2.別れ




「ねぇ、アルファド」
僕は紫の毛並みをした猫をそっと撫でた。
にゃお、と可愛らしい声をあげるアルファドを見ると心が安らぐ。
アルファドに餌をやりながらそっと語りかける。
「姉上、最近忙しいみたいなんだ…。ちっとも遊んでくれないし…。母様、違う。女王の手伝い始めてからやつれてて…」
そこで言葉を止めた。
 言葉にしたら本当にそうなるような気がしたから…。
…このままじゃ姉上まで母様みたいになってしまうかもしれない。
変わらないと約束してくれた、でも。
どんどん姉上が僕から離れてく気がするんだ。
「考えすぎかな」
ふぅ、とため息をついた時、扉が叩かれた。
「誰……?」
滅多にこのお休みの間に来る人なんかいないのに。
そっと扉を押し、細く扉を開ける。
そこに立っていた人影を見た途端、僕は安堵の笑みを浮かべた。
「ボッシュ!!何の用?」
「ちと、声が大きいの。もう少し小さな声で喋ってくれるか?」
ボッシュが自分の口に人差し指を当てる。
「あ、うん。ゴメンね。さぁ入って」
「サラはいるか…?」
「姉上?姉上なら女王と海底神殿の建設現場に」
「そうか…なら良い。今日はお前に用があるのじゃ」
「僕?珍しいね。何?」
何だろう、と首を傾げるとボッシュは身を乗り出して僕の眼を覗き込んだ。
「な、どうしたの?」
一瞬目を細め後、ボッシュは首を降り、僕がすすめた椅子に腰掛けた。
「お前、魔力はどうしたのじゃ?」
「ま…りょく?」
怪訝な顔をする僕にボッシュが詰め寄った。
「そうじゃ。お前は強大な魔力を持っていた。サラやジール女王に勝るとも劣らないほどのな。…だが今はその片鱗すら見えん。…何故だ?」
考えようとしたその時、左胸が痛んだ。
心臓が疼く。
…まだ…まだ早い…。
小さな囁きが響く。
「ジャキ?どうした?」
床に膝をついた僕の腕をボッシュが掴む。
徐々に痛みが収まってきた。
肩で息をしながらボッシュの腕を頼りに立ち上がる。
「わかんないよ。僕には…力なんてない…」
「そんな筈は…お前には力があった。その力が有りさえすれば女王を止められるやもしれぬのに…」
その言葉に僕は身を乗り出した。
僕には力がないんだと思ってた。
ずっと姉上の役に立ちたい…違う、昔みたいに姉上に笑ってて欲しいって思ってた。
そのために女王…母様を喰らっているラヴォスを倒したいって…。
「本当に?」
ボッシュは深く頷いた。
「そうじゃ。もうすぐ海底神殿が完成する。わし等の魔力じゃ女王に太刀打ちできんがお前の魔力があれば…」
「ボッシュ!!」
突如危機迫った声が響き、僕は驚いて後ろを向いた。
ボッシュはしまった、と言うように顔を歪めた。
サラが壁にもたれ掛かるようにして立っていた。
 その目は鋭くボッシュを見つめている。
「ジャキの魔力は消えたのよ…」
姉上が視線を床に落とした。
その様子を見て、僕は直感した。
嘘だ…。
姉上は嘘をついてる…。
僕には分かる。
どうして?
「消えた?そんな筈はない。魔力は天性の物…」
「お帰り下さい」
サラが儚げに、それでいて凛とした声で言い放った。
「サラ…!わしは…」
なおも食い下がろうとするボッシュにサラは悲しげに目を伏せた。
「お願いです…。私を混乱させないで…いえ、この子を巻き込まないで…」
懇願したサラにボッシュが諦めたように呟く。
「サラ…。何故だ?お前程の者なら女王に逆らう事も可能じゃろうて…」
「…」
ボッシュが部屋を後にする。
ふらり、とよろめいた姉上に僕は駆け寄った。
「いつもより顔色が悪いよ。女王に何かされたの…?」
「そんなことないわ…」
しかし、サラは倒れ込むように寝台に横になった。
姉上の荒い息遣いだけが響く。
僕は沈黙が嫌でつい、声をかけてしまった。
「さっきボッシュが言ってた事なんだけど…僕には魔力があって、それが戻れば女王を止められるって…だから」
 サラの体がびくり、と震えた。
「どうやったら」
「ジャキ」
姉上が僕の口にそっと手の平をあてた。
「力を欲してはいけないわ。母様のように力に捕われてしまう。私は貴方にそんな風になってほしくないの…分かって?」
「でも…僕は姉上の力になりたいんだ」
姉上が一瞬困ったような顔をして、その後フッと笑った。
「私は大丈夫。自分で何とかできるわ。貴方は母様に関わってはいけない。…さ、今日はもう休みましょう…」
寝台にまた横になった姉上はすぐに寝息をたて始めた。
「僕は、姉上に笑ってて欲しいだけなのに…」
真ん丸くて大きな月が窓の外からその様子をじっと見つめていた。


