小説 | ナノ




さよなら誰かさん




「名字先輩」
「んーなんだい財前くん」
「携帯鳴ってますけど」
「うん、鳴ってるね」
「出ないんすか」
「うん、いいのいいの」


司書の先生から預かった発注表で蔵書点検をしていた後輩は、心底面倒くさい顔をしてため息をひとつ落とした。静かな図書室に延々と響くバイブ音に、彼眉間に刻んだ皺をいっそう深くする。


「出ないんすか」
「だから、いいのいいの。何?財前。気になるの?」
「気になりますわ」
「えっなにそれ!財前もしかしてわたしのこと、」
「あほか。ちゃうわ。うるさくてかなわん」


まるで道端で踏みつけられたみみずを見下す勢いで心底うざったそうな面持ちで吐き捨てるように言う後輩に、私はようやく長編小説から顔をあげてしぶしぶ携帯をチェックする。この子今普通にあほとか言ったぞ。仮にも私先輩なんだけど。ぶーぶーとうるさく鳴り響く携帯のディスプレイは予想通りの発信者を表示している。心底うんざりして、それをバックの中に乱暴に放り込んだ。ええい、本当にうるさい。


「ええんすか」
「いいのいいの。ま、しゃあないっすわあーってやつ?」
「は?ウッッザ」
「うっさいなー手を動かしな、手を」
「動かしてへんのは先輩やろ」


あんた今日は何だかおしゃべりね、といってやったらフンと鼻をならされた。委員会が一緒になってついでに当番も一緒になってかれこれ半年は経つけど、いつだって私を邪魔そうに見るし、このはねっかえりで生意気な後輩くんは一向に懐いてくれる様子がない。だけどこんなんだから全く気を使わなくていいし、私にとってはそれが気楽で、正直居心地が良かった。


「ところで財前、あんた部活はいいの?」
「委員会とかそういうんちゃんとやらへんと、やたら真面目な部長にかえって怒られるんで」
「けど大会前じゃなかったっけ。あとは私やっとくから行っていいよ」
「先輩さっきから本読んでばっかやないすか」


信用できひんわ、変に生真面目な後輩はそう言いながらもくもくと作業を続けている。だるいっすわ、面倒っすわ、が口癖なくせに委員会の仕事は一度もサボったことはないし、何だかんだ言って作業をするのも真面目なんだもんな。実はこっそり感心している。


「そういうとこ真面目だよねー、さすが運動部」
「はあ、何すかその偏見。運動部関係ないやろ」
「私バリバリの帰宅部だから責任とか全く分かんないんだよね」
「まあ名字先輩と比べたら誰でも真面目っすよね」
「どういう意味それ」
「そのままの意味っすわ。真面目な人間は男とっかえひっかえせえへんやろ」


分かりやすくトゲトゲしく財前は言った。別にとっかえひっかえしてるわけじゃないんだけど、という言い訳はもうとっくの昔に何度も何度もしたものだったので案の定、もう聞き飽きましたわ、と鼻で笑い飛ばされてしまった。


「だって向こうから寄ってきて勝手に彼氏面されるんだもん」
「気い持たせるようなことするからやろ」
「そんなつもりはないんだけどなー」
「勝手に言い寄ってきた男にいい面しといて振り回して振り回されて、最終的にいちいち傷ついてるんじゃ世話ないっすよね」


なんだ。本当に今日はよく喋るなこの後輩は。ていうかさっきから分かりやすくケンカを売られているとしか思えん。それに、誰が傷ついてるって?確かに私は言い寄る男にへらへらしてたかもしれないし実際振り回すし振り回されてるけど、傷ついた覚えなんかこれっぽっちもない。


「別に傷ついてないよ。だってどうせみんな本気じゃないんだし別によくない?」
「まあそらそうやろな」
「ひどいわ財前!私相手に本気になる男なんていないって言いたいの?」
「ちゃいますわ。あんたが誰ひとりとして本気で向き合おうとしてへんって話」


そんなんあっちもこっちもすり減るの当たり前すわ。財前がこちらも見ないで言った言葉に一瞬だけ息が止まりそうになったことに気づくのに時間がかかった。...すり減る?私が?ていうか、さっきからどうして財前はいつにも増して不機嫌なのだろう。まさか本当に節操のない先輩にいよいよ愛想を尽かしてしまったんだろうか。今までさんざんあけすけに話をしてきたツケがきたのか。それはそれで寂しいような気もする。


「節操ないんか男見る目ないんか知らんけど、ほんま趣味悪いからとっととやめたほうがええっすよ、その男遊び」
「さっきから何で私こんなに一方的に罵られてるんだろ...ていうか財前、なんか怒ってる?」
「はあ?怒ってへんし。むしろ呆れとるんすわ。名字先輩の恋愛値のあまりの低さに」
「ひど!私そんなに恋愛初心者のつもりないけど!?」
「量より質の話や。やから俺、あんたに本気で惚れてもらうことにしたんで」
「...は?」
「誰かに本気で思われたらどうなるか、経験値のひっくい可哀想な先輩に俺が手取り足取り教えたりますわ」


強気な爆弾発言の割に相変わらずこっちをちらりとも見ようとしないから、思わず横顔を見つめてしまったけれど、頬も染めなければ照れるような様子も一切見せない。その無愛想な横顔を見つめていたら、あ、触れてみたいかも。と思ってしまった私がいた。ていうか、なに。財前がわたしの、本気の男になるって?なにそれそんなの全然きいてないけど。え、ちょっと可愛いじゃんか、結構、いやかなり。思わず顔がにやけてしまったら、財前がようやくこっちを見てギロリといつものように睨んでくる。


「余裕な顔できるんも今のうちやで、先輩」
「何それ。超楽しみなんだけど」
「ま、せいぜい首洗って待っとってくださいね」


口説いているのか決闘を申し込んでいるのかよく分からない台詞を口にしながら、財前は私の目をじっと見つめてから頬っぺたに手を伸ばした。そのまま私の頬に頼りなくかかっていた一筋の髪の毛をはらうと、ほんの少しだけ口の端をつり上げる。それ以上何を言うでもなく再び視線を落とすと作業に戻ってしまった。その瞳がいつもの生意気なそれでも、馬鹿にするだけのそれでもなく、ほんのわずかな真剣さと熱を孕んでいたことに気が付かないほど私は鈍感ではないけれど、心の奥のほうでさっきから鳴り続けているいびつな音を信じたくなくて、いつもみたいに強気な口調で無理やり笑った。なによ、財前のくせに。いつも通りの辛辣な毒舌ばっかり振り撒いたと思ったら、急に分かったような口利いて、勝手に口説いて、勝手に人の心のなかに踏み込んできて。「...ホント生意気」いつものように言ったつもりの声がほんのちょっとかすれてしまったことに、目の前の後輩が気が付いていませんようにと願う。だってこんなの知られたら、きっとまた君はさっきみたいに、今まで一度も見たことないような大人びた顔で笑うんでしょう。






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