【1059taisen】
月下聖天
「しょうがねぇなあ」
夜の帳が降り、眠りに就くが如く巨躯を海へ浮かべる安宅船。
荒々しい海の男達が集う昼の喧騒からは既に逃れた筈なのだが。
船内にはポツリと灯りの気配が有り、一人の男が蠢いて居た。
その人影というのは、この船を造り所有する嘉隆なのだから不思議を思う事は無いのかもしれない。
しかし夜中という時間帯であるのに一人で何かを「捜す」とは、特殊な事情があっての事だろう。
理由は夕を迎える頃に遡る。
―――…
「何ぃ?…それでお前、船の中で逃げられたってのか」
「へぇ…すばしっこくて…」
年の瀬が近付きつつある冬。
新年を迎える前に、嘉隆は部下達と手持ちの船を港へ集め。
小さな修繕で済む箇所はすぐさま直す等、一年を通し命を預けてきた船に労りの意を込めていた。
元々は嘉隆の急な思い付きだけれど、部下達も悪くは思わぬ表情。
そうした作業は早くなった夕暮れ迄に一通りを終え、今日はここまでと解散を告げ掛けた嘉隆に。
部下の一人が困り顔を隠さず走り近付き、実はと切り出す。
通例の戦で嘉隆が愛船とする安宅船の中に獣が迷い込んだ、と。
尻尾と耳の先しか見えなかったがと部下は付け加え、だが大きさから察するに子であろうと思い。
山に放してやろうと捜してみたものの、その後いくら船内を見回れども見付からないと言うのだ。
「本当に見たのか?」
「俺だけなら見間違えたかもって思いやしたが…聞けば他の奴も何人か見たって言ってるんで…」
「…だが、見付からねえと」
「へ、へぇ…」
当の安宅船に嘉隆は目線を向け。
間を置いてから呆れた風の溜め息をつき、思案に腕を組む。
「…どうしやす?」
「どうもこうも、日が暮れた後まで総出で構う事じゃあ無えだろ。…人気が無くなりゃ、勝手に出てくだろうから引き上げろ」
「それもそうですかね、それじゃ仕舞いにしてきやす」
「…おう」
―――…
部下全員を船から引き上げさせて嘉隆自身も屋敷に戻ると、少々早いとは思ったが就いた床の中。
ふ、と目覚めた深夜。
何も考えず再び寝直す事が出来れば良かっただろうに、ついつい船に迷い込んだ獣に思いが及ぶ。
ごろごろと布団の中で右往左往。
とうとう、自らの目でまだ居るのかそれとも逃げたのかを確認すべく灯を持って捜索を決め、一人船内を彷徨うに至る訳である。
船に引っ掛き傷を付けられては堪らない、というのが理由。
しかしそれにしても、こんなにも気にしてしまう下手な繊細さ。
迷い獣の騒ぎも含めて自分の気質が招いている諸々の現状に対し、嘉隆は「しょうがねぇなあ」と。
独りごちるのであった。
「やれ、此処で最後だな」
辿り着いたのは船体上部の矢倉。
此処に居なければ逃げたものとして眠れるだろうし、仮に居たとしても入り口を閉じていれば袋小路なので追い詰めたも同然。
捕獲の手間は…飲み込もう。
「…よしッ!と」
何の気合いなのか嘉隆もよくは分からないが一言を入れ。
なるべく音を立てず矢倉の入り口を開けて、そろりと中へ入り。
灯を前方にかざし見れば、戦の最中ではないからだろう。
多くの荷で場が埋められている訳ではなく、隠れ場所は少ない。
すぐに済みそうだと、しかし見落とさぬ様に嘉隆は目を凝らす。
どうやら、帰って眠れるか―――
……ふさ…っ……
(んっ…んんっ!?)
"それ"は荷と荷の隙から覗いて。
察するに付け根側は黒の毛並みであるのか、完璧に隙間の影と同調しており見落とし掛けたが。
つまりその―――尻尾と思しきの先端側が白の毛並みであった事。
持っていた灯が偶々、揺れた白を照らした為に嘉隆は気付けた。
(…コイツか…)
何の獣かは判断しかねるが、確かに大きい体躯ではない様子。
だがそれ故か、すばしっこいと言う部下の話を思い出しながら。
嘉隆は、尻尾になど気付いていない風にして前を通り過ぎ―――
「…それいっ!」
むんずっ!
