【1059taisen】
菊花の酔い
鈴や弦やを身に備え。
奏で奏でる秋の夜―――

一益は、喨々として鳴り渡る虫達の音色を肴にしつつ。
ただ一人、庭先を臨みながら杯を傾けていた。
夜に紛れ姿の見えぬ者達の演奏は、途切れる事無く多様に音を混ぜ合わせ一益の耳を愉しませる。
そうして耳を愉しませているのが虫達であるのなら。
目を、愉しませているのは。

「…見事に咲いたものだな」

まだ、酔いは完全に回っている訳ではない。
しかし慈しむ様に見詰める、その瞳には僅かながらも酔いの色。
送る目線の先には、仄かに上気し赤らむ一益とは対照。
月明かりの下で、凛として佇む菊の姿を愛でていた。
戻る頃には秋であろう、と。
花咲く前の、幾本もの蕾の菊を屋敷の庭へと飾り立てて戦へ赴き。
雲が天高く在る頃、約束を守る様に戻った一益は。
総ての蕾が、余す事無く花開いた菊花に出迎えられたのだ。
すっくと立つ姿や良し。
夜を心待ち、人の寝静まる刻にそっと…戦勝の祝杯を。
密やかに煽る。
美しく立ち咲く菊花の前で、着崩した楽な格好と姿勢で酒を煽るというのは一種の優越を想う。
それなら虫達の演奏もまた、ひとつ戦勝の褒賞であろうか。
そんな事を思いながら、一益は空いた杯に新しく酒を注ぎ。
煽る前に今一度、菊の姿をぐるりと見渡す。
白は雪、黄は和かな陽。
一足早い、穏やかな雪景色の様。
つ、と。
持ったままの杯を口唇へ運び、巡る四季の美しさに馳せる想いを新たな肴として煽ろうとしたが。
杯の中、注いだ酒が映す自分と目が合い手を止める。

どうせ―――なら。

ゆっくりと縁側から立ち上がる一益は、庭の菊へと近付く。
近くに見れば、益々もってどれもこれもが見事に花開いており。
一輪、また一輪と見詰める度に一益の表情は綻ぶが。
同時に、これから自らが行おうとしている事に罪悪も生じる。

「…悪いな、今夜だけだ」

ぽつりと菊へ語り掛け。
白と黄を一輪ずつ選び、その花弁へ指先を添えると。
やはりその大輪、罪悪からの躊躇いは覚えたが…意を決し。
一益は、ぷつりと菊の花弁を千切り杯の中へ小舟の様に浮かべる。
白も、黄も。
千切る…とは言うもの、菊の形を醜く崩してしまう量ではない。
それでも。
申し訳なく思う一益は花弁を失った痕を優しく撫で、いとおしむ。
一歩、退き。
菊酒へと変わった杯の中へ双眸を移してみれば。
天上で輝く月が映り、菊花の船が酒の風に揺れている。

あと一歩、だな。

そう思った自分に、一益は自嘲の笑みを浮かべた。

何を言っているのか―――充分に、贅沢なもんだ。

杯の中の花鳥風月。
その美しきが掌の内に在る事、双眸を細め先程の自嘲とは異なる幽かな。しかし喜びを秘めた笑み。
杯を一息に煽り、喉元を過ぎる酒は格別に美味いと感じられる。
縁側へと戻る一益の足取りは、まだ酔いに千鳥ではない。
だから、だろうか。
一益は空いた杯に早速、次の酒を注ぎ入れた…が。
すぐに呑もうという気配も無い。

「あんたも、一杯どうだい?」

常人の傍目には、酔いが回り菊へと語るに見えたであろう。
手に取る杯を軽く差し出す様に上げ、誘い招くに。
一体、誰が応じようか?


……だが。


―――白菊、が。
ひときわ、大きな一輪の白菊が。
一益に応えた。

「…フフ…化生が、そうも酒を呑むのは感心せぬな…」

白菊―――が。
確かに、其処に立っていたのは白菊であった筈。
しかしながら。
今となっては凛とした空気を漂わせたまま腕を組み、一益を見詰める段蔵の姿しか認められない。
そんな段蔵の視線を一益は、さも当然として受け止め。

「取り敢えず、あんたも…こっちで見たらどうだ?…あんたを観てるのも、俺は悪くないがな」
「世迷い事を…」

とは、返すものの。
段蔵は組んだ腕を下ろし、するりと一益の居る縁側へ近寄る。
千鳥足ではない…だけで。
柱に身体を寄り掛けて段蔵を見上げる一益は、やはり酔いが回り。
普段には見せない様な、砕けた笑みと紅差す頬。

「…酔っ払いが…」
「そう言うなよ。…ああ、近付くまで…あんたに気付かなかったのは悪かったぜ。拗ねてるか?」
「…貴様の口は酔うと殊更、始末が悪くなる様だな」
「そうか?」

くつくつと笑む一益を。
それ以上は呆れた様にして何も言わず、段蔵は見下ろす。

「…まあ、折角だ。突っ立っていないで座ったらどうだい?」
「…フン…」

返答自体は素っ気ないものであったが、反する気は無く。
一益の隣に段蔵が腰掛ける、と。
柱に寄り掛けていた身体を離し、一益は段蔵へと寄り掛け直す。

「…貴様、俺は柱の代わりか」
「ふふっ、そろそろ…柱じゃあ背には硬くなってきたからな」
「…これだから、酒は」
「そうだな、どうしたって感覚は鈍るし気も弛む。忍びの間は嗜まなかったが―――今、は」

