なまえは柿が大嫌いだった。なぜなら、林檎のように甘酸っぱい味もしないし、梨のように果汁がさっぱりとして瑞々しい味もしないからだった。それに、ただ柿と言う甘さだけしかしなかった。厳密に言えば、なまえは柿単品で食べることが嫌いだったのだ。そのように横で苦い顔をして湯呑を持っているなまえを余所に、自身のスピードを「音速」と自称する忍者は、ムシャムシャと美味そうに柿を貪っていた。果肉と共に忍者の口の中で踊っていた種が、忍者の口に捕らえられる。横で緑茶を啜るなまえを余所に、ムシャムシャと美味そうに柿を貪っていた忍者は、「プッ」と種を吐き捨てた。それを横で見ていたなまえは苦そうに顔を歪める。だが、忍者が飛ばした種の行き先を見て、「おぉ」と目を輝かせる。見事、柿の木が生えるように剥き出しの土へ種を吐き捨てた忍者は、またムシャムシャと美味そうに柿を貪っていた。忍者の手が薄い橙色の果汁で汚れる。柿と一目で分かる特徴ある橙色の果実を見ながら、なまえは口を開いた。
「ソニックの味覚ってさ、おじちゃん臭くない?」
「……は?」
 口の中に残る果肉の絞りかすも残さずゴクン、と飲み込んだ忍者は、訳の分からない顔をしてなまえを見る。苦い茶滓の残る湯呑を手にしたまま、なまえは忍者へ言った。
「だってさ、最近の子なんて、柿なんて食べないよ?美味しそうに食べるなんて、おじいちゃんみたい。」
「俺の里では、これが普通だ。」
 その誤った認識に負けじと言わんばかりか、ジロリと忍者はなまえを睨みつけながら言う。もう葉っぱを毟り取られて半分以上も食べられた柿の無惨な姿を見ながら、なまえは口を開く。「まるで、カチカチ山みたいだね」と口を開くなまえに「はぁ?」と忍者は口をへの字に曲げながら言った。なまえの目に、忍者の歯に置き去りにされた果肉の残骸が見えた。
「あ、蟹の方だった、蟹、蟹。」
「「カ」しか合ってねぇじゃねぇか。」
「そうだけどさ。でも、そこで猿が木に登って、蟹に柿を投げつけたでしょ?」
「あぁ、そうだな。だが、誤解するなよ。猿ごときの攻撃が、この俺に当たる訳がないだろ。」
「どうしてそうなるのよ、アンタはいつもいつも、そう。なんで、私の口から他の話が出る度に、そうも意気地が張るの?」
「張ってない。」
「張ってるでしょ。」
「張ってない。」
 負けじとばかりに言い張る忍者に、なまえはほとほとと呆れ果てる。忍者はムシャムシャと三分の一までに減った果肉のカスも一つ残さずに食らうかのように貪りながら、頬杖をつくなまえを見る。忍者の眼光は相変わらず、鋭い。なまえは忍者の両目の下にある、縁どられた黒の逆三角形のペイントを見ながら、口を開いた。縁どられた黒のペイントと言っても、中身を塗り潰す黒でもう、その縁どられた線など消えてしまっているが。微かに残した縁を眺めながら、なまえは口を開いた。
「いつもの口上はどうしたのよ。「お前は運がいい。ちょうど、俺の契約した期間中にあるのだからな」「すぐに片付けよう」「十秒で片付けよう」、だなんて言うのは。」
「今は違う。……ってか、最後の、言った事もないんだが。」
「冗談よ。前、見た映画から。」
「なに?」
「なんでそうも、鋭く睨むのよ。私の勝手じゃない。」
「誰と見たんだ。」
「誰とも見てないわよ、一人よ。」
