【1059taisen】
焔の海
「…く…くそっ…こんな…っ!」
「お頭ぁ!もう、この船も駄目だ保たねぇ!早く逃げ…ッ…!」
「…!…チクショウっ…ちっくしょおおぉぉおおっ!!」

―――海上に焔が湧き上がる。
七曜の紋を掲げた船が一隻、また一隻と焔に呑み込まれる無惨。
海の藻屑と化した、あの日から。
一年余りを経る伊勢大湊の夜。

「…大したものだ」

転戦を重ねる一益が此処へ戻るのは、久し振りになるだろうか。
木津川河口において、本願寺への食料援護を行わんとする毛利水軍に対し出陣した織田の船手組。
だが、焙烙火矢の前に灰燼に帰する大敗を喫した事を受け。
この大湊にて全く新しい、焙烙の通らぬ船の建造を行っていた。
それは異様なる鉄塊。
今、点々と灯された松明の中で一益の目に映る巨躯は正にそれ以外の形容が許されない程の威風。
船手組に関わる一益も、この船の建造に携わってはいたが。
先の通り転戦から伊勢を離れる時期も有り、付きっ切りで建造に従事していたという訳ではなく。
故に戦地から戻る足で進み具合を窺いに来た訳なのだが、思う以上に建造は捗っている様子。
前代未聞で空前絶後の船に付きっ切りで携わるのは…九鬼嘉隆。
木津川河口での敗戦を、最もその身に刻まれた男という事になる。
三百艘から成る関船・小早。
嘉隆が乗る安宅船(あたけぶね)も焼け沈み、大阪湾の海水を死ぬほど呑まされる羽目に遭った。

「…相手が悪かった…」

一言で済ませるのは容易。
既に精強な海上の覇者である毛利水軍に対し、織田の水軍は脆弱であると言わざるをえない。
海上における戦で完膚なきまでに叩きのめされた事実は、嘉隆の自尊心をも完全に打ち砕く。
嘉隆にとって、この敗戦はそれだけの意味を持つのに充分で。
志摩海賊七人衆の掟に背き、織田への武家仕えを決めても。
嘉隆は…海に在る男。
この船を造り上げる事は、嘉隆が海上最強の自尊心を取り戻すと同時に海賊であった誇りに加え。
それだけでは終わらせない海の男の意地が注ぎ込まれている。
時を待つ鉄塊は。
巨躯を確かに海へと着水させて、じっと松明と月光の中に佇み。

「五隻…いや、万全は六隻か」

戦は数ではない。
証明する戦が各地に起こってはいたものの、一益が口にした数字はそれにしても海上戦で普通には考えられない数字だろう。
数百艘の単位である相手を六隻で終わらせようというのだから。
だが、この船ならば。

「…嘉隆は、あの船だな」

一益が鉄塊の姿を今一度ゆっくり、前面から後方へ見渡すと。
鉄塊とは別、一隻の船が後方に停泊している事に気付いた。
聞けば、嘉隆は夜を迎えて一日の建造作業を終えると、一人自分の船で人払いをしていると。
遠目に見ても船に乗り込む為の渡しが認められない事から、その船は嘉隆が居る船に該当する。
近付いてみれば立派な安宅船。
しかし真新しさが目立つというのは、先の戦で元々の船が焼け沈んだが為に新しく建造したという背景を思うと皮肉なもの。
人払いをしている、という嘉隆に一益は少しばかり躊躇するも。
ふわりと松明の光の合間を縫い、夜闇に身を躍らせ。
船内へ降り立つと、嘉隆の姿を探し始めた…の、だが。

「…やれやれ、手間が無くて良いとは思うんだがな…」
「…すかー…っ…んががっ…」
「上か」

海風に乗って、嘉隆のものらしい大いびきが一益の耳に届く。
察するに、主はどうやら上部甲板に居るらしい。
一益は狭間から身体を乗り出し、船の上部へ向かい始めると徐々に嘉隆のいびきが近くに迫る。
矢倉の上に辿り着くと、帆柱に寄り掛かって眠る嘉隆が見えた。

