐らく自分もそうなのだけど。
すると三成が不機嫌そうに「おい」と声を掛けてきた。

「秀吉様の御前だ。しゃきっとしろ」
「怪我人の千影殿にはそれは酷じゃないか」
「家康、何を寝惚けた事を言っている。今のは貴様に言ったのだ」

冷たく三成に睨み付けられて家康は肩を竦めた。
何だろう、このピリピリした嫌な空気は。
千影はそう思ったのだが、さっきから嫌な空気だったなと考えを改める。何せ自分は殺されそうになっていたのだから。しかし。

「(殺されそうになった、って言っても実感がない)」

気が付いた時には三成の腕に抱かれていた。
何時目覚めたのか、三成の腕に抱かれるまでの経緯はどう言ったものだったのか。全く記憶にない。
途端、思考を遮断するかの様に庭先からぐしゃりと、湿った嫌な音がした。庭先に目を向けると秀吉は躊躇なく千影の侍女だった娘の頭を握り潰していた。
月明かりだけでもわかる。秀吉の手は真っ赤に染まっていた。
先程、三成が彼女に刀を向けていた時は彼女を殺さないでいて欲しいと願っていたのに、秀吉が彼女を殺してもなんの感慨はなかった。

寧ろ「あぁ、死んじゃった」位にしか思わなかった。
何なんだろう、この奇妙な感じは。いつもはそう思わないのに。
その奇妙な感覚に自分ではない何かが身を巣食っている様な気すらした。

「酷い……」

家康が苦虫を潰した様な表情を浮かべ、そう言った。

「この豊臣を狙ったのがあの女の罪だ。それを秀吉様直々に裁かれただけの事。何が酷い事がある」

三成は対極的に冷たく言い放つ。
家康は千影を見てから三成に「そんな言い草はないだろう」と咎めるが、三成はなんとも思っていない様だ。
秀吉はその場で野次馬をしていた将兵達に女の骸の片付けを命じ、残りの者にも休む様に命を下し、秀吉は城の中へと戻って行く。
ただ一言、三成と千影に明日の朝、秀吉のいる天守まで来る様に告げて。

血に塗れた三成の部屋には部屋の主の三成と、家康と千影の三人だけが残っていた。
吉継は体調が悪いと早急に部屋に戻っていってしまった。

「……千影。貴様、あの女の首を絞めたあの時、何を考えていた」
「えっ?」

そんな、自分が彼女の首を絞めただなんて今初めて知った。そんな事、記憶にない。
だが、三成がそう言うのであれば事実なのだろう。
三成は以前、嘘は嫌いだと千影に言っていたから。そんな人が嘘を吐く筈もない。意味が無いからだ。
驚愕した表情を見せた千影に三成は怪訝そうな顔を、家康は戸惑った顔をした。

「? 何だ、その驚愕した顔は」
「いえ、あの……、私が何をしたと仰ったのですか?」
「何を、だと?貴様はあの女に襲われて防衛の為にあの女の首を締めたのではないのか」
「き……、記憶にありません」
「なん、だと……?」

千影の言葉に三成も家康も背中に嫌な物を感じた。
これはもしかしたら、半兵衛が確信していた通り千影が件の阿修羅姫なのではないか、と。
そうであればあの女が千影を殺しに来たのだって理由がつけられる。だが、肝心な千影自身が何も知らないから結論を急ぐにはまだ早すぎる。
もう少し、それを証明出来る何かを集めなくては。困惑する千影を尻目に三成は下唇を強く噛んだ。


===============


翌日の朝。千影は気だるさに体を蝕まれながら、三成に連れられ、天守までの廊下を歩いていた。
昨晩は恐ろしくて眠れなかった。
自分が殺されそうになった事や、秀吉が侍女に扮していたくの一の頭を握り砕いた事などではない。
三成の言葉と、一瞬でも頭の中で思った感情が恐ろしかった。
人が死ぬ事が恐ろしくて仕方が無いのに、いざ死んだとなるとあっさりと享受するだなんてらしくはない。
それに三成が言っていた、自衛の為にくの一の首を絞めたと言う話もらしくはない。
しかし、それは決して嘘でもからかいでもない言葉だと千影は解っている。