あまり手荒にはしたくないが、頭側に回る暇があるなら尻尾から捕らえてしまう方が早い筈だ。
即断した嘉隆は灯を持つとは逆の手で勢い良く尻尾を掴み。
荷の隙から引き摺り出そうと。
ググ…ッ…
「っ!と、こ、こら!逃がしてやるから大人しくせんかい!」
楽勝と思われた引っ張り合いは、予想外に嘉隆が苦戦。
片手では雲行きが怪しい程。
そんな焦る嘉隆の耳に、突如として更に予想外の声が届いた。
「…よしたか?」
「どっ、どわあっ?!な、何ですかい一益ど…の…あ、ありゃあ!」
一益の声がした。
そして声に驚いて尻尾を離した。
尻尾は、するんと荷の奥へ。
捕獲の好機を逃した嘉隆は落胆混じりの声を上げたが、こうなっては仕方がないので先に一益の。
「れっ…あれっ?」
一益の声がした方を見ようとして不思議な事に気が付く。
声は―――前方からだったか?
「まっていろ、いま…でる」
続く声も、やはり前方。
暫し嘉隆は何が起きているのか呆然としたまま待てば、自分の眼前に積み置かれた荷の上に人影。
果たして、嘉隆の持つ灯に照らされたのは一益だったのだけれど。
「か、かか、一益殿っ!?そりゃあ一体、どうしちまったんで…!」
「はなせば ながくなるが…」
現れた一益は幼子程の体躯であり、なにより獣の―――犬の。
白が混じり始めた一益の髪と同じ、黒の中にも毛先が少し白い尻尾と犬耳が愛らしく付いていた。
これには呆然に唖然も加えられた状態の嘉隆を見て、一益はその反応が当然だと割り切った様子。
「…いぜんから、"このすがた"になってしまう ときがあった」
「そ、そうだったんですかい?」
「いまわしい とは おもわぬ、ひとりに…なれるしな」
「一益殿…」
「…ああ、すまん」
「へえっ?!な、何で謝ったり…」
「よしたかは"べつ"だ、ひとりを"さまたげられた"などとはいわぬ…きをわるく しないでくれ」
「いっ、いやいや…いや…気ぃ悪くなんか…全くですよ」
「そうなのか?」
嘉隆はただ、呆然と唖然から戻れていなかっただけなのだが。
どうやら一益はそんな嘉隆の反応を、独りで居たい時間を邪魔したのではないか聞きあぐねていると受け取った模様。
嘉隆が急に船の点検など行わなければ見付かる事は無かったかもしれないと考るなら、受け取り方として間違いではない。
一益の思わぬ謝罪に慌て、とにかく気にしていない意を告げれば。
安堵の表情を一益は浮かべ。
「みつかったのが、よく…は、ないのだろうが よしたかで すくわれた。まえは もうすこし うまくかくれたものなのだが」
老いには勝てぬ。
続くのは、この言葉だろう。
諦めが含まれた台詞は達観しており幼子の体躯に似合わない。
皮肉とも言える姿。
ふさふさの尻尾と犬耳は今や不安げに縮こまり、それは嘉隆とてこの姿の自分を見れば離れてしまうのであろうという思いから。
だが、見つかるならば嘉隆が良いとも一益は願いを抱いていた。
嘉隆に隠し事を持たねばならぬが苦痛で堪らなかったから。
「救われた」とは強がり。
「救われた」とは解放。
ひとつには、ふたつ。
…ひょい…っ…
「よいせっ…と!」
「…よしたか…?」
「今なら誰にも見付からん筈でさぁ、屋敷へ戻りやしょう」
俯いていた一益は、急に嘉隆の片腕で軽々と抱きかかえられ。
嘉隆の胸元に収まったところで、そろそろ頭を上げれば。
にっかり、一益へ笑い掛けて帰ろうと誘う嘉隆と目が合う。
「しかし…」
「さあさあ、行きますぜ!」
嘉隆の胸中にはずっと、自分が一益と恋仲で良いのだろうかと迷い悩む種を抱えているけれども。
種は今も芽を出さなかった。
それだけ。