◇+----*†*----+◇


「…ボッシュ」
小さな声で僕はボッシュの名前を呼んだ。
「…っと、ジャキ!どうしたのじゃ?こんな夜中に」
ボッシュが驚いたように僕を見る。
僕は廊下に音が響かないようにそっと扉を閉めた。
「今、姉上は寝てるんだ。だから来たんだけど…」
「何か、用なのだな?」
ボッシュが先を急くように言葉を続けた。
僕はこくりと頷いた。
「さっきの話の続き。僕には力が無いと思ってた。でも、力があるのならそれを使って女王を止めたい、ボッシュ達に協力したいんだ」
ボッシュは顔を輝かせた。
「お前がそう言ってくれるのならわし等としても助かるが…サラには言わんで良いのか?」
少し考え込んだ後、僕は結論をだした。
「うん。心配かけたくないし…」
そうか、とボッシュが頷いた。
「ではまず、お前の力が消えてしまったのかを探る必要がある…。わしの魔力で足りるか分からぬが、お前の魔力を探っても良いか?」
「いいよ。やってみて」
よし、とボッシュが呟いて僕の左胸に手を当てた。
違和感の後赤い光がボッシュの手の下から漏れている。
「うっ!」
突然ボッシュが飛びのいた。
「ど、どうかしたの?」
「…封じられておる」
「?」
意味が分からなくて僕はボッシュを見つめた。
「わしはお前の中に確かな魔力を感じた。…しかしそれを呼び起こそうとした途端、お前の魔力では無い力がわしを拒んだのじゃ…。そんな事を出来るのは、サラしかいない。サラは、お前の力を封じる事によって…女王の矛先がお前に向かないようにしたのじゃろう…」
ふと、あの日の事を思い出す。
目の前に姉上が立っていて、僕の左胸に手を当てていた。
その後視界が真っ青になって…。
あとの記憶が無い。
気がついたら寝台に横になっていて、胸の奥に巣くっていた何かも消えてしまっていた。
黙りこくったジャキにボッシュは目を細めた。
「何か思い当たる事があるのじゃな?」
僕は戸惑いながらこくり、と頷き、ボッシュをしかと見据えた。
「…解けるの?」
「…難しいが、方法が無いわけではない」
僕はその言葉に俄然身を乗り出した。
「どうやって?」
ボッシュがむぅ、と唸った。
「その封印はな、時の経過で解ける物では無い。しかし何時かは解ける。封印は永遠では無いからな。…だがわしらは待つわけにはいかぬ。海底神殿は間もなく完成する」
「じゃあ…どうすれば?」
「一か八か…海底神殿のラヴォス・エネルギーを利用するのじゃ。それ程の力がなければこの封印は解けぬ」
「ラ、ラヴォス?」
ラヴォスは…怖い。
母様を変えてしまったラヴォス。
でも…。
「分かった。僕は…どうすれば?」
僕が頷くとボッシュはゆっくりと先を続けた。
「そうか…幸い、わしら三賢者は海底神殿完成に立ち会う事になっている。その時にお前を潜り込ませてやろう。段取りはわしらで考える。……今日はもう寝るのじゃ。体を休めい」
「うん…」
僕は、静かに部屋を後にした。
冷えきった廊下を見た僕は、廊下がどこまでも続いているかのような錯覚に陥った…。