「…んがっ…ぐぅ…」
「起きそうにない…か」

一益の足運びもあると思うが、それにしても見事な熟睡。
恐らく、帆柱に寄り掛かり今日の作業の進み具合を見届けている内にそのまま寝付いたのだろう。
既に一益は嘉隆の傍へ来ているのだが、起きる様子は無く。
それは構わないのだが、嘉隆の格好というのが普段のままであり。
幾らなんでも朝までこの状態では風邪を引いてしまいそうだ。
これは一先ず船内へ戻り、何か掛け布になりそうな物を探すべきかと一益が思案していたところ。

「う…ん…っ…」
「…嘉隆?」

嘉隆の大いびきが急に静まり、寝息の質が変容する。
もしや目覚めたのかと―――

「…ちっく、しょおっ…」
「……嘉隆……」

月光に照らされる嘉隆の頬を一条の滴が伝う。
人払いをするのは、この事を自身が気付いているからか。
消えない焔の海。
消せない焔の海。
一益は、忌まわしき海から救い出す様に嘉隆の頬へ指を伸ばし。
そっと拭ってやる。

「…う…このっ…また、かよ…」

触れられた事で意識が覚醒したのか、嘉隆がぼんやりと目覚めた。
だが思考はまだはっきりしていないらしく一益よりも先に己の流した涙に気付き、苛立ちを零す。
消えない焔の海へ悔しさを滲ませる様、歯を食い縛り。
ごしごしと腕で目を擦って。

「…そんなに強く擦ったら目が腫れるぜ、嘉隆」
「うわっ!?…か、一益殿っ?」
「悪いな、勝手に乗った」
「い、いやっ!一益殿なら全然構わねぇっていうか…その、えっと…そ、そうだっ!こっ、擦ったから目が赤いんだっ!」
「…そうだな」

漸く、嘉隆は一益が傍に居る事に気付くと慌てて更に目を擦る。
涙に因るものではないと、苦しい弁明だが一益は何も言わず。
嘉隆の隣に座って落ち着くのを待ち、鉄塊を見詰め口を開く。

「見通しが立ってきた様だな」
「ああ!この一隻がこのまま上手くいってくれれば、あとは同じ手順で数を造れる筈だぜっ!」
「空けている間に、よくここまで進めたな…褒美をやろうか?」
「えっ、か、一益殿からっ?」
「…まあ、今すぐだと撫で撫でくらいしか出来ないけどな」
「な、撫でっ…ガ、ガキじゃねぇんだからっ!…いや、それを喜ぶヤツも居るんだろうけどっ…」

一益からの「褒美」の提案に、内容を聞いた嘉隆はからかわれているものと口では反してみたが。
その口元はというと、瞬間的に想像したのか少し緩んでおり。
まんざらでもないらしい。

「それにっ!褒美とか…欲しいモノが有るならテメエで獲るのが海賊の信条なんだからよっ!」
「もう武家仕えだろう」
「そ、そうだけど…コイツは俺の信条なんだっ!…俺が、今っ…」

急に黙り込んで俯いた事に、一益は何事かと嘉隆の顔を覗き込む。
何かを迷っている様子だったが、意を決した風に唇をきゅうと噛み締めたかと思うと顔を上げ。

「…よした、か…?」

嘉隆の顔が近付いた、と。
一益が思った時には肩を抱き寄せられ、口唇が重ねられていた。
余裕など無い、強引で押し付けるだけの不慣れな口付け。
夜の海風を受け続けていたからだろうか、冷えた嘉隆の口唇は。
一益の熱を、ただ求めて。

…ちゅ、くっ…

「…俺が今…っ…欲しいのは、俺の海と一益殿だけだっ…!」

嘉隆の口唇に熱が戻り、酸素を欲する形で離されると。
青白い月明かりの下でも分かるくらい、嘉隆は赤面しながら。
しかし一益から目を逸らすこと無く自らの想いを吐露する。

