想望



 嗚呼――――憎い、はず。
 シンシアを、村の人達を殺しただけでは飽き足らず、世界をも破滅に導こうとした奴のことなんて。
 勇者である自分が、魔族の王を裁いたとして、何の問題があるというのだろう。いや、ない。復讐という私的な感情があるにしても、理屈は通る。
 進化の秘宝により世界を破滅させるはずだった男を、もとよりそのために作られた剣で貫いて、何が悪い。
 親友を殺した男の敵討ちをして、何が悪い。
 ――じゃあ、どうして私は彼に剣を向けることができないのだろう。
 またこんなことを考えながら、ソフィアは空を見上げる。月と星がよく見える。野宿にはやはりまだ早い季節だったが、キンと張り詰めた空気は思考を研ぎ澄ませた。だが、考えれば考えるほど気持ちは重くなるばかり。
 夜の森はなぜか落ち着く。木々のざわめきや、動物の気配に懐かしさをおぼえるからかもしれない。
 ピサロがロザリーによって心を取り戻し、全ての元凶であるエビルプリーストを倒すための旅を続けることになってからずっと、眠れない夜が続いていた。眠ったら、二度と目覚めないような気がして怖かった。そのくせ、毎朝目覚めてしまったことに失望するのだ。
「……ふぅ」
 ぼんやりと歩いている間に、湖の辺に出たようだ。キャンプからはそれほど離れていないから、大丈夫だろう。
 町の灯も届かない森の奥、湖だけが月の光を湛えて神聖なまでに輝いていた。まるで――少し大袈裟に言えば、湖と自分だけが世界から切り取られてしまったよう。
 なんとなくぶらついていると、湖へと迫り出して隆起した場所を見付けた。湖へ足を投げ出す形で座り、剣を鞘から抜き払ってみる。
 夜の闇の中でも輝く天空の剣。勇者に相応しい剣。このまま水へと投げ捨てたらどんなにか気持ちいいだろう。無論、そんなことはできないけれど。
 長い、旅をしてきた。もうすぐ終わりだと思っていた。自分は終わりを望んでいた。世界を救うという勇者の願いと、復讐を遂げるという自分の願いが一致していたから。
 だが……今は?
 もう世界を救ってやるという気概は沸いてこない。敵を前にしても倒したいと思わない。かつて意気込んで魔族の王を倒し人々に平和を齎すと叫んでいた自分はどこに行ってしまったのだろう。
「――ッ」
 突然、周りの気配が変わった。殺伐とした空気がヒヤリと首元を撫でた気がする。振り向きざまに思わず剣を構えた。そして、身体からフッと力が抜ける。
「……ピサロ」
 いつの間か背後に佇んでいた影――ピサロが、その剣をねめつけて言った。
「勇者は夜中まで世界平和のための訓練か?」
「……そんなんじゃないわ」
 視線を湖へ戻し、ピサロに背を向ける。
「私はやはり、魔族と同じ気配なのだな」
 淡々とした声が上から降ってくる。ソフィアは足をぶらぶらさせながら、一つため息をついた。
「当たり前じゃない、オウサマ」
「なるほど……それもそうか。大体、勇者が魔王の気配も感じとれなくなったら終いだろうしな」
 ピサロも分かっている。勇者である自分は魔族の王を倒す運命にあったと。
「……なにか、用?」
「いや、私は人間と違い夜は眠らない。ロザリーも眠り、暇を持て余したのでな」
「ふぅん……。気楽なものね」
 ロザリー、その名がピサロの口から漏れた途端、彼女と似た色の髪をした親友の顔が浮かんだ。
 大切なものを互いに失ったのに、何故ピサロだけが取り戻せたのだろう。しかもロザリーを殺したのは自分ではなく、ロザリーを取り戻す手伝いをしたのは自分だ。
 最初に、怪物と成り果てたデスピサロを見た時、ソフィア自身も狂わされてしまったのだと思う。
 ロザリーのことは可哀相に思っていたし、親友に似た彼女を救いたかったのは事実だ。しかし、彼女がデスピサロに会いに行くと言った時、同意しながらも所詮気休めにしかならないと思っていた。彼女の言葉通り、結局はこの手でデスピサロを殺すことになるのだ、と。
