Another Ending 5.永久の影



 天空の日暮れは早い。
 雲海の彼方に沈む赤い夕陽が遠くを見つめているサラの横顔を映した。その姿ははっとするほど美しい。
 自分の記憶にあるサラと、今目の前にいるサラは、違うように見える。顔、声、振る舞い、仕草――――その全てが知っている物の筈なのに、どれも新鮮味を伴って魔王の意識に入り込んでいた。だから。
 一線を越えたことに、気付かなかった。或いは、気付きながらも許容した。
 目を閉じて壁に凭れる。特に罪悪感は無い。欲したものを手に入れた喜びの方が大きかった。
 気配が動いた。一歩、二歩、手が届く位置にまで来たそれは、魔王のフードをゆっくりと外した。薄く目を開いた魔王に、
「予言者さん。どうして貴方は私にも名前を教えて下さらないのですか……?」
「……貴女に聞かせられるような名ではないからですよ」
「あら、名前に尊卑等ありませんわ」
「我が儘を仰らないで下さい」
 嗜めると、サラは淡い微笑を口元に湛えた。
「我が儘なのは貴方の方でしょう? 強情で意地っ張り、とでも言い替えましょうか?」
 サラがぐっと顔を近づけてきた。心なしか扉の外の音を気にしているようにも見える。何時もならそろそろ女王の間に向かう時間なのだ。最近は昼だけでなく、夜も政務が行われている。だから早く、そうサラの視線が言っている。
 艶やかな薄桃色の唇。軽くサラの身体を引き寄せ、躊躇わずさっと口付けた。温もりは伝わるがそれ程深くはない。表面だけの接吻。だがそれだけでサラは満足したように甘い吐息を零すのだ。その吐息を感じ、より深く求めたいという欲求を押さえつける。
 サラが唇を離し、今度は自分からこちらに身を任せてきた。しなだれかかる様な細い身体を少々力を入れて抱きしめる。それだけで良い、サラは何時もそう言う。
「ん……」
 サラが身を捩った。もう十分、とでも言いたそうだ。腕の縛りを解く。サラは顔を仄かに赤く染めて魔王を見つめる。それから少し頬を膨らませて、
「もう、貴方は顔色一つ変えないのですねっ」
 拗ねたのか? そんなことで。
 苦笑にも似た笑いが浮かび、魔王は近くの椅子に腰かけた。
「――――別に、深い意味はありませんよ? そう言えば貴女は顔が赤い。それほどお気に召したのですか?」
「――ッ。わ、私はそろそろ行きますっ」
 少し苛めてやろうと思ったのに、サラは慌てて踵を返した。しかし扉をくぐる際には、
「また明日来ますね。……予言者さん」
「貴女のお好きなように」
「ええ、必ず」
 サラはにっこりと微笑んで部屋を出て行った。二人の身体が空く夕方から日暮れに魔王に与えられた客室で逢瀬を重ねる。最近はこんな生活が続いている。
 逢瀬と言ってもすることと言えば他愛ない事を喋り、最後に軽い接吻を交わすだけ。魔王からしてみればまるで子供の遊びのようなものである。しかしサラが求めているのはどうやらこのような恋らしい。それでも良いと、今は思っている。サラが求めるのなら応えるまで。……まあ、時折自制が必要だが。
 最初はサラと距離を置いていた魔王だったが、サラがよく魔王の部屋を訪れるようになった。魔法の事、前の世界の事、何処から来たのか、そんな他愛もない話を聞きたがり、話の種が尽きると今度は自分の事を話し始めた。
 この国が今のままではいけないと言う事。ジャキを守らねばならないと言う事。自分の持つ力の恐ろしさ――――。
『どうしてその様な事を何処の誰とも分からない私に話すのですか?』
『それは……。私が貴方の事を他人とは思えないから』
 そう答えが返って来たとき、一瞬だけ戦慄した。サラはもう自分との血の繋がりを見抜いているのではないか、そう危惧したのだ。
 しかしサラは気付かなかった。フードを取り、露わになった顔を見てそれが弟の成れの果てだとは流石に思い及ばなかったようだ。それもその筈、自分の変貌ぶりは自分が誰よりも把握している。
 此処でサラと親密になりすぎるのは良くない。女王に露見した場合言い逃れが困難だ。そう考え、突き放そうと決めたものの、サラは尚も魔王の所に通ってきた。その日あったこと、悩み、意見、そんなことを取り留めもなく、だが嬉しそうに語る彼女を見て悟った。
 サラには捌け口が必要なのだと。サラは今まで溜め込んだものを吐き出す場所を持っていなかった。王女という地位上、激務に追われ友人を作る機会は少なかったのかもしれない。母は狂い、弟を守らねばならないという義務感がよりサラの負担を重くしていたとしたら? そのサラを、自分は見ていることしか出来ないのだろうか――――。
 瞬間、目の前で笑うサラがとても痛々しく見えた。だがそれでも美しいと思ったのだ。大切に大切に守ってやりたい。そんな欲望が芽生えた。そう、例えば――この手の中で。
 サラが拒めば止めるつもり――無論、制止が効けばの話だが――だった。しかしサラは意外にもそのまま体をこちらに委ねてきた。
 そんなサラの細い身体を抱き、唇を重ねた時、何かが外れる音がした。
 一番の目的はラヴォスを倒すこと。それは変わっていない。例え何を犠牲にしても奴を葬りたいと願っている。だが……奴を滅ぼしさえすれば、サラは救われるのか?
 ジールがラヴォスを呼び出そうしている以上、ジールを上手く利用する他無いと思っていた。しかし、ラヴォスを呼び出すと言う行為そのものを消してしまえれば元より全ては無かったことになるのでは? 『ジャキ』が消える事、賢者が幽閉される事、ラヴォスにより王国が破滅を迎える事、それらすべてが無かったことになる。奴を倒さなかったとしても、それだけでサラは笑っていられるのではないだろうか?
 そこまで考えて、魔王はしかし、と小さく首を振った。それならば自分は今まで何をしてきたのか、ラヴォスを倒すために生きて来たのではなかったのか――――そう告げる声が聞こえる。闘争を求める魔族の血が心許なげに騒ぎ始めた。思わず腕に力が籠る。
『い、たっ――』
『嗚呼……すまない』
 腕を緩めてやると、サラは魔王の背中に回していた手を戻し、それからゆっくりと魔王の身体に凭れ掛かった。
『大丈夫です。だから――――暫くこのままで居させてくださいね』
 そっと込められた力に魔王は目を眇めた。サラの頭をくしゃっと撫で、そのまま引き寄せた。
『貴女が望むだけ』
『くすぐったいわ、もう』
 耳元で響いた声にサラが顔を朱に染める。魔王はその唇を味わおうとサラの顎を引き寄せた。必死で目を逸らそうとしている姿が堪らなく愛しく、また、ついつい構いたくなる。
『あ、私…………』
 しどろもどろに言葉を紡ぐそれに魔王は自らの指をそっと押し当てる。それだけで肩を震わせるサラにふっと笑みが浮かんだ。
『な、何が可笑しいのです……っ!』
『いえ、ただ貴女がそれほど……うぶだとは思わなかったもので』
『なっ――――』
 反論を聞く前に言葉を口内に直接伝わせる。暖かく柔らかなそれはまるで蜜の如き味。自分は今までこれが欲しかった、この為に生きてきたのだと錯覚してしまいそうな逸楽。その温もりをより求めようとした瞬間、サラが大きく仰け反った。一瞬漏れた苦しそうな喘ぎに、飛んでいた理性が舞い戻る。
 唇を離すとサラが大きく息を吐いた。
『突然何をするんですか――もう……っ』
『嫌か?』
 サラの髪を手でいじる。サラは何故か悔しそうに唇を噛んだ後、ふっと破顔して、
『…………いえ……』
 そう言って、涙を滲ませて笑った。この涙は一体何によって流れる涙なのだろう。その姿がとても儚く見えて、魔王はまたサラを抱き寄せた。消させてたまるか。守ってみせる。いっそそれまではこの腕の中で眠っていてもらいたい。そう、この手の中で――――。
 嗚呼、これは罪だろうか。
 しかし今この腕の中に有る物は、罪と呼ぶにはあまりにも純粋だ――――。