◇+----*†*----+◇


それから僕は、海底神殿のこと、魔神器のこと、ラヴォスのことを調べた。
何か役に立つかもしれないと思ったから。
今日は久しぶりに姉上が早く部屋に戻ってきた。
「姉上」
「なぁに?ジャキ」
今日はだいぶ顔色がいい。
僕は姉上の眼をじっと覗き込んだ。
…大丈夫。母様みたいな眼じゃない。
 ホッと息をついた僕の頭を柔らかい物が撫でた。
「怖い顔して…どうかしたの?」
姉上が微笑んでいる。
一瞬、昔に戻った気がした。
時間が止まれば良いのに…。
だが。
大きく叩かれた扉。
響いた声は…。
「サラ様!ジール女王がお呼びです。とうとう海底神殿が完成したそうです!」
姉上の顔が笑顔を張り付けたように硬直したのが分かった。
「分かったわ…」
サラの手が逃げていく。
侍女についていこうとしたサラが急に振り返った。
僕に近づき、何かを手渡す。
それはキラキラと不思議な輝きを放っている銀の鎖だった。銀板の上には青い石がそれと無くはめ込まれている。
「これ、何?」
「お守りよ。私のペンダントと同じ石。…貴方を守ってくれるわ。それに…」
サラが何かを言おうとした時、侍女の悲痛とも取れる声が響いた。
「サラ様!お急ぎ下さい!でないと私が女王様に…」
「ええ、ごめんなさいね」
最後に哀しそうな笑みを浮かべて姉上は僕を見て、部屋をでていった。
姉上…。
なんて言おうとしたの?


◇+----*†*----+◇


「アルファド…!どうして此処に…?」
此処は海底神殿。魔神器の間の控えの間。
こんな所にアルファドがいる筈ないのに…。
その時、真っ赤な光が魔神器の間からほとばしった。
「キャアアッ!」
悲鳴?
「アハハハハッ!」
高らかな笑い声。
姉上…女王…!
三賢者には呼ぶまで待っていろ、と言われていた。
でも…。
僕は覚悟を決めてまだ赤い光が漏れている部屋の中へと入ろうと一歩前に出た。
アルファドが怯えたように足にじゃれついている。
「アルファド…。どうやって此処まで来たのか分からないけど、戻りなよ…」
アルファドは僕から離れない。
また、赤い光が強くなった部屋を見て僕は仕方ない、と歩き始めた。
「…にゃう…」
アルファドが怯えたように短く、鳴いた。その声を後ろで聞きながら部屋に飛び込む。
「ジャキ…!来てはだめ!」
「え…?」
静止の声が聞こえた。だが、次の瞬間視界がぼやけ、青く染まった。
そして次に目を開けた時そこにはラヴォスの姿があった。
怖気が立った。風の泣く音が強く聞こえた。怖かった。
驚いたように僕を見つめていた三賢者が突然声を発した。
「これは…タイムゲート!?」
「しまった…!」
三賢者が空間に表れた歪みに吸い込まれていく。
空間が捻れたようなその場所に僕らは居た。
女王は冷たく、それでいて楽しそうに笑っていた。
姉上が驚いたように僕を見て、手を伸ばした。
でも、もう遅い。
僕の身体は突然表れた歪みの中心に引きずられていく。
滲む視界の中、姉上の絶望したような表情が目に入る。
その絶望を吸うかのように…いや、勝ち誇ったようにラヴォスが悍ましい咆哮を轟かせた。
ラヴォスの姿がくっきりと見える。
あれが、僕を…僕の家族をめちゃくちゃにした。
あれが、母様を変えた。
あれが、姉上を苦しめた。
……許さない。
僕は、お前を、絶対に許さない!
この前感じていた恐怖はもう感じなかった。
 あるのは、憎悪だけ。
その時、怒りと憎しみと哀しみが混じった涙が歪みの中へと落ちた。
それを最後に視界が真っ暗になる。
堕ちる…。
堕ちる…。
どこまでも。
その先にあるのは…何?


←章一覧←Menu←Top