【1059taisen】
月下麗人
その人は月光の中で舞っていた。
唄を添えずに静か、静かな舞。
いや――唄う者は在る。
月と星はまるで、その人を照らす為だけに天上へ座し。
波が、その人の為に唄っている。
月へ向けて放った扇はくるくると円を描き、寸分違わず手に還り。
ぴたりと留めた身体は、船に寄せた波など意に介さぬ風で。
まこと―――月下麗人の佇まい。

一益が扇を懐に仕舞い込む姿を見届け終わるまで。
ただ嘉隆は声を掛ける事すら忘れ、密やかな宴を見詰めていた。

「一益…殿」
「…嘉隆?…何時から其処に」
「少し前、ですかね」
「何だ…では見ていたのか、一声掛ければ良かったものを」

船は嘉隆自慢の大船、舞うには充分な甲板が有ると窺える。
帆柱の陰から嘉隆が姿を現し一歩踏み出せば、足元からは軋む音。
一度に距離は詰めず程々のところで歩みを止めると、変わらぬ佇まいの一益から先に口を開いた。

「見ていたところで詰まらぬ芸妓の真似事だったろう」
「そんな事、ワシは…一益殿を見ていたかったんでさぁ」
「ふ…嘉隆には敵わぬな」

崩さずにいた凛の表情が綻ぶ。
一益の細めた眼差しと僅かに口角の上がる口元、気恥ずかしいのか嘉隆から目線を逸らす様、それらの総てに偽りは見受けられず。
誰の目にも、その顔は恋の装い。
波が船体に寄せるに紛れ、一益もまた嘉隆との距離を詰めるが。
じわりとした足運び。
端から見ればもどかしい距離の詰め方を取るのは、歳を重ねた故の恋路に対する気後れだろうか。

「こんな夜中に…まあ、ワシも起きてるから一益殿の事は言えんですが。…寝付けんのですか?」
「そんなところだ。…最近は…眠れぬ日が増えた様に思う」
「身体を壊しちまいますよ」
「俺の身体…か」

向かい合う格好ではなく、一益は嘉隆の隣に並び添うと。
月を見上げ、綻ばせた顔を何時もの凛然とした表情に正し。
ぽつりぽつりと語り始める。

「…俺は…本来、どうしようもなく臆病な性根をしている」
「んな馬鹿な、一益殿の戦振りからは臆病だなんて微塵も…」
「臆病者だから鉄砲に縋り、偶々…長じる事が出来たにすぎん」

一益が吐いた息は白く。
雪が降るのも近いだろうか。

「縋り続けて気付けば俺は…戦場でなければ、自分が生きているのかどうかが分からなくなった」
「そりゃ、どういう理屈で…」
「…俺を殺そうとする目だ、俺が生きているから殺すんだろう。あの目を見ると、今の自分は生きているのだと感じられる」
「一益殿…」
「…そして寝付こうとすれば、あの目を思い出し怯える訳だ」

返す言葉、見付からず。
嘉隆はただ己の無力に苛まれ、隣立つ一益に双眸を向けた。
自嘲した哀しげな笑みを湛える一益が映り、不謹慎と頭は理解していたが―――奇麗で、奇麗で。

「嘉隆、俺は」
「何ですかい?」
「俺は今、生きているのか?」
「…何を言ってるんでさぁ」

ずっと、切っ掛けを求めていた。
一益に触れる為の切っ掛けを。
嘉隆はそっと腕を伸ばし、一益を抱き寄せるべく肩に手を。

(…!…何だって…こんな…)

着衣の上から、だとしても。
思わず嘉隆は確認を挟む。
肩を寄せるべく触れた掌は、生気を感じ取る事が出来なかった。
芯から、それこそ骨からも立ち上がる様な冷気に嘉隆は慄く。
だが決して、一益に知られては。

「まったく…何時から船に居たんですか、冷えてますよ」
「…そうなのか?」
「…失礼」

ぎゅ…うっ…

危うい、自覚の無さ。
一益の身体を嘉隆は胸元に抱き寄せ、両の腕で包み背を擦ると。
ほんの僅かだが、擦る掌は徐々に自分以外の熱を伝え始め出す。
一益自身の―――体温。
嘉隆が吐いた安堵の息も、白い。