言い掛けて。
何時もの堂々巡りになるだけかと一益は止めたが。

「ククッ、何だ。酔いを許すは人の利…とでも言うか?」
「…まあ…そうだな」
「フフ、その様な享楽なぞ霞む悦をくれてやっているつもりだったが…劣るとは心外なものだ」
「それはそれ、だぜ」
「クク、存外に強欲な事だな」

とす、り。
一益は段蔵の肩に預ける様に頭を寄せると。
それ以上は返さなかった為、辺りには再び虫達の音色だけ。
己の身体の支えを段蔵に委ねたからであろうか。
虫達の音色、月明かりの菊花、酔いの身体を預ける心地好さに。



ふっ―――と。



「…おい、貴様。…起きろ」
「…うん…?」

幾らの刻という事は無い。
本当に、僅かばかりの時間だけ一益は酔いに寝落ちた。
それだけの事、なのだが。

「…まだ、俺は…生きてるか?」
「…俺まで勝手に冥府へ連れて行くな。今度は何の戯言だ」
「あんたなら、それくらい出来そうかと。…まあ、そうか…」

刹那の別れ。
眠りによる闇から覚めた一益は、しかしそれが。
今まで目に、耳に感じていたものは―――此れ程まで、に。
想えたのだ。

「そうだな、俺は…こんな綺麗な場所へは逝けないからな」
「…クク、やはり戯言だ…」

或いは、浮世離れした段蔵が傍に居るからかもしれない。
境目が朧になる。
だが一益は、それで。
それで、良いのだと。

「…ところで、注いでしまったんだが。…呑まない、か?」
「貴様が、よく解っている筈だと思うがな」
「…だよな」

無意識に傍らへ置き。
そのまま忘れ去りそうになっていた、酒で満たしたままの杯。
返答は知れたものだが…目に留めた一益は改めて杯を手に取り。
段蔵に問うが、やはり。
返すを聞くと杯を自らの口唇に寄せ、酒を含む。
含んだ、だけだ。

「…ン…っ…」

寄り掛かるまで近きに在れば、縋り抱き締めるは容易い。
そっ、と。
一益は段蔵の口唇を全く躊躇いなく奪うと、口端から零れるのも構わずに酒を共有しようとする。
酒を交わらせて口吸いを。

―――嗚呼、これだ。
足りなかったのは。
空を飛ぶ、鳥の様に自由な。
あんたの味が。

杯の中の花鳥風月が総て満たされた、その酒は。
他の如何なる酒をもってしても敵わぬ、極上の美酒だと。
溺れる様な口吸いの中で。
一益は想った。

「…もっ…と、欲しい…ぜ」

殆んど手探りで、多くは残っていない酒を手繰り寄せる。

「フフ…それはどちらだ。俺が、か?酒が、か?」
「ふっ…あんたでも、妬いたりするんだな。…それとも、もう慣れない酒が回ってきたのか?」
「クク、ならばどうする…」
「そうだな…あんたも、もっと酔えよ。…酒、より俺に―――」

何だ、あんたの事は言えないな。

誤魔化す様に一益は残る酒を総て口に含むと。
再び段蔵と口唇を合わせ、咥内の酒を口吸いながら呑み交して。
酒が失せた後も、互いが互いを欲するを認めた口唇は。
離される事無く貪り合い。

「…ッふ、う…ン…」

段蔵の首に腕を回し、抱き寄せていた筈の一益だが。
気付けば、段蔵からも捕える様に抱きすくめられており。
ぐる、ん。
世界が揺らいだと思った時には段蔵に押し倒され、背を。
縁側へと着けていた。
秋風の中。
覆い被さる段蔵の体温は、どうしようもなく恋しくて。
口唇を離された時。
一益は自分でも解る程に欲し、懇願する双眸で段蔵を見上げた。

「クク…その様子では、多少キツくしても構わぬ様だな…」
「何だ、結局のところ逝くんじゃないか…ふふ…」

酒はもう、無い。
今からは互いの熱に酔う。

今一度、待ち望んだかの様に重なり合わせた…ふたつの影を。
月明かりに照らされた菊達は、ただ静かに見守っていた。

■終幕■

◆天正14年9月9日。
滝川左近将監一益が没した日なので…旧暦ですが忌日の合わせ。
直すと1586年10月21日かな?
でも9月9日なら重陽・菊の節句でもある為、話の軸として流れに取り入れ易いと思って(*・ω・)
戦国を始めて初めて巡る一益の命日ですので、思いっきり菊を。
菊酒は、ちゃんと仕込みをした上で重陽に呑むお酒だけど…即興でも…うーん、駄目なのかな(汗)
本来は陽の最高数9がダブルという、おめでたい日な訳で。
それが命日、そして菊。
その上に段益(苦笑)
話の傾向を、さてどうしたものやらと思いましたが。
エロ抜きで可能な限りの段益的イチャイチャ(*´∀`)
という辺りに着地した模様。
結局のところ甘々とか大好き、でも段益は糖度加減が難しい。
そのラインを探るというのも楽しいものではありますが♪
しかしエロ抜きと決めたものの、やはり段益はついついエロスを求めてしまう訳でありまして。
…この流れだと、着衣騎乗位かなとかげふげふ(…)

来年、また菊の季節が巡る頃。
一益を偲んで小噺を書く事が出来たら良いなあ…と。
…それまでには、九鬼嘉隆が追加されててくれるよね(願)
元海賊と元忍者の織田水軍コンビも気持ちの準備は出来てるよ!

2011/09/09 了
clap!

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