【3594taisen】
逆境!真夜中リストランテ
事を「始める」切欠が何時に起こるかは運命の悪戯で。
これから先も続く人生の中。
それが、長い永い付き合いとなるのも―――また、運命の悪戯か。
―――…
「……暑い……」
敷布に染みた汗が居心地悪く。
如何に夏の夜とはいえ、今宵は異常な程に熱が篭り睡眠を妨げ。
張コウは幾度もごろりと寝の姿勢を変えて、どうにか床に就けないものかと不眠にあぐねていた。
窓の外の月を見るは二度目。
一度目は、寝始めようと眼を伏す端に捉えた月。
ふたつの月が、大きく動いたとは…感じ取れない。
つまり、寝を決めてから僅かな刻しか経過していないのだろう。
なのに。
寝台に身体を横たえさせたのは、もう随分と前の事ではなかろうかという錯覚すら覚えそうで。
額に掌を当てれば、湧き上がった寝汗に濡れる。
「…参ったな」
明日は早くより出陣。
或いは、夏の暑さのみならず。
戦へと向かう昂りが静かに滾り、更に張コウの身体へ熱を持たせてしまっているのかもしれない。
「やれやれ…」
観念した様に張コウは身体を起こすと、ひとつ灯りを。
かといって、このまま貫徹して戦に臨もうというつもりは無い。
無い…が。
では、どうしたものか。
「……張コウ?…起きてんのか?」
「…高覧?」
寝台に腰掛け、じっと熱の収まりを待つ張コウの耳に。
随分と聞き慣れた声が届く。
漏れた灯りから、寝付いていないと声を掛けてきたのか。
…というか、この時刻。
張コウは、高覧もまた眠れずに城内の散歩でもしているのかと。
であれば、ひとり不眠に困り果てているよりも高覧を招き入れて語り明かす方がマシなのではと。
「高覧…お前も寝れないのか?」
「…いや、あのよ…」
「……?」
様子が、おかしい。
戸に近付き、うっすらと感じる人影に今度は張コウから声を掛けるが…返る声は、どこか弱々しく。
夜であろうが多少の不眠であろうが、張コウの知っている高覧ならば構わず喧しいと思っている。
それがこうも大人しい、というのは…周囲への配慮が出来る様になった、という事では無く。高覧自身に何某かの異変が生じて。
「…どうしたんだ…?」
あらゆる事態を想定し、張コウは悟られぬ様に愛刀を掴むと。
一呼吸を置き、意を決して戸を引き開ける。
と。
ふら…
…ドサ…ッ…!
「ッ、お、おい高覧!」
開け放った瞬間、高覧の姿を張コウが捉えると同時。
その、高覧が倒れ込んできた。
完全なる反射で張コウがその身体を受け止めると、すぐさま高覧に外傷の類がないかと眼を凝らすが、異常は認められない。
では、一体。
「高覧!」
「……あのな、張コウ……」
ぎゅ、と。
縋る様にしがみ付かれ、余程の事が起きているのかと張コウは高覧が紡ぐ言葉に耳を傾ける。
「……すっげー腹が減って、寝れないんだぜえ……」
…
ゴッ!
「痛ってえ!」
げしっ!
ピッシャン!
