【1059taisen】
春の優しい雨
春一番は過ぎ去りて。
麗らかな日和が続き始めた矢先。
海から届く、南風。


「一益殿っ、一益殿ー!」
「どうしたんだ?嘉隆」
「船から裏手の山を見てたら、桜が満開みてえなんだよっ!」
「ああ…もう咲いたのか」

潮風を纏ったままの嘉隆が、春一番の勢いで一益に駆け寄る。
春告げ鳥よりも早く、早くに。
そんな嘉隆が話す桜の事は一益も覚えが有り、ここ数日の暖かさならば開花は近いだろうかと。
実は密やかな心待ちとしていた。
故に、嘉隆の告げる春の便りへ一益はほろりと顔を綻ばせ。
その表情に嘉隆は、脈有りと見て本題を切り出す。

「今が丁度見頃なんじゃねえかと思うから、その…良かったら俺と花見とか…どうかなって…」
「…大丈夫なのか?」
「へっ、な、何がっ?俺っ?」
「…山な訳だが…」
「い、いやっ、そりゃあ俺は出来れば海の方がいいけど…山に入ったからって気分が悪くなるとか、ンな事は無えって!」
「ふふ、分かってる冗談だ」
「う…あう…」

ついつい。
真っ直ぐな嘉隆を見ていると、からかいたくなってしまう。
受け取る一益には、眩しいくらいに真っ直ぐ過ぎるから。
だから。
一益なりの―――嘉隆だけに許された甘え方でもあるのだけれど。

「…今から見に行く…という話で構わないか?嘉隆」
「え…あっ、ああ!」
「それじゃ行くとしよう」
「おう!…へへっ…」

花の開花を促す柔らかな春の陽光は、ふたりの事も芽吹かせて。
風に流れた薄桃の花弁が一片。
早くおいでと、伝える様。

―――…

「…満開…だと、思ったのに…」

裏手の山に密集して自生する山桜の下へと辿り着いた嘉隆と一益。
確かに花は開花していた…が。

「もう少し、後だったかなっ…」

申し訳なさそうな嘉隆の言うとおり、近くで見ると満開と表現するには未だ時を必要としており。
蕾のままの枝も目に付く。
そうは言っても花を愉しむ分には充分な咲き具合なのだけれど。
満開の見頃であると思ったからこそ一益を誘い出している嘉隆からすれば、気まずい心地だろう。

「…この位の方が丁度良いさ」
「でっ、でも…」
「満開は…その瞬間から、盛りを失い散るだけだからな。花を満開で止める事は…出来ない」
「…一益殿…」

自分に気を使ってくれているのだろうとも感じられる。
けれどそれ以上に嘉隆には、咲く片端から舞い散り始める花弁と儚げな隆盛観を語る一益の横顔。
それらがあまりにも噛み合い、桜の中へ消えてしまいそうで。
言葉に出来ぬ歯痒さ。
何が自分に、出来るのか。

…ポッ…ポツ…ッ…サアァ…

「…いっ…!?…な、雨っ…!?」

舞い散る桜の中で二人が押し黙り掛けたところに、混じる雨粒。
雨の気配は感じられなかったのに、等と考えるよりも先。
まず濡れて身体を冷やしてはならないと嘉隆は一益の手を取った。

……ぎゅうっ!

「一益殿っ、あの木で雨宿り!」
「…それが良さそうだな。」

枝振りが良い桜の木を示すと急ぎ駆け出して本降り前に辿り付き。
どうやら雨は、しとしとした弱いものであるらしかったが。
細切りながらも切れ目の無い春雨から、雨宿りは正解だろう。

「何も、一益殿と花見をしようって時に降らなくてもよ…」
「この空模様なら長く降る雨じゃない、じきに止むだろうさ」
「…なら、いいけどっ…」

嘉隆が空を見上げれば、長くは降らぬという一益の言う通り雲には切れ間があり空は寧ろ明るく。
優しい雨音に桜の薄桃が滲み、これはこれで趣の有る春の景色。
一益も同じ事を感じてくれているだろうか、様子を窺いたい。
窺いたいのだが、今の嘉隆には何となくそれが出来ず。
駆け出した際に夢中で取った一益の手を、まだ握ったままで。
視線が合ってしまうと、離さなければいけない様な気がしたから。


ただ―――手を繋いでいる。
それだけの事だ。
身体の関係だって有る事を思えば、些細な行為に過ぎない筈。
なのにこんなに、照れくさくて。
なのにこんなに、大切な繋がり。


(…俺がっ…出来る事…)

桜に消えてしまいそうだ、と。
抱いた消失の想いを現実にしない為に出来る事。
繋いだ手、力強く握り締め。

……とす…ん……

「かっ、か、一益殿…っ?」
「最近…夢見が良くなくてな…」

繋ぐ手はそのまま、一益の頭が嘉隆の肩へ静かにもたれ掛かる。
桜と春雨に霞みそうだった互いの存在が、近付く。
まだ嘉隆は一益に目線を送れていないけれど、零した言の葉から察すると双眸は閉じているか。
布武への邁進に従い、転戦を重ねる一益のこころを蝕む芽。
表には決して出さないが故に、内へと押し込める脆さ。
咲かせてはいけない花。

「…この雨が…上がるまででいいから、手を離さないでくれ…」
「上がったって離さねえよっ…」
「…そう…か、嬉しいぜ…」


春雨は今も降り、花弁が舞う。
盛りながらも散り往く桜はどうしようもないくらい綺麗で、貴方の事を想起せずにはいられない。
然れど、散らせてなるものか。
無骨で不器用な―――この手は。
きっと、貴方という一片の花弁を繋ぎ止める為に有るのだから。

■終幕■

◆織田伝第五章、木津川口の復讐にて遂に嘉隆と一益が揃ってのイベントがあったよバンザーイ!
一益に頭が上がらないっぽい嘉隆が可愛いゴロンゴロン。
という訳で、もう居ても立ってもいられず書いた九鬼益です。
今年は早くも在住中の東京で桜が満開との報が入った事を受けまして、お花見な九鬼益…とか。
いやはや桜の開花から満開まで本当に早かったですね(*・ω・)
それと少し前から、ぎゅっと手を繋ぐ九鬼益が書きたかったの!
本当は別の形で考えていたのですが、ちょっとそっちではすぐに形に出来なさそうだったので(汗)
この話に詰め込んでみました。
それにしても…揃いのイベントがあって本当に良かった…(嬉泣)

2013/03/25 了
clap!

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