 しかし、最善の筋書きがまかり通ってしまった。
 礼、恩人、感謝――そんな言葉いらなかった。間違いを認めて欲しくなどなかった。優しい言葉などいらなかった。
 自分で招いたことではあったけれど、やはり後悔せずにはいられなかった。何も考えず殺しておけば良かったと今でも思う。だけど。でも。……そればっかりだ。
「皮肉か? お前らしくもない」
「私だって、文句の一つや二つあるわ。人間だから」
 思ったより冷たい声が出た。しかし、ピサロはそれを気にしないどころか、予想外の言葉を口にした。
「人間だから……か。かつては心根の醜い人間どもを滅ぼせば良いと思っていたが――エビルプリーストの一件と言い、魔族も人間も変わらぬのかもしれんな」
「……」
 ピサロの言葉を聞いているうちに、ふつふつと暗い感情が沸いて来る。
「ロザリーは、お前達が澄んだ目をしていると言った。正しい心を持つ人間もいると言った。事実、お前達はロザリーを救い……認めたくはないが、私をも――」
「……やめてよ」
「ん?」
 ピサロが怪訝そうな声を出す。堪らず、ソフィアはその右腕をおもむろに真上に上げた。
「な――――」
「黙って」
 真っ直ぐ剣の先を見据える。白い首筋に寸分の狂い無く突き付けられた剣。赤い二つの瞳と、なだれ落ちる銀の髪。その後ろから差し込む月の光。なんて――綺麗。
 思わず、笑みが漏れる。
「貴方は、ずるいわ」
 不意を突かれ、驚きに目を見開いたピサロであったが、すぐに持ち前の不適な笑みを取り戻した。剣の切っ先を一瞥し、気にもとめない。
「ずるい」
 ピサロはソフィアの持っていないものばかり持っている。大切な人も、生きる意味も、自分の信念に生きる意志の強さも。
 例え、一度はその身を狂わせた志ではあったとしても、自分にはないその力が欲しいと思ったことは一度や二度じゃない。勇者の肩書などかなぐり捨ててみたいと願った。別に、その先にやりたいことがあったわけではないけれど。
 だから、ピサロはずるい。
「……どういう意味だ?」
「何でもない」
 剣を下ろし、立ち上がる。ピサロは拍子抜けしたように、眉を潜めた。
「ソフィア?」
 いつもと違う様子に気付いたのだろう。ピサロが発した音の響きは、思いの外優しかった。
「なに?」
「何、ではないだろう。人を殺そうとしておいて」
「殺そうとなんてしてないわ。貴方も……そう感じたでしょう?」
「まぁ、確かにな」
 言葉に詰まったピサロを前に、剣を鞘に戻す。その刹那、剣はどこか名残惜しげに月光を反射した。
「じゃあ、おやすみなさい」
 土を軽く払い、そろそろキャンプに戻ろうと、そう告げて歩きだす。しかし、
「私を、殺さないのか?」
 その言葉に、足が止まった。
「お前は私を殺したいのではないのか?」
「何を言うの……?」
 そんなの、当たり前じゃない。
「私はお前の村を滅ぼした……はずだ。お前にとっての私は、私にとってのロザリーを殺した人間やエビルプリーストのようなものなのだろう。私は今目の前にその人間どもがいたら間違いなく殺す。エビルプリーストも同様だ。だが……お前からは……殺意が感じられない。それも勇者故の心なのか?」
 心が冷たくなっていく。勇者の心なんてあるはずがない。この身体は勇者の力を持ってしまったが、心は間違いなく、ピサロが醜いと蔑んだ人間のものだ。
「じゃあ、貴方は私に殺されてくれるの?」
 赤い瞳を見据える。今の自分なら一人でもピサロと対等に戦える、そう思ってはいた。
 ピサロは面白そうに目を細めたが、やがて首を振った。
「いや、私が死んだらロザリーが悲しむからな。私はロザリーをもう悲しませないと約束したのだ」
「ふざけないで――!」