 扉を叩く。思ったよりも大きく音が響いた。軽く舌打ちして辺りに人影がない事を確認する。
「…………入れ」
「失礼いたします」
 部屋に足を踏み入れると、ジールは女王の間に居た時の姿のまま、椅子に腰かけ書物を読んでいた。気だるげに視線を上げ、
「そなたか……。このような時間に……非常識な奴め」
 口元に笑みを浮かべ、魔王を自らの前の椅子へと促した。機嫌は悪くなさそうだ。
「常識云々より女王にお伝えしたいことがありまして」
「妾は王族ぞ。礼儀を知らぬ言動は慎め」
「以後気に留めておきましょう……」
 軽く会釈をする。形だけの礼だ。もう女王に取り入る必要は無い。
 そっと女王の様子を窺う。酒が入っている訳でもなさそうなのに、とろりとした目をしていた。手元の書物、開かれた頁をちらりと見遣れば魔神器の文献。反射的に目を細める。
「その挑戦的な目は頂けぬな……だが、嫌いではないぞ。この国にはそなたのような目をした者はもう居ないからの」
 女王が本を閉じ、魔王に向き直った。そのまま手を伸ばして魔王のフードを払う。顔が露わになったものの、特に動揺は無い。この顔でジールが何かに勘づく筈はない。サラでも気付かなかったものをこの女が気付く筈なかろう…………。
 ジールの視線が何かを見定めるように這い回る。その視線を遮る様に首を振り、
「女王自ら手を下されたのでは?」
「人聞きの悪い。妾はただ国の為必要な人材を登用するのみじゃ」
「左様ですか」
「だからどこの誰とも分からぬそなたを使ってやっておる」
「それは、有り難き幸せです」
「そうだ。だからそなたはただ妾に仕えていればいいのだ。この国のことでは無く、妾の事を考えれば良い。そなたは妾に恩がある。恩は返さなければなるまい。違うか?」
「……そうですね」
 言うと、ジールは満足げに頷いた。そして魔王の髪に触れて更に続ける。
「そなたはサラと親しくしていると聞く」
 一瞬肝が冷えた。まさか知られてしまったか、と。しかしジールはそんな素振りは見せず、
「アレは力を持っておる。十分手懐けておけ。最近反抗的な態度が目立つ故、扱いが面倒だったところだ」
「は……?」
 魔王が思わず顔を上げると、女王は口角を吊り上げて笑った。その顔は何処か歪んでいて。
「アレの力はラヴォス様降臨に必要なのじゃ」
 そなたもそう思わぬか――――と、同意を求められたものの魔王は反応を返せない。血が凍りついた様に身体から熱が急速に抜けていく。
 この女は今自分の娘を何と呼んだ? まるで道具のような口ぶりでアレと呼ばなかったか? サラはこんな女に使われ、苦しんでいるのか。サラがどれ程の涙を流しても、この女はきっと何もわからない……否、分かろうともしないのだろう。
 コレは最早人では無い。ただの異形な怪物だ。
「ん? どうかしたか……? それとも、妾が何か奇妙しな事を言ったとでも?」
「…………いえ、そのようなことは」
「…………」
 疑惑の視線が注がれた。嗚呼、嗚呼――――もう、十分だ。
「私をお疑いですか?」
「そなたは掴みどころがないからな……」
「ならば女王とこの国に敬意を表し、その手に我が唇を捧げましょうか」
「ほう……」
 面白い、そう言わんばかりにジールは手を差し出した。魔王は席を立ち、ジールの座る椅子の隣へ跪いてその白い手を取った。
「美しい手をしておられるのですね……」
 その身に被る罪とは逆に……。
「世辞は要らぬ」
 催促するように向けられた艶っぽい言葉。魔王は初めてジールに心からの笑みを向けた。
「では、失礼して…………!」
 ジールの手を強く引き、懐からナイフを取り出し、その胸に突き立てた。出来るだけ強く、深く、息の根まで止めるように。
「な――――――――――ッ!」
 ジールは目を見開き、ナイフと魔王とを交互に見た。その耳元で、そっと囁く。
「良い夢を、母様」



