【3594taisen】
朧月、愛を謳いて
霞む夜の月なればこそ。
朧に惑う心は、確たるを欲したのか―――
「愛していますよ、張コウ殿」
幾度かの情事を終えた際に、聞こえるとも、聞こえずとも取れる囁きを。
しかし確かに、捉えた言の葉。
「…俺に愛を謳うとは、余程の物好きだな。お前は」
「どうしてです?」
「謳われたところで、応え様なぞ知らん」
思った素直を返せば。
腑に落ちぬ、といった郭淮の表情が返り。
「愛してくれています、よ?」
そんな事を、吐く。
それが解らぬのに。
「―――"これ"が、そうだというのか?」
寝台に身体を横たえたまま、見上げる郭淮の口唇へ。
「…そうですねえ…これも、そうだと思いますよ」
「…解らんな」
重ねる事が正しいのか。
言の葉よりも、余程確かだが。
「言い方を変えましょうか。…例えてみるなら…生きているって、実感出来るんですよ」
「…俺は、戦場でしか"生"を知る事が出来ん」
奪い、奪われる中で見るのは根源的な生き物の本性。
生への執着が滲む、明確なそれ。
それしか知らぬ張コウには。
不確かな、愛というかたちに―――生なぞ、見えない。
「…存外、難儀な方ですよねえ。張コウ殿って」
「その難儀に、好き好んで付き合っているのはお前だろう…だから、物好きなのだと言っている」
「ああ、そうでしたっけ。…成る程、そうかもしれませんねえ」
くつくつと、小さく笑みを零したかと思えば。
すぐに笑みを絶やし、如何にしたものかと思い悩み始める。
「う〜ん…どうしたら、解っていただけますかねえ」
「…理解、か」
知り得る、感じ得る。
ならば、俺が知るそれと近しいかたちに成せば。
或いは。
「…張コウど、の…?」
意思の介するところだったのか。
月の揺らめき、灯の揺らめき、惑うたまま、思うまま。
伸ばした腕は、郭淮の―――郭淮の、喉笛を。
微かに籠めた掌は、息を呑んだ様をありありと伝える。
生が、この掌の内に在る事を。
対峙する、そのまま。
異様に研ぎ澄まされる五感の騒めきは…戦場のそれに、似通う。
それが必要なのだ。
感じ取らなければならない。
息遣いの、ひとつひとつ。
それらを知る事は、自らの生に通ずる術。
だが、今は。
今、それをするのは。
生き得る為の手段では、無い。
目の前の郭淮を、知る為の。
否、知りたいと願う欲求が。
「…俺は、きっと、それでも―――言うと、思いますよ」
何かを。
戦場とは異なる生の脈動を、朧げに感じ取りつつあった中で。
ゆっくりと開かれた口は、謳いを絶やさぬ事を伝う。
「…何故だ?」
「言ったじゃないですか、生きる実感だって」
「…ああ」
「だから、張コウ殿は、俺の生を絶つのも自由なんですよ」
如何な理屈なのか、理解しかねた顔をする張コウに。
幽玄なる笑みを湛え、それ以上は黙して語らず、抵抗もせず。
そうする事で、張コウが知り得るならば、と。
「…張コウ殿?…っ、げほっ…」
掌を喉笛から離せば、白い喉に残る紅き跡が目に付く。
加減を成したつもりでいたのだが、思うよりも。
「……益々、迷わせてしまっただけでしたかねえ」
「…ふ…そう…だな」
まるで意に介さず、何も変わらず何時もの口を利く。
本当に、良いと思っているのか。
「結局、何のお役にも立てませんでしたかね。俺」
「…いや」
少なくとも―――理解し得た事。
「…お前が居なくなっては、俺にその"愛"とやらを教えられる者が居らんとだけは…思った」
「…それは…光栄、ですね」
またひとつ、笑みを零して。
またひとつ、謳いを。
それでも。
きっと解らぬ、と。
解るのに。
こんなにも知るを願い、惑わされるのは。
「…愛して…いますから、ね。張コウ殿…」
お前が、これで。
嘘吐きではない事を知ってしまっているが故。
今宵の朧月が如く不確かな愛の言の葉が、深く深く刺さり。
その意味を欲し、また、お前に溺れゆく。
■終劇■
2008/06/15 了