【1059taisen】
恋の花はちいさくて
夜に紛れた口付け。
誰の目にも触れない港外れで月影を受けた、ふたりが重なり合う。
静かな波音と口唇の温もりに意識が寄せられる柔らかな心地。
それは―――とても優しいといえば、確かにそうかもしれない。

「ん…っと、かず…っ…」

口唇を離そうとした嘉隆に、一益がまだ欲しいと求めた。
嘉隆の背に腕を回して数度の短い口付けを贈ると、遠慮がちにしていた嘉隆も深い口付けで応える。
抱き締め合いながら時折、角度を変えて互いの熱を交わらせ。

「ふ…ンんっ…」

鼻から抜ける甘ったるい声はどちらのものか、闇夜に失せて。
背に回した腕は身体を弄り合い。
一益が薄く開いた口唇から舌を覗かせれば、ちろりと嘉隆の口唇を舐めて咥内へ誘い招く合図。
舌先同士を戯れに絡め。
徐々に嘉隆は熱っぽい一益の咥内へ舌を挿し入れて掻き回す。
時折、口端の隙から漏れる水音は波の音色とは異なり耳に付く。
ゆるりと歯列をなぞり上げ、呼吸すら忘れた長い長い口付けに。
銀糸を引いて、幕引き。
海中から漸く逃れた様にして、嘉隆と一益は酸素を欲した。
港を照らす松明からも離れた暗がりでの逢瀬である為、一益からもなのだろうが嘉隆には表情を窺うという事が出来ない。
情熱的な口付けの後であろうと、涼やかな一益の表情は崩されていないのだろうとは思うが。
僅かに紅潮して色香に満ちた双眸を、きっと自分へ向けてくれて。
そう想うだけで、嘉隆のこころはときめきに跳ねるけれど。

「はっ、はあっ…ごめん…無理矢理じゃなかったか…なっ…」

同時に去来するのは、自分勝手ではなかったかという後悔の念。
見えずとも。
一益は容易に、嘉隆の申し訳なさげな表情を浮かべる事が出来る。

「俺が誘ったんだ…お前が、そんな気にする必要は無いだろう。」
「ん、ンな訳にはいかねえよっ!強引過ぎたら…抑えるから…」
「…嘉隆…」

―――恋人、という関係に至りぽつりぽつりと思考の違いが現れた。
高尚でも高潔でもない自分に、嘉隆はどうして遠慮を見せるのか?
理解らなかった。
まるでそれは「汚してしまった」という扱いで、嘉隆が望むのならば幾らでも乱れて構わないと。
酷くしても構わないと。
そうした関係性なのだと思っていた俺は途惑うしかなかった。
嘉隆の方が、どれだけ綺麗で純粋なのか分からないのだろうか?

一方の嘉隆は。

―――自分の「モノ」だと。
愛する人を愛し過ぎて。
恋心は何時しか「所有」の想いを芽生えさせてしまった。
自分だけが知る場所へ閉じ込めてしまいたい欲望に抗うのに、一益はそれでも構わない素振りを。
俺が欲しいのは「所有」じゃない、望んだ恋心のカタチは。
なのに、だから。
一益殿が自分を大切に出来ない事が悲しいのだと分かってくれよ。

「…な、嘉隆…」
「わ…え、えっ?一益ど…の…」

嘉隆の頬に刻まれた古傷へ、一益がそっと口付ける。
傷が容易くは消えぬ様、違える思考の溝も簡単には埋まらない。
―――けれど。
嘉隆と一益はお互いの「すれ違い」に気付く事が出来ていた。
時間は掛かるのだろう、でも。
すれ違いが解るからこそ相手をたくさんたくさん理解したくて。
恋を、育める。

…ちゅ…っ…

「一益殿っ…へへ…っ…」
「…ふふ」

嘉隆の遠慮が及ばぬ程度の、ちいさなちいさな口付け。
こんな事を言ったら気にするか。
海によく出ているからか嘉隆との口付けは少しだけ塩辛い味、甘いだけではいられない自分達に…似合いの味だと一益は想う。

「…そうだっ!一益殿に見せたいモノがあるんだったぜ!…ええっと…急いで戻るから、此処で少しだけ待っててくれっ!」
「?…ああ、分かった嘉隆」

愛らしい口付けに互いの表情は綻び、くすぐったい気持ちの中。
唐突に嘉隆が一益の両肩を掴んで「待っていてほしい」念を押し。
了承の返答を聞くや否や走りだして場を離れていった。
残された一益は戻るまでどれほど待たされるのか見当が付かず。
しかし気長に待つかと、港の灯を遮断して人目に付かぬ暗がりを作っている小屋にもたれ掛かる。
…と、近付き聞こえるのは存外に早かった嘉隆の駆け足。