 急いで部屋に戻り、血の付いたローブを脱ぎ捨てる。直ぐに立ち去れるよう、此処に辿りついた時の服をあらかじめ着込んでおいたのだ。持ち出す物は何もない。
 丑三つ時を過ぎた宮殿内に人影はない。部屋を飛び出した魔王は足早にサラの部屋に向かう。時間は限られているのだ。急がねば。
 宮殿の奥のサラの自室に辿りつくと、出来るだけ音を立てない様に注意しながら魔王はその扉を開けた。僅かに開いた隙間から身体を滑り込ませる。
 サラは眠っていた。部屋の中には安らかな寝息が響いている。此処でサラを起こすのは余り得策ではない。
 丸くなって眠っているサラの頬に、そっと口付ける。寝込みを襲うのは流石に不味いが、この位ならまあ良いだろう。
「ん……」
 身を捩ったサラの横に、かつてサラから貰ったお守りを落とす。もう必要無い物だ。
「サラ…………」
 最後に愛しい人の名を呼んで、魔王は踵を返した。この数か月をサラが忘れることを祈りながら、部屋を後にする。
 ジールを殺したことによりラヴォスの復活は無くなる筈だ。ジールの影響力がなくなれば政治は三賢者、特にボッシュを頼らざるを得なくなる。謹慎も解け、ラヴォスの力に否定的なボッシュなら海底神殿の建設等という馬鹿げた事も中止にするだろう。
 それにしても、ラヴォスを倒さずに此処を去る等……どうしてこんなことになったのか、自分でもよく理解出来ない。復讐に燃え、ラヴォスを倒す為だけに生きてきた筈だった。それを考えれば今の現状では当初の目的を果たせていない。しかし満足はしている――――奇妙しなものだ。
 流石に城門から堂々と出ていく気は無い。何処かの部屋の窓からでも出るか、と一瞬足を止め辺りを見渡す。すると、
「…………何やってるの」
 突然背後から聞こえた声に、一瞬身を硬直させる。だがその声の主に気付き、
「…………お前か……」
「どこ行くのさ」
 アルファドを従えたジャキが、じっとこちらを見据えていた。何かを疑う風でもなく、ただ疑問に思ったことを淡々と問うような口ぶりだった。成る程、確かにこれは愛想がない――――此処に居る間中耳に入ってきたジャキの噂は満更嘘ではないようだ。そしてそれがかつての自分と思うと、呆れを通り越して笑いが漏れる。
「此処を去る」
「どうして」
「何故それをお前に言わねばならない?」
「……ま、それもそうだね。別に止めないけど、早く行かないと城の人達が起き出すよ。老人の朝は早いって言うでしょ」
 ぶすっとした表情でジャキが空き部屋の窓を示す。そこから出られそうだ。そのまま立ち去ろうとした魔王にアルファドが小さく鳴いた。
「…………なんで僕以外に懐くのさ」
「フッ……そういうことも有るのだろう」
 魔王は数歩引き返し、ジャキの頭をぐしゃっと撫でつけた。その頭の高さが、思っていたのよりも少しだけ高いように感じた。
「……気にくわない。早く行って」
 ジャキが魔王の手から逃れ、更に機嫌を悪くして言った。魔王は薄く微笑み、
「サラを泣かせるなよ」
「なんでそんなことあんたに言われなきゃいけないの」
「それもそうだな。俺とて気にくわん」
「?」
 意味を図り損ねたのか、首を傾げたジャキに魔王は背を向けた。そのまま天空の城を後にする。
 これからどうするのか? 知るものか、そんなこと。
 俺は、サラが笑っている事実だけあればそれでいい――――。