 仕舞った剣を再度抜き払い、感情にまかせて思い切り振り下ろす。甲高い音が辺りに響き、ピサロの剣に押し返された。
「……っ」
 ピサロが眉を潜めた。一瞬だけ緊迫した雰囲気があたりを包む。
 今、殺せていたらきっと苦しまなかった。挑発に乗って感情のままに殺してしまいたかった。
「流石――重い」
 品定めするような台詞がソフィアの神経を逆撫でする。またピサロに向かっていくが、先ほどとは違って甘い攻撃だ。
「わ、私だって人間らしい憎しみくらいあるわ!」
「ほぅ……」
「きっとアンタは私の村を滅ぼしたことも、何とも思っていない!」
「……私は私の信念に従ったまで。しかし、大切な人を奪われたお前が狂わなかった訳を知りたいのだ」
「白々しい!そんなの……」
 絶望の日々。それでも生きようと思ったのは。
「アンタに復讐がしたかったからよ!」
 そう、気付けばデスピサロのことを考えていた。命を賭して自分を守ってくれた親友の仇をとるのだと。
 それだけが、生きる意味だった。そうした思いであの村を出た。なのに初めて見た世界はとても広くて鮮やかで。
 空が、どこまでも青かった。あの日、自分はそれを自由の色だと感じた。
「はぁっ!」
 再度、形ばかり打ち込む。こちらが本気でないことを悟ったのか、ピサロの動きも緩慢だった。
「ならば、何故助けた?」
「別にアンタを助けたかったわけじゃないわ。私はロザリーを救って……私があの子にできなかったことを代わりにしてあげたかっただけ!」
「……意味がわからん」
 覇気のない剣の応酬に飽きたのだろう、ピサロが強く剣を薙ぎ払った。思わず地面に手をつく。天空の剣が数歩先に落ちた。
 立ち上がろうとして、力が抜けた。自分は何をしているのだろう。今、あの子の思い出をピサロにぶつけたところで何の意味もないのに。
 剣が手から滑り落ちる。息をついてその場にうずくまった。
「……どうして、貴方が私たちと一緒にいるのよ……」
 なんとなくピサロの視線を感じた。ずっと蟠っていた言葉がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「貴方が世界を滅ぼしてくれるなら、私は貴方を殺しに行けるのに」
「……私は魔族の王だ。勇者が魔族の王を殺すのは理に適っていよう」
 見上げたピサロの顔は真剣で、ごちゃごちゃ思い悩んでいる自分がバカらしく思えた。でも。
「もう私に貴方は殺せない」
「だから、何故」
「教えない」
 ピサロが苦虫を噛み潰したような顔になる。それを見て心が少しスッとした。
「不満?」
「……良い気はしないな」
「なら良かった」
「勇者がそんな性根の捩曲がったようなことを言っていていいのか?」
「魔族の王様相手なら許されると思うの」
「フ……」
 ピサロが可笑しそうに笑う。
 こんな顔を見ることになるとは、少し前には思いもしなかった。
 ピサロはいつも上から自分を見下して、冷酷な視線を向けて、余裕の笑みを浮かべていたのに。限りなく傲慢で、憎らしい仇だったのに。
「なんで私たちと一緒に行こうと思ったの?」
「何だ、突然……」
「いいじゃない。暇なんでしょ。目的が一緒だから……なんて貴方らしくないわ。何時だって貴方は冷たくて、私を殺そうとしたじゃない」
 手で土を弄りながら、ちらりとその顔を見遣ると、何やら言葉を探しているようだった。
「…………私は私の心に従って生きてきた。これからも、それを変えるつもりはない」
 ひゅう、と冷たい風が吹きつけた。思わず身を震わせる。
「だが……ロザリーの一件の後、私は考えを改めた。全てではないぞ、少し、な。勿論エビルプリーストを倒すというのが一番の目的だ。しかし、新たに心を決めるために、お前たちが――いや、お前が私を救った訳を知りたかった」
 それだけだ、と言い切るピサロの目からソフィアは目が離せなかった。
 ――何故、助けたかって?
