【3594taisen】
Honey pain
「…!……ッ…」
「…張コウ殿?」

休日のお昼時、張コウの家。
両の腕で頬杖を付きながら張コウの背に対して一方的に話し掛けていた郭淮は、小さく漏れた痛みの声を聞いて一時、己の話を断ち切った。

「どうしたんですか?……あ…っ…」

不思議に思い机を離れてキッチンに近付くと。
張コウの指から、しとどに流れ落ちる鮮血の赤を見る。

「…見ての通り、切っただけだ」
「あらら、しかし張コウ殿ともあろう人が何でまたそんな不注意を?」
「……飯を食わせろと言うから作ってやっている後ろで、延々と話し掛けられ続けて気が散ったからだろうな」
「え〜と…俺のせいですかね?」

ぽりぽりと頭を掻きながら、どうやら怪我の原因は自分にあるらしい事を郭淮は理解した様だ。
いつもの飄々とした調子ではあるが…多少なりとも、申し訳無い気は有る様子を見せる。
ふむ、と。
流れる赤を見詰めていた郭淮は、一呼吸置いてもう一歩、張コウに近付く。

「それじゃあ、ちゃんと責任を取りませんとね」
「…何をする気だ?」

自分の手を取った郭淮に大体の察しは付いたが一応、張コウは問う。
問いを受けた郭淮の表情は、分かっているでしょう?とでも言いたげで。
加えて張コウが否定しない事も見透かした様。

「まあ、お約束という事ですよ」

言うが早く、郭淮は赤に塗れる張コウの指に口唇を落とすと。
舌を添え、傷口をなぞり撫でて赤を絡め取る。

「…思ったよりも、深いですねえ…」

ぱっくりと開いてしまった傷口を這う舌の感触に、軽く吸い上げられるその度に、ジクリとした痛みも走るが。
しかしそれと同時、舐られるその行為に。
異な感情も芽生える。

「…?…張コウ、殿?」

不意に。
髪を梳き上げながら、頬に掌を添えられて。
反射的に郭淮は上目を張コウに向ける。
その表情は、郭淮もまた同じである事を窺わせていて。

「……一応、そういう意味じゃあないんですけどね」
「ならば、その様な顔を向けねば良かろう」
「…そりゃ、しょうがないじゃないですか」

お互い様、か。

れる…と。
目線を指に落とし直すと、郭淮は再び丁寧に赤を追い集める。
咥内に広がる鉄の味に、何故か嫌悪は無い。


貴方の、だからか。


「…う〜ん…キリが無いですねえ」

そうして暫しの間、張コウの指を慰撫していたが。
零れる赤が止まる様子を見せない事に、一度口唇を離す。

「…もういいぞ、そこまで差し障りが有るような傷ではないからな」
「駄目ですよ、ちゃんと処置をしませんと」

なら普通に止血手当てをしろ、と思わなくもないのだが。
実際のところ、深いとはいえ知れた程度の傷。
張コウとしては「好きにさせている」というのが実情といったところか。

「ああ、そうだ!……え〜っと……あ、ありましたありました♪」
「……何をする気だ?」

今度の問いは、先程とは異なる。
郭淮の仕事上における閃きに関しては、張コウも一目を置いている。
しかしながら平時において、となると話は若干別だ。
何を思い立ったのやら、ごそごそとキッチン回りを探し始めて。

探し当てたのは、蜂蜜。

「何でも、蜂蜜には強力な殺菌消毒作用があるそうですから」
「…何処で聞いた話だ…というか、止血ではなかったのか?」
「あれ、そうでしたっけ?」

思考を、どう飛躍錯綜したのかは分からないが。
何時の間にやら郭淮の結論は、止血から殺菌消毒に変わっていたらしい。

「まあ、ほら、モノは試しと言いますし…殺菌も大事ですからね」

そう言って蜂蜜の入った瓶の蓋を開くと、甘い香りが鼻腔に広がる。
張コウの掌を取り、つ…と、郭淮は粘質の流れを赤に落とし始めた。

のは、いいが。


ぼたぼた。


「あああ!流し過ぎましたかね?」
「……お前という奴は……」

その先を言うのも、最早言ったところで仕方が無い。
器用なクセに、妙なところで不器用なのは知っている。
張コウの掌も、その手を取っていた郭淮の掌も。
すっかり蜂蜜塗れになっていた。

「…勿論、責を取って貰えるのだろう?」
「…俺のせい、ですからねえ」

促しを含んだ双眸に見詰め囁かれては抗えない。
蜂蜜の詰まった瓶を傍らに置き、郭淮は張コウの指に口唇を寄せ直す。

「…甘い…」

丁寧に蜜を舐め取ると、咥内は眩暈を覚える様な甘味に包まれて。


くらくらと。


朦朧にも似た感覚を。


それは急に。



口唇を奪われる形で。



また、眩暈。



「……ちょ、うこう…どの……」
「…成る程、確かに甘いな」

郭淮の口唇に付いていた蜂蜜を綺麗に舐め取ってから、離す。
とろり蕩けて、熱く潤む瞳に。

「蜂蜜が甘いのか、お前が甘いのかは知らんがな」

つい、そんな言葉が出る。

「…張コウ殿って、結構、サラリと恥ずかしい事を言ってのけますよね」
「そうか?」

ふ、と。
瞬間に細めた目元は、既に何時も通り。

「俺は、自分に素直なだけだがな」
「奇遇ですねえ…俺も、わりとそうですよ」

気が付けば。
蜂蜜に濡れる互いの指先は、それが自然であるかの様に交じり合い。


傷口に触れる痛みが。
刺す様に、甘い。


Honey.

Honey.


Honey Pain.

■終劇■

2007/08/03 了
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