「待たせて悪い、一益殿っ!」
「別に構わないが…一体、何を見せてくれるというんだ?」
「へっへっへ…」

先程までは夜闇で窺う事が出来なかった嘉隆の笑う表情。
それが今は、嘉隆が小さな灯を手にしている為に揺らめく橙の奥で満面の笑顔を覗かせており。
釣られる様にして一益も、嘉隆へ笑顔を零して「モノ」を問う。
必要なのは火、か。

「んしょっ…コイツこうしておいて…っと!…そんでもって…」

持ってきた小さな灯を嘉隆は地に置き立たせ、腰に下げていた袋の中身を開いてごそごそ弄ると。
幾本もの細い"こより"状の束を一掴み、取り出して見せた。

「…何だ?」
「んっと…見せたいモノとか言っといて、上手くいくかどうか正直なトコ分からねえんだけどっ…」

束の中から一本を選び、先の具合をまじまじと確認。
だが言葉の通りそれで確信が持てる事ではないらしく、しゃがんだ嘉隆の顔は橙の中で笑顔から一転して不安なものに変わる。
そろそろと。
"こより"の先を火の元へ―――

……パチッ……パチパチッ!
パチパチ…パチチッ!

「よ、良かった咲いたっ!」
「これは…」

細身の先で花が咲く。
咲いては消え、咲いては消えを繰り返す刹那の花を生むのは火。
この連続性と花咲く姿、火花とはまた異なる趣き。
思わず一益もしゃがみ込んで、ちいさな花をしげしげと見詰め。
けれども花の命は短くて、徐々に開花の勢いを鈍らせると終にはぽとりと花を生む火玉が地に。

「あああっ!チクショウ…」
「嘉隆が作ったのか?」
「お、おうっ!船に積める新しい火器が出来ねえかなって火薬を弄ってたら偶然、花が沢山咲くみてえに弾けたんだっ!」
「そうか…俺もやってみたいんだが、いいか?」
「勿論っ!…ただ…火薬の具合によっては咲かねえみたいだし、コレっ!て分量も分からず仕舞いだったからハズレもあるかも…」
「成る程な、ちょっとした運試し状態という訳か…どれ」

嘉隆が差し出した束の中から一益はひとつを選び。
火薬の付いた先を静かに橙の中へ落とすと、短い筈だが長く感じられた静寂の後に花が弾け出す。

パチパチッ…パチパチパチ!

「うおっ、凄え!今まで試したのと併せても一番、綺麗に咲いているぜっ!さすが一益殿だっ!」
「ふふ…作ったお前が凄いんだろう、俺は選んだだけだ」
「かもしれねえけど、半分くらいは咲かねえと思うし…そん中からソレを選ぶってのはさ、やっぱり一益殿が凄いからだぜっ!」
「…じゃあ、そういう事にしておくとするかな。ふふっ…」
「そうそうっ!…へへっ…」


恋の花は―――ちいさくて。
こんなにも、儚くて。
落ちてくれるな揺れる火玉。


優しい色で幾つも幾つも弾け咲く花を見詰める嘉隆と一益は。
同じ想いを抱き、火玉が絶えるまでの短き刻を永劫として秘め。
恋人として過ごす柔らかな時の総てを、花の中に閉じ込めた。

■終幕■

◆5月28日の花火の日に寄せて…ですが少々間に合わず(苦笑)
なので6月12日の恋人の日に合わせる格好にしてみましたよ。
最近よく書いている中では九鬼益は恋人恋人していて良かった。
とはいえ基本的には花火の日に向けた内容のつもりでして。
季節的に打ち上げ花火は早いと思ったので、ささやかに線香花火をする九鬼益とかどうかなと。
しかし観賞としての花火はやはり江戸からという事で線香花火の由来も、どうやら江戸になるか…
ちょっと迷いましたが、材料内容と作りは線香花火なら何とか辿り着けそうな…着け…るかしら、頑張ってくれ嘉隆!(笑)
嘉隆が頑張った事にしました。
何度か触れましたが、大戦一益は恋愛に対して欠如しつつ自信家な物言いとは裏腹に自身を過小に見ているイメージが有るし。
大戦嘉隆は、一益への恋慕が所有にすり替わりそうな狭間で葛藤しているイメージが有りまして。
でも、その中で恋を育んでいるのを書くのが九鬼益だなーって。
そういう方向性が自分の中で決まってきた気持ちです(*・ω・)

2013/06/12 了
clap!

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