小説 | ナノ




like heaven


※高校生




季節はいつも私を置き去りにしてあっという間に過ぎていく。初恋は幼稚園の時だった。いちばん足の速かった男の子。だけどもう、顔も覚えていない遠い昔のお話だ。燃えるような恋をしてみたいと思っていた。焦らなくてもいつかその時が来たらと夢見がちなところもあった。だけどその相手がよりにもよって、あの白石蔵ノ介だなんてことは。一度だって願ったこともなかったし、むしろ、全力で回避せよと頭の中で警報が鳴っていたほどだったのに。




「名字さん、これ」


凛と透き通る声に顔を上げれば、日誌を差し出ている整った顔のあの男。何ごともないように、みんなに向けるイケメンスマイルとか呼ばれている笑顔を惜しげもなく振りまいて「今日日直やろ」言う姿に女の子たちは心酔しているらしい。「...どうも」短く言って会話を断ち切ったのに、彼が踵を返そうともせずじっと私を見つめたままいるのに気がついた。...なに?そう言おうと口を開きかけたら、私の言葉よりも早く彼は言った。いやな予感がした。



「こないだの返事、まだ聞かせてもらえへんの?」



でた。何度目か分からないその問いかけと、困ったように下がる眉はすでにもう何度も経験したパターンだ。だいたい返事って。もう何度も言っているのにこの人ときたら、その度ちょこっと眉をひそめて「ちゃうなあ、名字さん。その答えはエクスタシーやあらへん」だとかなんだとか謎なことを言い出すからもうほとほと呆れ返ってしまった。カッコ良くて頭もよくて優しくてフェミニストで信頼がおけて、まさに完璧で、と彼の長所ならいくらでも挙げられるような女の子たちに、同じセリフを浴びせかけたなら、自分の望んでいる答えをいとも簡単に手に入れることができるだろうに。それなのに、どうして。


「何度も言ってるけど、無理です」
「なんで?」
「だから、あなたのことよく知らないから」
「あなたやのーて、白石な。あ、蔵ノ介でもええで」
「......」
「で、それで?」
「それで、って」
「俺のことよく知らんから?やから無理なん?」
「何度もそう言ってるんだけど」
「ほな、もっと知ってもらったらええっちゅーことやんな」


一体どこをどうしたらそうなるんだ。というか関わりたくないので放っておいてください、を精いっぱいオブラートに包んでいるのに何故分かってくれないんだ。もしかして分かってるけどあえてスルーされてるの?ひどくない?そして何か墓穴を掘った気がする。なんてポジティブな人なんだろうか。いやポジティブと言っていいのか微妙だけど。私の机をトントンとその長い指ではじいて、にこりと女の子たちが騒ぎたてる王子様スマイルで笑ったその人、白石蔵ノ介に対して私が持つ感情は相変わらず、ただひとつだけだった。






「白石くんて意外と押しが強いよね」
「そうか?」
「なんで私なの?」


ずっと考えていたけどさっぱり答えが思いつかないので単刀直入に聞いてみた。吹きっさらしの屋上で優しく風が吹いて、さらりと彼の髪の毛をさらっていった。綺麗に丸められた卵焼きをほおばって彼は少し考えるような仕草をする。まあ、どうして屋上にいるのかといえば、さらには一緒にお昼ご飯を食べるなんて奇妙すぎることになっているのかといえば、それはただ単純にこの人が有無を言わさず引っ張ってきたからだ。名字さん、今日弁当やんな。授業が終わるやいなや、クエスチョンマークをつけるでもなくにこりと笑って言う彼に嫌な予感がしつつもバカ正直に頷いてしまったが最後、じゃあ、といって私の反論も聞かずそのまま腕を引かれて今に至る。それはあまりにも一瞬のことで、拒否権なんてまるでなかった。彼にお熱の女の子たちに問いたい。この人のどこが優しいんでしょうか。まったく強引で自己中といっても過言ではないと思うんだけど!と、ここ数週間のうちにあらわになった、あの白石蔵ノ介のまさかの本性をいつ暴露してやろうかと考えを巡らせていれば、彼は私を見て少し目を細めて笑ってから、言った。



「なんでやと思う?」



ねえねえ、血液型何型?何型だと思う?に匹敵するほど面倒くさいその答えに私はげんなりするほかなかった。他の女の子みたくえー、そうだなぁ、だなんて可愛げに考える気もない私は、わかんないから聞いてるんだけど、と正直にそう言った。そんな私を見た彼はちょっとだけ遠くのほうを見るしぐさをする。その横顔が一瞬だけどこか寂しそうな、切なそうな、なつかしむようなそれにふと変わったのは私の見間違いかもしれない。次の瞬間には、あのお得意の、いつもの微笑みを浮かべていたから。


「好きになるのに、理由なんていらへんやろ?」


ああ、これだから。最も万人受けする無難な答えを返されて、私の疑問は本格的に迷宮入りしてしまいそうだ。ここ数週間の、そしてこれからも続くであろうこの男との非日常を考えたら少し頭痛がして、それをかき消すようにしてただお弁当をかきこんだ。そんなに早食いしたら消化に悪いで、と苦笑いする彼の言葉も、聞こえないふりをしてやった。