 そんなの自分でもわからない。どんな理由もいまいちピンと来ないのだ。その問への答えが見えず、眠れぬ夜を重ねている。
 偽善かもしれない。
 もしかしたら、哀れみかもしれない。
 ……あの日、シンシアと一緒に見、噂し合った銀の髪の吟遊詩人。外の世界の風を纏った美しい人。何も知らなかった自分はその人に憧れ、言葉を交わしてみたいと願っていた。
『ほほう……。この村には、キミのような子供もいたのですか』
 そう言って、微笑んだその表情を美しいと。
 村が滅び、村人やシンシアの死を嘆いた。そして、ふとあの吟遊詩人も死んでしまったのかと思うと、胸が痛み、デスピサロへの憎念が高まった。
 バカみたいだ、と今でも思うけれど。
 その吟遊詩人こそが自分の仇だと知った。そしてやっとその姿を見つけた時、そこにはあの日と変わらない美しい姿があった。妖しさと冷酷さを兼ね備えた人ならざる美貌。不謹慎だが、嬉しかった。この男は自分が討つのだと決めていた。
 なのに――――。
 ずっと焦がれ、憎み、夢見ていた男は何もかもを失ってしまった。
 それはとても哀しいことで。
 ソフィアは立ち上がり、大きく伸びをする。悔しいことに、視界がじわりと滲んできた。
 湖面はただ静かに波打っている。
 ソフィアはまるで独白のように、虚空に向けて語り出す。
「私は……貴方を殺すことばかり考えていた。なのに進化の秘宝なんてバッカらしいものに溺れて、貴方はいなくなった」
 ……いつか、モンバーバラの姉妹は言っていた。
 大切な人の仇をとったところで気は晴れない。失った人はもう二度と帰ってこないから、その上……進化の秘宝で理性を失った男はただのモンスターであり、自分が仇を討ちたかった相手ではない様な気がしたから、と。
 あの時は姉妹の言葉の意を図り損ねたが、わが身のこととなって漸く分かった。そうなのだ。自分が殺したかったのは、あんなものでは無い筈だった。
「……バカらしいとは、よく言ってくれるものだな」
 私が心血を注いで作ったものだぞ、とピサロが漏らしたが、ソフィアは鼻で笑って先を続けた。
「だって本音ですもの。私、こんなのを倒したかったのかなぁって思っちゃったのね。勿論デスピサロを倒せば世界は平和になるし、仇は取れるし、私は勇者としての役目を果して村のみんなに顔向け出来るんだから、それでよかったんだけど……。多分、出来ることなら正気に戻してからぶった切りたいと思ったわけ。わかる?」
 ピサロは言葉を発さない。月を見上げ、誰に話すでもなく続ける。白い息が天高く昇っていった。
「ま、どうせ無理だろうなって思ってたし、戻ってきたところで人間を滅ぼすって言ってきかないと思ってたのよ。何時も通り自信たっぷりに私を殺しに来ると思ってた。そしたらさぁ……」
 涙が一筋流れた。何の為に流れている涙なのかわからなかった。
「まさか素直に謝ってくるなんて、ね」
 ソフィアがニヤリと笑ってピサロを見遣る。ピサロはまた何か言い返そうとしたが、泣き笑いを浮かべるソフィアの表情にあてられたのか、また口をつぐんだ。
「しかも自分勝手に同行するとか言っちゃうんですもの。で、一緒に旅してみたら、貴方はやっぱり強くて……思いの外優しい人だった」
「フ――笑わせる」
 漸くピサロが口を開いた。やはり、反論せずにはいられなかったのだろう。
「貴方のロザリーへの扱いや、戦いの様子を見たら、そう思うのも仕方がないんじゃないかしら?」
 何時もロザリーの身体を気遣い、敵が現れたら真っ先に守る。ロザリーに言われたからか、はたまた自分の意志からか、ソフィア達の援護も熟してくれていた。
 流石魔族の王と謳われるだけあって、魔法の力はマーニャにも劣らない程。皆口には出さないが、心の中では頼りになると感じているのだろう。
 そんな風に、魔族の王は仲間として溶け込んでいった。
「黙れ。……とにかく、泣くな。煩わしい」
「ふふ……ほら、優しい」