「……おはよう、姉上」
「あら、どうしたの、ジャキ。こんな早く……」
「僕、姉上を守るよ。これから、もっと、強くなる。――――絶対に」
 サラは一瞬驚いた顔をして、それから優しく笑った。
「そう――嬉しいわ。じゃあ、貴方にこれをあげる。私の祈りが込められているわ。……あら?」
 こんなところに置いただろうか。それに、何処となく古びている?
「姉上?」
 ジャキが怪訝そうな顔を此方に向ける。きっとそのうち思い出すだろう。枕元のそれを取り上げて、ジャキの前に差し出した。
「……何でもないわ。さあ、手を出して――――」



 Happy end...?

*あとがき*
こんばんは、月城です。GWに更新すると言っておいて更新してませんでした。申し訳ありませんっ!!
さてさてこれで5作目。企画小説も終盤に入ってまいりました。そろそろネタが限界を迎えております(笑)一応大体の話は決めてスタートした企画だったのですが、何故か話が被るかもしれないという危機を迎えたので、急遽話を方向転換致しました。
今回は予言者×サラです。苦手な方ごめんなさい……。昔から魔サラはあまり書かないけれど予言者verの魔サラはOKだろうという奇妙しな感覚を持っているので…。最近はもういっそジャキ×サラじゃなければいいんじゃないかとか思い始めちゃっているので…汗
前作のあとがきで「次はハッピーエンドを目指す!」とは言ったものの、ちょっと曖昧な感じになってしまいました。次は……バッドエンドを予告しておきます。
また、次の更新は5月末〜6月上旬辺りを目標にしていますっ!!
ここまで読んで下さった皆様、本当に有難うございます。あと少し、お付き合いいただけたら幸いです。


2012.5.13


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