【3594taisen】
煙る靄の先に伸ばした手
今の己の胸中を表すとすれば、例えばこの曇天なのだろうか。
灰色の空が彼方まで続き、しかし降りそうで降らぬ雨の影。
―――いや、そうじゃない。
何が違うというのか解りはしないが、広がる空の灰色と己の心は重なり合っていないと思えた。
では、では―――この、靄は。


「戦況と同じ、でしょうか」

厚い灰色雲の連なりを見上げて、郭淮はぽつりと呟く。
太陽の姿は今日一日、雲に隔てられて見る事が出来ずに終わり。
常に程好い緊張感が保たれた陣内では夜営の準備が開始され。
一陣の秋風、薙ぐ。

「…中に入った方が良さそうですね。体調を心配されそうだ」

強い風の気配に陣内の軍旗が勢い良くはためくを見て。
郭淮は外套を翻し、風の及ばぬ自身の天幕へと身を寄せる。

「…ん…ああ、完成したのか」

簡素な天幕内に物は元から多くはなく、増えていれば目に付く。
唯一、存在感の強い机の上には、膠着した戦況の間にと作らせていた周辺の地形図が置かれていた。

「実際に、この目で把握する方が良いのですが…」

シュルリと紐解き、現れた図面。
なかなか精緻に描き込まれた仕上がりとなっており、出来映えの良さから郭淮の見通しが膨らむ。

「…成る程、こういった地形になっているのであれば…」

机上に大きく地形図を広げ、全体から細部に目を通す。
行くべき道は、退くべき道は。
最も善き道を看破し、行軍路を確保すべく入念に。
そうしていれば―――
不確かな、掴み所の無い靄の事を忘れられる気がしたから。

(このまま眠ってしまえるなら…今日は、その方が良い)

目の前の平面を、思考の箱の中では立体に広がる景色と変え。
更ける秋の夜は早く長く。
目論見通り、だろうか。
暫くの後、郭淮は地形図を広げたまま机に伏して寝息を立てる。
夢に於いては蒼天、導き出した道を鳥の如く飛び駆けるのは―…

「……い、…わ、い…」

―…進む一方だけの道…を…
指し示そうとは…思いません。

「…おい、か……い…」

―…退くべき、いえ、帰るべき…
道も必要だと…考えています。

「おい、起き…郭…」

―…失わずに済むのならば。
私にも…そんな存在が…

「おい、起きろ郭淮」
「んっ…何でしょ、う…えっ?」

夢の中の自分は一体誰に対し語っていたのか、始めに郭淮がそう思った事はすぐさま吹き飛んだ。
自分を揺すり起こした者の声、徐々に開いた双眸に飛び込む赤の外套は、まるで鳥の翼の如く。
嗚呼、夢の中で駆けていた翼。
だからまだ、夢に違いない―――

「…大丈夫か?寝起きで状況がハッキリせんのだろうが…」
「そう、ですね。…張コウ殿」

夢ではないのか…そうか。
起こした人物の事を、張コウの事を郭淮は現実だと認識する。

「まったく、毎回そんな寝方をするから身体を壊すのだろう」
「…よく言われますね」
「分かっているのなら…いや、行軍路を練る事まで悪いとは言わん。だが…身体は大事にしろ」
「ええ。…あの、張コウ殿」

郭淮には分からない事があった。
天幕の外を見れてはいないが、恐らくまだ夜である筈。

「何だ?」
「周辺の各将軍には、一度こちらに合流すべし…との命です。」
「そうだ、だから俺も命令通り合流を果たした訳だ」
「…そうです、そうですが…張コウ殿が布陣されていた場所からこちらには、早くても翌朝以降になるものと計算していたので」