 不器用な優しさが胸に迫った。ピサロはロザリーを泣かせてしまった時と同じ顔をしている。胸の奥が熱を持つ。きっと、何故相手が泣いているのかわからないからだろう。そう気づいた途端、心が締め付けられた。
 ピサロが呆れたようにこめかみを抑え、暫し逡巡したあと踵を返した。マントがふわりと翻る。
「埒があかんな。私は戻る……」
 ソフィアはハッとその後ろ姿を見つめる。追いていかれる、そんな子供じみた考えが脳内に弾けた。
「――――待って……ッ」
 遠ざかろうとする影に、縋らずにいられなかった。無意識に伸ばした手は、漆黒のマントの端をしっかりと握っていた。
「…………どうした」
「……うぅ」
 涙目で、俯いたまま何も答えないソフィアにピサロは天を仰いだ。それからマントの端を引き寄せようとするが、ソフィアは頑として離さない。ピサロは諦めたように向き直り、その大きな手をソフィアの頭の上に乗せた。その振動にハッと顔を上げる。初めての感覚だった。今まで自分にこんな風に触れてくれた人なんていない。
 深紅の双眸は陰りを帯びていた。その奥に潜む深い闇。ソフィアの黒い感情など用意に受け入れてくれそうな深淵に、引き付けられる。
 また、透明な涙が頬を伝った。生温いだけの、ただの液体だ。
 どうやら涙は彼を動揺させるらしい。かける言葉もなく、目を泳がせながら自分を見下ろすピサロ。ふと、思う。
「……もし、私の涙がルビーで出来てたら」
 ピサロが怪訝な顔をする。
 何を、言っているのだろう?
「ロザリーにしているみたいに、貴方は私の涙を拭って、私を…………抱きしめてくれた?」
 虚を突かれたピサロが目を見張る。頭の上から、温もりが離れていった。
「怖いの…………」
 そう、怖い。
 この旅が終わってしまうことが怖い。
 皆が居なくなって取り残されてしまうことが怖い。
 帰る場所なんて、無いから。
「私はルビーの涙に興味はないぞ。私はただ……」
 どこかズレたピサロの返答に、ソフィアは首を振った。
「いいの、わかってるから」
 ピサロはロザリーを愛している。ロザリーはピサロを愛している。
 旅が終わったら、導かれし者達は自分の生活に戻り、ピサロはロザリーと暮らす。世界は平和になり、皆が幸せに暮らせる日が来るかもしれない。
 そして、ソフィアは一人ぼっちだ。
 仇を取ることも、自分が欲し続けたものを得ることも出来ずにただ一人残されてしまう。それが堪らなく不安で、せめて何故ピサロを殺しておかなかったのかと毎夜うなされる。
 混沌としていた気持ちが、皮肉にもその張本人によって明らかにされてしまった気がした。
 ……あーあ。
「貴方を殺したかったわ」
 涙は乾いていた。闇色のマントが手から滑り落ちてはためく。
 ピサロが何事か言おうとしているのが見て取れた。おそらく、何故、と。
 仲間だから、と答えるのが癪に障るから、その言葉を制した。
 紫、群青、黒。そして薄く空を照らす月。目の前の闇から外された視線は、空を撫でるように滑っていく。
「誰かに……出来れば、貴方に愛してほしかったわ」
 神聖な雰囲気にのまれて零れ落ちる本音。流石に目を合わせてこんな事言えるわけがない。
 ピサロが仲間になってからずっと、自分の気持ちを認められずにいた。
 憎いはずだ、嫌いなはずだと言い聞かせていた。
 なのに、仲間であるピサロは強く、優しく、あの日と同じ微笑みを浮かべていた。その視線の向く先は、ソフィアではなかったけれど、それだけで十分だった。自分は仲間を殺せるほど強くはなかったのだ。
 だからピサロを殺せなかった。
 残ったのは、時を追うごとに強まっていったピサロへの執着心だけだった。自分のものにしたいと、知らず知らずのうちに願っていた。未来への不安がその想いを更に強めるのだ。どうにもできないこの感情に、ピサロをずるいとなじらずにはいられなかった。
