キスから始めましょう





 粘っこく、拭っても拭っても取れない。色で言うと、紫や黒みたいな、そんな曖昧な感覚が蔓延り、朝から気分は最悪だった。それでも時間は進むしかなくて、ぼさっとしていたら、アイツに早く仕事しろと怒られた。

「捗んないだもん」
「もんじゃねーよ。やれ」

 アイツは早くやれと小突くので、仕方なく書類に意識を向けるが、やっぱり捗んないままだ。いつもなら終わっている書類に、まだ手こずっている。何故だ。自分でよく分からなかった。
 深いため息が、斜め上から聞こえた。自分のではなく、アイツのものだった。

「どうした」
「どうしたんだろうね」
 それ、さっきから分かんないんだよ。お前が来てから、ってのはハッキリしてんだけど。
「訳分からねぇよ」
「俺も分かんない」

 質問がいたちごっこ、じゃないか、堂々巡りをする。俺もリボーンも、変な顔だ。
 なんなんだろう。もう一度考えて、それで、当てはまるものを考えた。

「んー……あれ、あれに似てる」
「なんだよ」
「物足りなーいって感じ。そ、えっと……欲求不満?」

 むずむずと走る感覚に、名前を付けるならそれ、だ。別に疚しいものじゃなく、満たされないだ。何が満たされないのかが分かんないんだ。
 納得だろ!と、リボーンを見ると、また変な顔をしていた。こいつでもこんなこと言うのか、みたいな顔をしている。

「なんだよ……。俺がそーゆーこと言うの、変?」
 人間なんだから、そーゆーことだってあって当たり前、だろ。
「いや、変じゃなく……。何でだよ」
「……は」

 そう言えばそうだ。何で欲求不満なんだ。愛人だってまあ、いるんだから欲求不満などならなくてもいいはずだった。一体、とここまで考えてある可能性を思いつき、思考が一気に展開した。頭の中で、二人の自分が嘘だホントだと言い争いをしている。
 固まった俺の顔を、不思議に思ったアイツが覗き込んでくる。黒い宝石だ、と一瞬その魅力に囚われ、慌てて顔を逸らす。

「悪い。具合が悪くなったのかと思ってな」
「や、大丈夫! ちょっと思い出してね。考えに耽っちゃったよ」

 ほら、お前は次の仕事だろう。と、体よくリボーンを部屋から追い出し、自分の腕の中に顔を埋めた。頭の中では、まだ自分の分身たちが言い争いをしているが、結果は分かっていた。
 さて、これからどうしようか。ほとんど毎日、アイツは俺と一緒に居られるようにスケジュールを組んでいる。中学生のころに、ボスの姿が楽しみだとか言って居座れるように契約だぞ!と書類にサインさせられたことは、今でも覚えている。つまり、俺には頭を冷やして考える時間がない。仮に、もし、この感情を認めてしまったとして、俺に残された選択肢を思うとぞっとする。神様というやつは、とことん俺を苛め抜くつもりらしい。

 バタン!ドアを荒々しく開く音がして、扉に視線をやれば、つい先ほど追い出したはずのアイツがいた。ずかずかとこっちまで来たと思ったら、いきなり胸倉を掴まれ、気付いた時にはあの端正な顔が目の前にあった。
 そこに感じた温もりと、普段より色濃いエスプレッソの香が、俺の頭の中を乱した。
 ようやくその距離が開いたとき、俺はただアイツを見上げてポカンとするほか無かった。対するアイツはいつも以上に輝かしい笑顔で、こう言った。

「俺が、その不満満たしてやろうか。ボス」

 いい年して、俺はその笑顔に、どうしようもなく心臓が高鳴ってしまった。

___end
 イケメンな先生を書きたかったんです。


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