「ちょ、おい、張コウ!ちょーこー!開けてくれだぜえ!」
「やかましい!さっさと自分の寝所に戻って寝ろ!」
人の心配を返せとばかりに。
拳をお見舞いした上で高覧を蹴り飛ばすと、張コウは慎重に開けた戸を即閉め切ってしまう。
開けられぬ様に押さえ付ければ。
案の定、外の高覧はドンドンと戸を叩き懇願を始めて。
「張コウ〜…頼むぜえぇ…」
ぐきゅるるる…
「ぐ…お前という奴は…」
高覧の情けない声と情けない腹の音を同時に聞かされて、この夜中に何をやっているのかと張コウは思わず脱力してしまった。
最早、意固地に戸を閉め切っているのも馬鹿らしく。
ひとつ大きな溜息を付き、ゆっくりと再び戸を引き開けてやる。
「…まったく…」
「張コウ〜!」
「ええい、開けたからといって引っ付くんじゃない!」
開けた瞬間、今度は倒れ込むのではなく飛び付かれるといった方が正しい高覧をどうにか引き剥がせないものかと張コウは攻防。
高覧は拳をお見舞いされた事も、蹴り飛ばされた事も。
さして気にしていない様子。
「はあ…お前の不眠の理由は解った…だが、オレがどうにかしてやれそうな事は無いぞ」
殆ど観念に近い状態で、張コウは高覧を引き剥がす事を諦め。
それで。
出来る事は無さそうなのだが、一体どうしてほしいのかと。
「つまみ食いしに行くから、付き合ってほしいぜえ。それなら出来るだろ?何だか、張コウも眠れないみたいだしよ」
「…まあな」
どちらかといえば「何故オレが」と返してやりたかったが。
益々目が冴えてしまった…というのも、高覧のせいである訳だが。
どうせ眠れぬであろうし、高覧を放っておくのも気になる。
「…じゃあ、さっさと行くぞ」
「おう!」
夜はまだまだ。
始まったばかり、らしい。
―――…
「色々有るみたいだぜえ…」
「そうだな…」
普段、ふたりにとってまず立ち入る事が無い城の台所事情。
貯蓄されている壺の類を片端から覗き見れば…そこは流石名門袁家といったところか、様々な山海の品が保存されていた。
これならば、高覧の食欲はすぐに満たされて事は終わるだろう。
そう、張コウは思ったのだが…
数を重ねるに連れて、嫌な予感の方が増してきた。
料理に関しては全くの素人である、だが、それでも徐々に。
つまり、は。
「(生食出来るのが有るか…?)」
そういう事である。
果実等も在るが、普段の高覧の食いっぷりを理解している張コウとしては満足に至るには相当量が掛かると推測されるし。
そうなると最早つまみ食いという規模では済まなくなる。
となると、やはり肉だ魚だの中から一気に片付けたいものだが…
「…おい、高覧」
「何だぜえ?」
「一応、聞くが…お前、料理は出来るのか?」
「ハハハ、出来る訳ねえだろ」
「…だろうな…」
って、じゃあどうするんだ!
「このまま食っちまってもいいんじゃねえの?」
「煮炊きせんで食ったら腹を壊すから止めておけ…」
「んー…それだったら張コウが作ってくれよ!」
「なっ、何い!?ばっ、馬鹿野郎オレだって料理なぞ出来ん!」
「でも俺が作るよりはマシって張コウも思うだろ」
……確かに。
明確な根拠は無いが、高覧よりはマシだと張コウ自身も思う。
「〜〜〜…分かった作ってやる…だが!何が出来ても知らんぞ…」
「大丈夫、大丈夫だぜえ♪」
本当に何の根拠なのかと。
既に机に座り込んで腹ペコお食事待ち状態の高覧を横目に見つつ。
張コウは持ち慣れない包丁を握り締め、ひとつ溜息をついた。
……
「出来た…ん、じゃねえかな…」
「お、待ってたぜえ張コウ!すげえ!いっぱい作ったんだな!」
暫しの間を置き。
完成したらしい料理を張コウは高覧の前に運んでやると、高覧は歓心の声を上げて迎える…が。
夜のつまみ食いというには相当量のそれに。
「すげえけど、流石に俺だけじゃ全部は食えねえなあ…あ、そうか。張コウも食うんだよな!」
「いや、分量が分からんからこんな事になっただけなのだが…」
「そうなのか?ま、でもいいじゃねえか。張コウも食おうぜえ!」
「あ、ああ…」
高覧に促され、張コウもまた高覧の隣に座り。
改めて自分が作った料理を見回し、過程を思い返してみる。と。
…やはり自信は、無い。
「んじゃ、いただきまーっす!」
「お…おう…」