「…もどるまえに、ふねですこしだけ はなしをせぬか?」
「構わねえですが、風邪を引いちまうから長居はいかんですよ」
「わかってる」
嘉隆に身体を預けたまま大人しくしている一益からの頼みに。
気持ちを整理する時が欲しいのだと察した嘉隆は、一度一益を降ろすと矢倉の壁を背に座り込んだ。
…もそもそ…
「か、一益殿っ、それじゃあ犬っちゅうより…猫なんじゃあ…」
「ふふ、かもしれぬな」
嘉隆が胡坐で座るや一益はその膝上に、さも当然と陣取る。
器用に身体を丸めて収まる様は確かに犬より猫らしく、縮込めていた尻尾を伸びやかに揺らし。
「そういやあ、尻尾を引っ張っちまったけど大丈夫ですかい?」
「さてな…」
「ど、どっちなんでさぁ、ワシは悪かったと思って…」
「ふ…わるいとおもうなら…このままで いさせてくれ」
そう言ったきり一益は黙り。
尻尾は変わらず揺れさせて。
どうしたら良いのか分からない嘉隆だったが、取り敢えず。
知らぬとはいえ乱暴に掴み取り、引っ張った非礼を詫びる様。
揺れる尻尾を優しく撫でた。
なでなで…
(こりゃあ…癒されるわい…)
ふさふさでフカフカな心地に虜。
無礼かと思ったが、ついつい犬耳の具合も気になり撫で撫で。
大きな掌で包み込む様。
頭から背を、再び尻尾を。
「…ありゃあ…一益殿…?」
「……すぅ…っ……」
うっかり無心で一益の身体を撫で続けて嘉隆が我に返った時には揺れていた筈の尻尾が落ち着いており、静かな寝息が聞こえる。
癒されていたのは一益の方も、という事だったのだろう。
安心しきって嘉隆に委ねる寝姿。
「…ますます、寝子でさぁ…」
双眸を細めて愛らしい寝息に聞き入り、もうひと撫でして。
灯を取り落とさぬ様、ましてや一益を起こさぬ様、そうっと。
先程と同じく片腕で眠る一益の身体を抱え、矢倉の入り口を開く。
「降ってきたのか」
僅かの間に雪、しんしん。
嘉隆は天を仰ぐも、一益が愛でる銀月は隠れてしまっていた。
代わりが―――雪か。
不思議と寒さを感じぬのは、暖かな尻尾が擦り寄るからだろう。
今、自分の腕の中で眠る一益は。
月から雪と共に降り落ちて来たのではないか、なんて。
だとしたら天よりの、掛け替えのない贈り物なのかもしれない。
「……ん…っ……」
「っと、いけねぇ」
犬耳に付いた雪を嘉隆が軽く息を吹き掛け払うと、くすぐったかったのか一益は微かな声を上げて身体を縮こまらせ胸元に縋り。
誰も見た事が無いであろう一益の愛くるしさに嘉隆は戸惑いながらも、口元は正直に弛んでいる。
抱える腕に少しだけ力を込めて抱き寄せ、優しく犬耳へ口付けを贈れば一益の表情も和らぎに満ち。
音無き雪は、ふたりの心に白き無垢な想いを積もらせていた。
■終幕■
◆宴一益も、わん仔にしてみよう話ついでにクリスマスでした。
…本当に…クリスマス要素が何処にあったのやら…(遠い目)
でもって黒嘉隆×宴一益の小噺は「月下○○」で統一する方向で。
撹乱貫通な一益がわん仔になった時とは違う配色の犬耳&尻尾にしようかな、と思ったのですが。
髪の感じと馴染む方が宴には合うかしら、てな訳で黒基調に白。
似た格好にしちゃいました。
皆川一益は茶系の色かな…というか、わん仔として居るけど本当は狼さんっていう設定をかなり前から考えていたりするのですが。
…ええまあ、活かす事が出来ないままなのですが…(遠い目)
さておき(*・ω・)++
嘉隆とふたりきりの時の宴一益は羽目外し気味に甘える表情を出してたら良いと思うの、わん仔を受け入れてくれたら尚更ね。
それに黒嘉隆はわたわた焦りながらも撫で撫でしてるの(*´ω`)
2013/12/24 了