「……千影。千影」
「え?っ、わっ……」

逡巡していると、三成が声を掛けてきていた。
更に名を読んでも反応が無かったからなのか、廊下を歩く足を止めていた様で、それに気付かなかった千影は三成の背に顔面を強打した。
幾ら三成の鎧が薄くて強い素材と言えども、結局は金属。
当たればそれなりには痛い。
しかし、三成は鼻っ柱を強打したのか涙目の顔を両掌で覆っている千影を阿呆を見るような冷めた目で見つめていた。
そして小さく溜息を吐いて「いいか」と声を掛ける。

「貴様が何を考えているかは私には微塵の興味などないが、何も考えるな」
「石田様、何を言って……」
「貴様のその性格だ。昨晩の私の言葉の意味を考えていたのだろう?」
「何故……」

千影の顔は悲しみで歪んだ。
何故、この人は自分の考えが解ったのだろう。
何故、人と不干渉であろうとする人間なのに、同じく不干渉であろうとする人間に干渉するのだろう。

それに千影の首絞めは三成が口にした話だ。
それを今更「考えるな」等は千影には納得が行かない。
逆に考えれば気に病んでいるからこそ考えるなと言ったのだろうが。
今まで千影と同じく廊下の先を見続けていた三成は、千影に向き合うと、少しだけ切なそうな顔をした。
その表情はこの世の物とは思えない位に美しくて、思わず千影は三成に見惚れていた。
薄い唇が、言の葉を紡ぐ為にゆるりと動く。

「何故、だろうな。私にも解らん。ただ、私は貴様には死んで欲しくはない」
「? 私が、死ぬ?」
「……貴様が魔性の者であれば、何れは秀吉様に牙を剥く事になる。貴様の意志とは関係せずに。そうなる前に、貴様を殺さねばなるまい」

千影は押し黙った。
昨晩の首絞めの話はそう言った意味で確認の言葉を掛けられたのか、と。其処で千影は更に逡巡する。
過去の、記憶が無かった時の自分は一体何をしでかしたのか。どんな人間だったのか。
それを知りたいと思う反面、恐ろしくて知りたくないと思う。
恐怖を隠す様に拳をぎゅっと握り締めた。

「貴様に関わってからの私はどうにかしている。こんなにも、貴様に対して言葉にし難い感情ばかりが胸を駆ける」
「石田様、私は」
「……石田様、などと他人行儀に呼ぶな。三成と、名前で呼べ。それに敬語なども使う必要はない。私が許可する」

言葉一つで千影は驚愕した。
まさか名前で呼べと、今この場で言われるとは思っていなかったから。
千影は喉から出す声を震わせながら、また涙を目に湛えながら「みつ、なり……」と、名を呼んだ。

「何だ」
「もし、私が貴方が言う魔性の者だったとして、処断れる様な事があったら、私を貴方の手で殺してくれませんか?」
「……貴様には死んで欲しくはないと言っただろう」
「それでも、万が一の時があるやもしれません!!その時があったら、私は三成に殺されたい」

頬を涙が伝うのが解る。
でも、何故自分が泣いているのか千影は解らなかった。
哀しくなんかない。寧ろ、三成に多少なりとも想ってもらえていて嬉しい。
でも、色々な物が怖くて仕方が無い。自分が何なのか。殺されるべき人間なのか。死ぬ事が。
千影が解りうる感情が体の中で混ぜこぜになり、どうしていいか解らない。
三成は「泣くな」とだけ言うと踵を返し、先程の様に廊下の先を見る。三成の手は千影の手を優しく握り締めていた。その手は少しひんやりとしていたけど段々と千影の手を温めて行く。

「そこまで言うなら約束してやる。だが、勝手に死ぬ事は許可しない」

「秀吉様がお待ちかねだ。早くそのみっともない顔をなんとかしろ」と、続けて冷たく言い放つけど、それは何となく三成流に慰めてくれている様な気がしてならない。
最初は怖い人だと、関わらない様にしようと思っていたのに。
今では心臓が裂けそうな位に想い焦がれている。
きっと彼は純粋に自分を心配してくれているだけだと思うが、こうして手を繋いでくれているだけでも、恐怖を感じている千影には安らぎとなっていた。強みになっていた。


2014/03/25