「仲間内の掟を裏切ってでも、一益殿が欲しいって思うのは…今でも変わらねぇんだからなっ!」
「…嘉隆」

何も、よりによって俺じゃなくたっていいだろうに。
一益は再三、嘉隆が自分への想いを向ける度にそう諭してきたのだが決意は揺るがぬものらしい。
欲する証を示す為なのか。
それとも、赤面の恥ずかしさが頂点に達した勢いからなのか。
嘉隆は、がばりと一益の身体を捕らえてキツく抱き締める。
所有される事とも、略奪される事とも違う抱擁だと想うのは。
一益の耳に届く、早鐘よりも早い嘉隆の心音の所為。

「なあ、嘉隆」
「え、な、何だっ?一益殿。」
「この船を堺へ向かわせる時は…俺も参戦させてくれ」
「そっ…そりゃ勿論っ!えっと、じゃあ一益殿が乗る鉄船には何かこう、もうちょっと工夫…」
「ああ、いや。俺は鉄船には乗らず通常の安宅船に乗る」
「へ?な、何でっ…」

自分の造り上げる新しい船に一益が乗ってくれるのか、と。
そう思った嘉隆の声は明るく弾んだが、すぐに落胆へ変わった。
どうしてなのかと、抱き締める腕の力を少し緩めて一益の顔を覗こうとすると、顔を上げて微笑んでいる一益と目が合った。
下手をすると泣き出しかねない顔をしている嘉隆を見兼ね。
一益は、慰める様に優しく触れる口付けをそっと送り。

「…嘉隆の船が時代を変える瞬間を見たいが…この船の中からだと、少々見通しが悪そうでな」
「た、確かにっ…最低限の狭間と大筒以外は、全部鉄を張り付けて塞いでる造りだからなぁ…」
「ふふ、だから俺は通常の安宅船に乗って矢倉の上からでも見物させてもらおうと思う訳だ。その位の気でいて良いんだろう?」
「あ…当たり前だっ!物見遊山ぐらいのつもりで大丈夫だぜ!」

ぱあっ、と。
一益の意図を理解した嘉隆は一転して明るい表情を取り戻す。
自分の船に掛けてくれている期待が嬉しかったのだろうし。
一益から口付けてくれた事も。

「…だけど、だったらそれはそれで一益殿が乗る為の新しい安宅船も造らねぇと駄目だなっ!」
「いや、何も新しく…」
「いーや!一益殿を乗せるってのに、その辺のチンケな船には乗せられねぇっ!そうだなぁ…鉄船が黒っぽいから、白の船だっ!」
「…じゃあ、頼むとするか」
「へへっ…任せてくれ」

一益を抱き締める嘉隆の腕の力が、ぎゅうっと改めて強められ。
訪れた静寂の中には海の音と嘉隆の心音だけが響いている。
嘉隆が―――自分自身の海を取り戻すのは、もう暫くの時間が掛かってしまう道程なのだろう。
まずは、その日まで。
嘉隆の海で居てやろうと、一益は柔らな笑みを湛えて瞳を閉じた。

■終幕■

◆やっと!開始出来た九鬼益!
何だあのド海賊!鬼可愛いじゃねぇか待ってたぞー!(落ち着け)
という訳で一発目、エピソード的に有名と思われる鉄甲船絡み。
一益も建造に関与したといわれてるけど、第一次木津川と第二次木津川の間に手取川の戦いが有るから空きがあるのかなと。
1576年7月13日に毛利水軍にフルボッコで大敗してから。
1578年11月6日に鉄甲船6隻と一益が乗った白の大安宅船という編成でリベンジ成功なので。
憶測も良いところですが、手取川の戦いから一益が戻った頃として1577年の10月辺りの話。
鉄甲船を建造する手順が構築され掛かってるくらいかなー…と。
建造の設計が出来て、もう1年を懸けて6隻を造り上げペース。
一益もイイ歳だよSRの絵柄でいいのか、自分は良いけど(笑)
九鬼益を取り扱うまでの間、段益でちょいとえっちいの続きで書いていたから一益を相手に初々しげなタイプって新鮮で。
や、えっちいのも九鬼益で書こうとは思ってるけど早速(…)
勿論くっきーとわん益も♪

2012/10/20 了
clap!

- ナノ -