「…嘉隆?」
「滅多な事は言うもんじゃありやせん、大丈夫…大丈夫」

一益を諭す為の言の葉は。
嘉隆自身を言い聞かせる為の言葉にもなっていたと思う。
背を擦り続ける事も、同様に。

「…本当の臆病者なら、変えようと考える事すらせん筈だと…ワシは思うんです。鉄砲を取った一益殿は勇ましいんでさぁ」
「……」

この言葉も、ふたりの為の。
嘉隆の掛けた言葉から暫しの間、互いに話す事が途切れて黙し。
嘉隆の内心は、下手な事を言ったものと焦りを募らせたが。

…ぎゅむっ…

「俺が…欲しい言葉。嘉隆は、その総てを与えてくれるのだな」
「何ですかい、そんな大層な事をワシはやっとりませんよ」
「この船で舞っていれば、嘉隆は来てくれるかもしれない…そんな勝手な打算にも応じてくれる…」

不意に一益から抱き締め返されたかと思うと、静かな吐露。
率直な想い、何時しか。

「…嘉隆を…好きになって、本当に良かった」
「ワシも…です、よ…」
「よし…た…」

ふわりと顔を上げて月光に照らされた一益の笑みに重なる影。
冷えていたのは口唇も。
静かに双眸を閉じ、嘉隆から甘い恋人の口付けを受ける。
だが、嘉隆の心中は複雑だった。
一益の吐露と想いに乱され、詰まり掛けていた返す言葉。
それを誤魔化す為の口付けなど、寧ろ一益を傷付けてしまうのに。
咄嗟には他が浮かばず―――


始まりは、一益殿からだった。
「嘉隆が好きだ」と。
…"その時"から既に一益殿には…無理が生じていると分かった。
ワシが一益殿に向け続けていた恩義や尊敬、そこに「拠り所」を見てしまったのだと思い至った。
その、「好き」、は。
本来は別の感情である筈なのに、壊れそうな"こころ"が描かせてしまっているんじゃねえかって。

「恩義」や「尊敬」と繕った感情が。
「恋心」だと知った自分の様に。

何時か、一益殿が気付いたら。
ワシは受け入れなきゃならねぇ。


…ちゅ…っ…

「…さ、そろそろ戻りましょうや一益殿。今は晴れちゃいるが…雪でも降り出しそうな寒さだ」
「そうだな…」

すっ…きゅむ…ぅ…

「…一益殿?」
「寒いから…今宵は嘉隆が添い寝てくれるのだろう?」
「ワ、ワシゃあ…そんな下心丸出しで言った訳では無ぇですよ」
「ふふっ…」

嘉隆の腕に縋り、一益は頬を寄せて儚くも柔らかに笑む。
月光の中でこそ麗しの。
「何時か」の日は来るのだろうか。
月は何も答えない。
冬の訪れを感じて身を寄せ合うふたりの事を、ただただ静寂の淡い光で照らし続けるのみだった。

■終幕■

◆新しい一益の追加というのは殆んど諦めていたのですが。
宴で参戦、しかもかなり好みの歳を重ねた仕様で即好きに。
しかしこれならもっと早くに出て欲しかったなあ、九鬼益の一益は宴の方で…はっ!黒SS嘉隆×宴一益にすれば総て解決かっ!?
…何て事を日記に書いた時は、半分本気で半分冗談でしたが。
日を追う毎に宴一益がかなりマジで好きだと自覚しまして(笑)
黒嘉隆も取り扱いに入れたかったし…これは書くしか(*´∀`)
個人的に想う宴一益は、戦続きから少し心の面で蝕まれ気味で。
反動的に拠り所にする嘉隆の前では乙女な態度になっても良いかなとか、いや50過ぎだろうなと分かってるけど敢えての乙女。
R×SRの九鬼益は、嘉隆の純粋な恋心を軸に書きたいけれど。
黒SS×宴の九鬼益は…一益が抱いた不安定な恋心が軸、かな?
そういう関係性で話を書いていきたいと自分の中の方向が見えたので、まずは最初の小噺に細々と要素をちりばめてみました。
あと、一益ってちょいちょい舞いを披露してるよね(*´ω`)

2013/12/10 了
clap!

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