 大好きなルパン三世の映画を見てたのよ、何か文句ある?とジロリと睨みつけるなまえの眼光に、「う」と忍者は怯む。柿を握っていた指に残る果汁をペロリと忍者は舐める。ジロリと睨みつけるなまえの様子を見ながらも、決して残る果汁を一つ残さず舐めると言う事も忘れない忍者の動向に、まるで餌をお預けにされたものの餌にありつけて、それでも尚怒る主人の様子を恐る恐る伺う犬のようだわ、となまえは思う。きっと、犬の尻尾があったら、股の間に挟んで、恐る恐る餌に口をつけているでしょうね、などと考えながら。
 忍者は指についた果汁を舌で舐め取った後、菓子受けに残る柿を手に取った。苦い茶滓の残る湯呑を両手で持つなまえは、淡々とした調子でそれを見る。残る一個を手に取った忍者は、一目でわかる橙色の果実に齧りつきながら、なまえに言った。
「食わないのか。」
「え?」
「食わないんだな。」
 些か影を落とすように言った忍者の声色に、なまえは眉を顰める。そして菓子受けに残る煎餅を素早くとりながら、忍者に厳しい声色で言った。
「食べるわよ。隣で、バリバリと音を立ててもいいのならね。」
「フン、忍者ならば音も立てずに食べてみろ。」
「お生憎様。」
 私は忍者でもなんでもないのよ、と鼻を鳴らしながら、パリッと小刻みのよい音を立ててなまえは煎餅を食う。密封された煎餅が漸く自分の口の中へ落ちた事に、なまえは頬を綻ばせる。隣で美味そうに煎餅を食うなまえの様子を見て、忍者は柿を食う事を止める。パリッ、バキバキ、パリッ、バキバキ、なまえの口の中で煎餅が砕かれ、割れる音が鳴る間、忍者の視線は煎餅を食べるなまえの様子に止まる。まるで釘が杭に打たれたかのようにジッと見やる忍者の視線に気付いたなまえが、「ム」と眉を顰めながら煎餅を庇った。
「なによ、最初にどうぞ、と言ったのは貴方じゃない?」
「お前の食べる音が煩いだけだ。」
「ふん、お生憎様。でも、それだったらそうと、柔らかいものを選べばいいだけじゃない?」
「……。」
 柔らかい煎餅など、ないだろう。と毒と皮肉を吐こうと忍者は、そこで口を止める。開いて言葉を紡ごうとした忍者の口が、動きを止める。厭味を吐いた忍者に厭味を言い返したなまえは、堪え切れないとばかりに、美味いと感じる煎餅に齧りついた。それを正面で、忍者は見る。茫然と見つめている忍者を知らずに、なまえはバリバリと美味そうに手にした煎餅を食べきった。ペロリ、となまえの舌が指についた煎餅のカスを舐め取った。
 なまえの手が、また一つ煎餅の入った袋を取る。
「それはそうと、そうなら私を呼ばなくてもいいんじゃない?」
「は?」
「茶店、よ。男一人で入ってく、のもあるって聞くわよ?」
「……俺は別に、菓子を求めている訳じゃない。ただ、此処の柿が美味くて」
「こっそりと、甘いこしあんたっぷりの、饅頭を頼んでる癖に?」
 う、と忍者の口が噤む。サッ、と人差し指で忍者の横に隠された皿を指差したなまえは、淡々とした調子で言った。二の句を継げない忍者が次の句を探している間に、店員がくる。こざっぱりとした小袖に割烹着を着た店員が、なまえへ甘い饅頭の乗った皿を丁寧にお辞儀をしながら渡す。「ま、私も好きだからいいんだけどさ。」となまえはお辞宜をした店員にお辞宜を返しながら、忍者へ言う。
「でも、本当にいいのよ?私にも予定と言うのはあるんだし。」
「お前の予定など、知ったこっちゃない。」
「なにそれ、デリカシーのない男は、嫌いよ?」
「……。」