夢だと信じた理由にして疑問。
居てくれる筈がない。

「…あの場に留まる意味が無くなったのであれば、意味の有る場へ急ぎ着いても構わんだろう」
「戦略的には、助かりますが」
「…幸い、雨が降らずに済んだから行軍に支障も無かったしな」
「降らなかったのですか。…しかし随分な強風だったのでは」
「…それはそうだが、つまり…」
「つまり?」
「…言うまで粘る気か。その…留まる意味だの雨がどうのは二の次の理由で、とにかく…お前に早く会いたかったからだ」
「はい?」

郭淮としては、その様な事を言わせたいと誘導したつもりは無く。
何を言っているのか、キョトンとした表情で張コウを見詰めて。
その眼差しに気付いた張コウは、どうやら自分が本来必要の無かった事まで口にしたと察したが。

「…本心だから仕方なかろう」
「私に、ですか」
「そうだ。…少しで良いから話をしたくてな。眠っていたのを起こして悪かった、ゆっくり休め」
「あ…張コウ殿」

翻り離れゆく赤の外套。
どうしてなのか、郭淮の目には赤が煙る靄の中に包まれた様に。

(待って、下さい―――)

ぎゅう…っ…

「!…郭淮」
「違うんです。でも」

靄の中へ手を伸ばしていた、繋ぎ止めなければと心から想った。
それでも口を開けば素直に縋れない言葉しか出てこないけれど。
郭淮は張コウに後ろから抱き付き、しっかりと腕に力を込めれば。
秋の夜風に冷えていた張コウの身体に、じんわりと熱が灯る。

(…靄が、見えなくなった…)

晴れたのは視界だけではない、胸中を覆っていた靄も掻き消えて。
澄み渡る、こころ。
モヤモヤなんて最初から。

(何だ、私は―――…ただ)

「俺としては、正面から抱き付いて欲しいものなのだがな」
「…嫌です。張コウ殿、私の顔を見ようとしますから」
「当たり前だ、俺はお前の色々な表情が見たい」
「見たとしても早々に忘れて下さい、先程の顔…だとか…も」
「ふ…そんな事を言われては、余計に忘れられんな」
「…ですよね」

装具による隔たりなど関係無く、混ざり合う互いの体温。
今だけは安らぎを享受したい。
今日、一日。
ずっと…こうしたかったんだ。


(私も)
(早く会いたかった、です)

■終劇■

◆漸く神速張コウさんの軍旗を獲得した個人的な記念も兼ねて。
今回のシチュエーション、診断メーカーの結果から頂きました。
今回「も」ですかね(;´v`)

【イチャイチャしましょ!】
迅速郭淮は神速張コウに後ろから抱きついた。心のモヤモヤが晴れていく。今日一日、ずっとこうしたかったんだ。
https://shindanmaker.com/687098

素直じゃない設定の迅速淮ですが、書いてみると己の設定に反して割と素直になってしまう(笑)
端々に「素直じゃない感」は滲ませたいと思っているけれど、同時に素直な時はとことん素直というのがウチの迅速淮になるかと。
そして同診断を別の日に、神速張コウは迅速郭淮という逆の立場でやってみた結果がありまして。

【イチャイチャしましょ!】
神速張コウは迅速郭淮へLINEを送る。語尾にハートマークをつけてみたら「ハートwww似合わないwww」とか返信が来て後悔。
「でも嬉しい。可愛い。好き」と追加が来て照れる。
嬉しい。好き。
https://shindanmaker.com/687098

こ れ だ !! …と。正に自分の理想とする神速迅速像なのです。
迅速淮には自分の柄じゃない事にも踏み込んじゃう神速さん。
それを弄りながらも、自分の事を想ってだとは理解してるから、すぐ素直に嬉しいと伝える迅速淮。
このバランス!だ!!と。
何ならこれも小噺にしようかと考えたのですが現パロ予定が今は無く…しかしこの雰囲気が以降も下地になると思うので(*・ω・)
後書きで紹介する事にしました◎
ハートマーク…本当、神速張コウさんには似合わない…(にやにや)

2017/09/30 了
clap!

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