【3594taisen】
飴色桜味
「終わったか?ホウ統」
「…徐君?」

夜半も過ぎた頃、ようやくに終えた執務の片付けを果たし。
翌日に備え、書簡を抱えて書室を出ようとしたホウ統に。
何時から其処に居たのか…戸口に徐庶は座り込んでおり、ずっと待っていた様子で声を掛ける。

「…起きていたのか」
「ホウ統が起きているからの」

どんな理由なのやら、時々ホウ統としては理解に苦しむが。
こうも開けっ広げに返されると、それに言及する気は失せるもので。
少なくとも、自分が理由なのは解る。
それでいいか、と。

「ほっほ!ひとつ要るかの?」

座り込んだまま、何某かを入れた器を徐庶はホウ統の前に差し出して。
抱えた書簡はそのままに、膝を曲げて中身を覗き込めば。
キラリと月光を受けて鈍く光る、桜色の飴玉が。


ひとつ。


「……ひとつ、だな」
「ん?ひとつか?」

差し出した本人が、不思議そうに器の中身を確認している事に。
ホウ統は少々呆れてその様を眺めていると、合点がいったのか徐庶は笑いながら振り返る。

「ほっほ!そうか、そうか。此処を通った皆さんにもあげていたからの、気付けば最後のひとつだったか」

器を回してからからと飴玉を鳴らし。
ぴたりと止めれば、慣性でもうひと回り。

「まあ、ホウ統の分があれば良いか」

再びに差し出された桜色。
ほの甘き香が、見える。

「…貰っても良いのか?」
「勿論、頭を使った後は甘味を摂っておいた方が良いからの」

総ての書簡を片手に抱え直し、もう片方でホウ統は真ん丸な桜を摘み上げ。
そっと、咥内へと運ぶ。
ころりと回して味わえば、甘酸っぱいさくらんぼ。

「美味しいかの?」
「…うむ。……ん、徐君は食べていないのか?」
「ほっほ!先の通り、ひとつを除いて皆あげてしまったからなあ」


「……そうか、それは―――「お前さんは」


紡ごうとしたその先を遮られ、ホウ統は開いた口の端からカリ、と歯列で飴玉を留めた音を響かせる。
何事か、と。
今度はホウ統が不思議を浮かべた顔を向ければ、器を傍らに置いて変わらず笑む徐庶。

「……時折、そういう隙が有る。ほっほ!ずっと見ておらんと、心配で仕方がないの」
「…?…何がだ?徐君」
「解らんか?その様に"申し訳"な顔をされてはの、此方に理由を与える様なものだという事よ」
「だから、何……っ……!」

謎掛けを楽しむ様な徐庶の物言いに。
少し喰い気味に詰めた距離が、更に縮む。
顎を、捉えられ。
既に侵入を許した咥内は、飴玉と舌と、一緒に。
瞬間に判断が付かず見開いたままの双眸は―――徐々に理解を覚え、潤み蕩け。
意識を咥内だけに集中させられる口付けに、抱えていた書簡を手放し、床へと撒いた音も遠い。
抵抗、を。
試みようと徐庶の肩を掴むも、腰を抑えられて寄せられる腕には敵わず。
弓形にして反る身を自身でどうにも出来ず、抗うつもりのそれは、気付けば支えを求める縋りの腕。

「…ふ、んンっ…は、ァっ……じょ、く……ん…」

少しの自由を手にした口は酸素を取り入れ、朦朧と名と息を吐く。
溶け出した飴玉の甘味と仄かな酸味は、一杯に咥内へと広がり終えて。
ジンジンと、奥底から湧く痺れは支配され行く誘い。
少し小さくなった飴玉は、舌の上に鎮座する。

「…もう少し、戴くとするかな」
「…ん…っ…」

今一度に重ねた口唇と、ゆるゆると割り開き入り込む舌。
ちゅく、と。
意識的に響かせる水音。
ころころと無尽に飴玉を転がし、ホウ統と共に総てを味わうつもりの―――


コロ…ッ…


「…ん…!げ、ゲホッ、ごほっ!」
「っと、どうした?ホウ統。大丈夫か?」
「……ゴホッ…あ…飴を…の、飲み込んだ…」

行き場を失い掛けた唾液を飲み込もうとした拍子に、丁度喉元近くに転がった飴玉を一緒に飲み込んでしまったらしい。
小さくなったとはいえ、固体のそれが喉を過ぎ行く様をじわじわとホウ統は感じ取る。

「詰まったりはしとらんか?」
「ん、ああ…それは大丈夫だがのう……その……」

蕩けた心地を急に引き戻された意識に、つい、今し方の行為について何故を想い口にし掛けたが。
それで、返って来る言葉など決まって。

「ほっほ!ならば良い、良い。大好きなお前さんに何かあっては、大変だからなあ」

に、と。
屈託無く笑まれ、どうしてそう臆面も無く好いてくれるかと。


少しは、自分も。


「さあて、本当はもう少し先まで戴こうかと思ったのだがの」
「じょ、冗談じゃないっ!」
「ほっほ!流石に遅いからなあ、これで開きとするか」

がさがさとホウ統は零れ落とした書簡を拾い集め、それを手伝う徐庶。
一通り終えた頃合いを見、ふらりと立ち上がった徐庶は自身の寝所へと足を向ける。

「ああそうだ、ホウ統。これをやろう」

くるりと振り向き、手渡された小振りの袋。
何かと中身を検めれば。


真ん丸な桜が。





丁度、器ひとつ分。
に、欠ける程。





「……じょ……徐、徐君ーッッ!!」
「ほっほ!怖や、怖や。もう夜半、そう大声を出すなホウ統」

からからと笑いながら去る徐庶に、どういったものやら行き場の無い想いを内に抱いてその背を送り。
ホウ統はぽつりと、ひとりで廊下に立ち竦み。
もうひとつ、口に運んだ桜色。


同じ甘酸っぱさの、さくらんぼ。
なのに何かが物足りない、など。


胸を締めるそれは。
きっと、飲み込んだ飴玉のせいだと言い聞かせ。

■終劇■

2008/03/14 了
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