しかしこの夜中にまで付き合わされている事で、張コウとしても空腹を感じ始めていたのは確か。
残してはつまみ食いがバレるし、高覧と同時に張コウもまた一口…
ぱくり。
「(…っ、がああぁぁああッ!?)」
…半生と焦げ。甘い辛い苦い他。
味覚が感じ得る総てが混然一体として咥内に広がり…
要約すると、壮絶に不味い。
「(…こ、これは流石に…)」
流石に。
高覧の無茶振りのせいとはいえ、かなり申し訳ない出来で。
恐る恐る、張コウは隣の高覧の様子を窺う。
「……何だよ張コウ、料理上手ぇじゃねえか!美味しいぜえ♪」
「(はああぁぁああっ!?)」
―――こっ、コイツ…
「(…ド級の味音痴か…!)」
思えば高覧が食に関して文句を垂れていた様な記憶は確かに無い。
何でも美味しく健康優良児。
だがしかし、「ここまで」だとは張コウも思ってはいなかった。
信じられない気持ちで二度三度と、同じ物を食べている事を確認するが…やはり、満面の笑顔で美味いを連呼しつつ平らげている。
「ん?何だよ張コウ、俺の事をじーっと見て」
「い、いや…」
「こんなに美味いんだから張コウもちゃんと食えよ!腹が減っては戦は出来ぬっていうだろ!」
「ぐ、う…そ、そうだ…な…」
どんな形であれ、「美味い」と高覧が言っている事をわざわざ否定しても仕方がないし、寧ろ結果的には助かった形でもある。
何より…既に「不味い」と認識させる方が難しい域に達していて。
色々な事を観念した張コウは。
色々な事を消化すべく、意を決して再び己の料理に手を伸ばした。
―――…
「…顔色が優れない様ですが…大丈夫ですか?張コウ殿。」
翌朝。
張り詰めた空気に満ちる陣中を見舞っていた沮授は。
元々白い方ではあるが、それにしても顔面蒼白で傍目に見ても具合の悪そうな張コウの元でぴたりと立ち止まり声を掛ける。
「…問題無い、戦が始まれば何時もの働きくらいはしてやる」
「ならば良いのですが…この度の戦、張コウ殿は武の要。貴方に何かあっては全体に差し障ります」
「分かっている…」
あれから。
結局、張コウは一睡も出来ずに朝を迎える事となっていた。
暑さに加えて―――強烈な胃もたれに襲われた為である。
こうなってしまったのも、総括すれば自業自得。
沮授に零したところで、己の体調管理不足を晒すだけであるし。
痩せ我慢、するしかない。
と、そこへ。
「何だよ張コウ、具合が悪いのか?そんなんじゃあ、今日の一番槍は俺が貰っちまうぜえ!」
「…高覧」
「高覧殿、此度の戦における戦意は充分の様ですね」
「あったりまえだぜえ!」
…張コウとは逆に、あの後。
すっかり満腹になった事で寝の体勢も整い、朝まで熟睡して英気を養った高覧が元気良く現れた。
恐らく張コウに言わせるなら。
こんな事なら、いっそ生で食わせてやっても全然平気だったのではないか?と思う程である。
(コイツの胃は鉄で出来ているんじゃないのか…?)
「あっ、そうだぜえ張コウ!」
「な、何だ高覧。」
何故あの料理を平らげて、こんなにも元気で平気なのかと。
取り留めなく考える事で具合の悪さを紛らわせていた張コウに。
沮授と話をしていた当の高覧が、馬首を返し張コウに近付くと…耳を貸せ、といった仕草を見せる。
「…張コウが作った飯のお陰か、俺、今日すげえ絶好調でさ!」
「あ、ああ…そうなのか…」
オレは絶不調なんだが。
「だから、また偶にでいいから飯作ってくれよ!」
「は!?いっ、いや…!」
「なっ、張コウ…約束だぜえ♪」
―――…こっ…コイツは本当…
「御二方、何のお話ですか…?」
「へへー…秘密!なあ張コウ♪」
「ええっ、そんな教えて下さっても良いではないですか…」
言うだけ言って持ち場へと戻り始めた高覧と、同じくそろそろ本陣へと戻らねばならなくなった沮授の背を見送る張コウは。
高覧の台詞をゆっくり反芻して。
(…いくら味音痴の高覧でも、不味いと分かってるモンを食わせ続ける訳にはいかねえよなあ…)
深い深い溜息ひとつ。
真夏の暑さからか、胃もたれからか、寝不足からか。
―――それとも。
一点の曇りも無い高覧の笑顔が眩し過ぎたからなのか。
馬上で眩暈を覚える張コウは。
自分が料理を上手くなるしか道は無いのだな、と、悟っていた。
■終劇■
2010/08/30 了