 ジロリ、と音のつく視線と共に吐き出された誡めの言葉に、忍者は口を塞ぐ。軽い冗談のノリで誡めの言葉を口にしたなまえは、反応のない忍者に首を傾げる。ぐっ、と喉にものが詰まった忍者は、への字に曲がって閉じた口を開こうともがく。自身の振る舞いがデリカシーのないものだとしても、自身の性根は曲げられなかった。だからと言って、その誡めの言葉は言葉としても、キツイ。忍者は歪に下へ曲がった口を開こうともがきながら、声を出す。忍者の閉じた口から「ぐ」と吐かれた声が外に出る。なまえは首を傾げたまま、忍者の動向を見た。そしてすぐに縁側から腰を上げた後、甘く美味い実のなる柿の木へ近づいた。なまえの手足が器用に木を登る。口から何も言えないでいた忍者は、口をへの字に曲げる事を止めて、突如木を登り始めたなまえを見る。なまえの手足が器用に木を登り、太い枝に腰をかける。忍者は縁側から腰を上げた後、なまえの座る木の太い枝の下の方へ足を進めた。
「さるがに合戦の話をしましょう?アンタ、猿ね。私、投げるから。ちゃんと避けるのよ?」
「……」
「なによ、ちょこまかと動くアンタなんて、猿がお似合いじゃない。そして私はこの木を大事に大事に育てた、赤い蟹の役よ?昔みたいなおままごとじゃなくて、よかったじゃない?話が変わる、と言う話は置いといて。」
 蟹が木に登る訳でもないし、蟹が壁と垂直で登れる訳でもないし、と早口で心の中で言ったなまえはもぎ取った柿の実を口に近づける。なまえの支払う料金分に、柿の実一つ分の値段が加わった。縁側から柿の下へ移動した忍者は、ただ太い枝に腰かけるなまえを見上げるだけだった。
 口に近づけた柿の実から漂う匂いに躊躇っていたなまえは、一向に何の反応を示さない忍者へ視線を下ろす。猿の役を押し付けられた忍者は未だ、さるがに合戦の猿のように、器用に木へ登らない。そしてさるがに合戦の蟹のように、木に登れない蟹のように、すぐさま地面へ着地して落ちる柿の木を待つ赤い蟹の役になれないなまえは、グルグルと複雑な思いの絡まった黒い糸を、頭上の上でグルグルとぐちゃぐちゃ巻きにさせた。
 なまえが恐る恐る、嫌いな柿を口に近づける。なまえの犬歯が柿の実を齧ろうとしたちょうどその時、下で見上げていた忍者が長い沈黙を破って、口を開いた。
「パンツが丸見えだぞ。」
 率直へ言い放った忍者へ、なまえの手に握られた柿がイチロー選手の剛速球を纏って下りてきた。
 ゴツン!と鈍い音が忍者の額と柿の間に鳴り、忍者の額に激突した柿はそこで砕け散った。衝突した衝撃で木端微塵になった柿に構う事なく、苛立たしく「フン!」と鼻を鳴らしたなまえは、こっそりと縁側から持ってきた団子を口に含む。三食団子のピンクの部分がなまえの口の中に潜り込む。桃の節句、春霞、皐月の節句がなまえの口の中で踊る。例え季節が何度廻ろうとも距離が開こうとも互いの互いに対するものの見方が変わろうとも、結局忍者がなまえに対する態度は変わらなかった。
 春うらら、腹が立ったなまえは漸く、大嫌いと思える柿へかぶりついた。相変わらずの嫌いな味がなまえの口の中に広がる。「う」となまえはキツク眉間に皺を寄せたものの、漸くこれでも一歩は進んだか、と自分で思っていた。
 今まで頑なに態度を崩さなかったなまえが一歩踏み出して近付いたと言う事に、忍者ソニックは気付かなかった。大嫌いな柿を好む忍者の代わりに、木の上に座るなまえはまた一口、大きく齧りついた。




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