 ――――きっとこれは、ロザリーのような綺麗な感情ではないのだろう。
 ピサロにはロザリーの様な、穢れない心の持ち主がお似合い……いや、必要なのだろう。彼が彼であり、もう二度と我を失わないために。だから。
「どちらも無理な話だけれど」
 そう、口の端を上げて呟く。きっとマーニャだったら「強がり」と一蹴するほどの儚い笑顔だった。
「――――」
 ピサロは肯定も否定もしなかった。ちらりとその横顔を窺うと、何というか……困っているようだった。きっとこんな経験をしたことがない所為だろう。ソフィアはフッと身体の力を抜いて、
「大丈夫よ、もう二度とこんな事言わないから」
「……そうしてくれ。やはり、私には人間のことはよく分からん」
 ソフィアは笑う。ピサロが本心でそう言っているのが分かったからだ。
 ピサロはとても鈍い人なのだろう。鈍い、というよりは人の感情を知らないのだ。だからロザリーはピサロを殺して欲しいとまで考え、ソフィアは思いを吐露することができたのだろう。
 もし、ピサロが自分の言葉を真に受けるような人だったら、自分は絶対に今のようなことは言わなかっただろうから。
 きらり、反射した湖の光にソフィアは目を細めた。何時の間にか太陽が雲の切れ間から顔を覗かせていた。
 皆が心配するかもしれない、そろそろキャンプに戻らなければ。
 地面に落ちた剣を拾い上げる。やはり、この剣には太陽の光がよく似合う……。
「……この先は分からんぞ」
「え?」
 不意に響いた声に、顔を上げる。夜明けに似合わない、まるで宵闇の残滓が具現化したような低い声。
「エビルプリーストを倒し、お前達の言う平和とやらが訪れたとしよう。だが、平和に慣れた人間がまた同じ過ちを繰り返さないとも限らん。いや、今までと何も変わらないだろう」
「そんなことないわ」
「私は魔族、その上その王たる者だ。人やエルフよりも長く生きる……。もし同じようなことがあれば、私は躊躇わず人間を殺そうとするだろう。次は私自身の意志でな」
 ――――それって。
 あってはならない期待が、胸を満たしていく。ピサロは冷ややかで自信ありげなあの笑みを浮かべていた。
「お前は私を殺せない、と言った。だが、いつも小賢しく私の邪魔ばかりしていたお前のことだ。その時、お前は……勇者として、私を殺さんと意気込んで現れるのではないか?」
「そうね……そう、かも」
「その日はそう遠くないかもしれん……ということだ」
 そう言い捨てると、ピサロは今度こそソフィアに背を向けて来た道を戻り始めた。もう彼を引き留める事は出来ない。いや、する必要がない。
 結局自分は勇者でしかないのだ。幾ら迷い、悩んだところでその事実は変わらない。遂げられなかった復讐を後悔しながらも、このまま一人世界の守護者として生きていくほかないのだろう。
 もし人間が平和な世界を維持し、そんな美しい世界に住み続けられるのならば、いつかは勇者の良心に免じて彼を許す事が出来るかもしれない。
 だが、彼の言葉を信じるならば、人間が彼の言う通り本当に醜いものならば、いつか、もしかしたら……。
 ――――彼を殺せる日が来るかもしれない。
 そんな仄暗い希望を残してくれたのはやはり彼で。
 きっと自分はまたその希望を糧にして生きていくはずだから、そのことが少し悔しいけれど。
 その時、躊躇わない様に、私はもっともっと強くなる。


 End.
*あとがき*

【想望】(広辞苑より)
@おもいしたうこと、思慕。
Aある事の至るのを予期して待つこと。期待。

私にしては珍しくDQ4です。これはカップリングではないような気がしますが一応女勇者→ピサロ、かな?
受験期に鬱憤晴らしで書き上げたらしいものが見つかったので挙げておきます。
楽しんで頂けたら嬉しいです!
次はピサロザ書きたいな。

2014.3.31

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