「名字さんて白石くんの何なの?」



ドラマや少女漫画なんかでよく目にする光景をまさか自分が体験することになろうとは思ってもみなかった。どれもこれも、すべてあいつ、白石蔵ノ介のせいだろう。今週でもう何回目だよ。可愛い顔をゆがめてこちらを睨んでくる女の子は、あいつと私が恋人同士にでも見えてるんだろうか?そうだとしたら乙女フィルターってすごいと思う。私が何も言わないのにしびれを切らしたのか「ちょっと構われてるからって調子のんなブス」それだけ言い捨てて去っていった。ぶたれなかっただけ全くマシである。



「名字さん」


今度はなんだと振り返ってみたら、驚いたような、苦いような、そんな複雑な顔をした白石蔵ノ介が立っていた。たぶん、いや絶対、いまのやりとりを見られてた。私ははあと大きくため息をつく。何でこうタイミングが悪いんだろう。


「大丈夫だよ、慣れてるし」
「慣れてる、って、こういうのよくあるん?」
「白石くんが気にすることじゃないから」


女の子は怖いんだよ。見かけと違ってね。男の子の知らない女の子の世界っていうのは、理想よりもずっと複雑でごちゃごちゃしてる。さっきのあの女の子だって、男であり好きな人である白石蔵ノ介に見せられないような本音の不満な部分を、女でありライバル(だと一方的に認識している)の私にぶつけてきたんだろう。それが私のせいであっても、なくても。私を見て、と、白石蔵ノ介に言えないかわりに。だけど俺のせいやろ?とでも言いたげな視線を向ける彼の言葉を遮った。


「原因が何にせよ、言われたのは私で、言ったのは彼女なんだから」
「でも、」
「だから、あなたには関係ない」


さっさと教室に戻ろうと踵を返したら、名字さん、ともう一度彼が私を呼んだ。



「ごめん」


そう呟くように言った白石蔵ノ介の顔は見れなかった。なんとなく振り返ることができずに、私はただ黙って屋上を去ろうとした。でも、あれだけこの男のせいでと思っていたのに、いざこうも素直に、それも聞いたことないような心の底からすまないと思っているような声で謝られてしまったら、なんとなく妙な罪悪感すら沸き上がってきて思わず足を止めてしまう。私が彼に対して罪悪感を抱くのもおかしな話ではあるけれど。


「謝らないでよ。別に白石くんがどうこうしたわけじゃないんだし、」
「ちゃう。俺今まで、わざと皆の前で名字さんにちょっかいかけてた」
「...は?」
「外堀から埋めてこ思ってたんやけど、ちょっと遠回りしすぎたわ」
「......」
「こんなつもりやなかった、ごめんな」
「...だったらもう私のことは放っといて」
「それはできひん」
「だから、もういい加減に、」
「せやからその代わり、もうしらばっくれんのはなしや。お互いにな」


思わず振り返ってしまったら、思ったよりもずいぶん近い距離に彼が立っていて、逆光のなかでちらつくその表情を完全に読み取ることはできなかった。いつもみたいに笑っているのに、でもいつもの笑顔とは違う、決して獲物を逃がさないというその鋭い眼差しがちらりと垣間見えて、背筋がぞくりと粟立ったのが分かった。だってその瞳を、私は知っている。



「......しらばっくれるって、何の話?」
「名字さん、ほんまは前から俺のこと知ってたやろ?」



なかなか言うてくれないから黙ってようと思ったけど、もうええよな。そう言って笑った。ギクリと揺らしてしまった身体は嘘をつけない。それを合図にしたみたいに、彼は一歩、また一歩と私との距離をつめる。


「中学んとき、テニスの全国大会見に来とったやろ。そんで俺のこと、ごっつ睨んでた」


どうしてそんなことを彼が知っているんだろう。私はまた一歩後ずさったけれど、背中に当たったフェンスがそれ以上を許してくれなかった。彼の手がフェンスを掴む乾いた音が、至近距離で耳に飛び込んでくる。強豪である四天宝寺中学校の部長だった白石蔵ノ介を知らない人なんて関西にはきっといない。そして、そんな彼が率いるあまりにも隙がなく強いテニス部に敗北を期した人間ならなおさら。


「なんで、」
「対戦相手のこと調べるんは当然やろ?せやから俺も、名字さんのこと知ってた。有能な美人マネージャーがおるて」
「......」
「せやけどまさか、高校でまた会えるとは思ってなかったわ」


私だってまさかあの白石蔵ノ介と高校で同じクラスになるだなんて思っても願ってもいなかった。それどころか、数ある対戦校の一つにすぎないテニス部マネージャーである私のことを覚えていたなんてあまりにも想定外すぎる。一向に言葉が出てこない私を見て、彼は満足そうに微笑む。それはまるで、あの時試合に勝ったときと同じようなあまりにもパーフェクトすぎる微笑みだった。


「せやけど名字さんは、まだあの頃の俺を見とる。俺な、名字さんにもっと俺のこと知ってほしい。四天宝寺中の部長の白石蔵ノ介やなくて、いまの俺のこと」


俺な、欲しいもんはどうしても手に入れたい性分やねん。いつも爽やかで愛想のよい笑顔を浮かべている彼にしては、それはあまりにも強欲で、かつて強豪校の部長を務めあげた人間としてふさわしい言葉だったように思う。ああ、やっぱり、私はその瞳を知っている。何よりも勝利を追い求めるその貪欲な瞳に、私たちは負けたのだ。彼が私に話しかけてくるたび、その姿を見るたびに、かつての対戦相手であり、あっけなく勝ちを許してしまった相手だというのにどきりと心臓を揺らしてしまったという少しの罪悪感が、私にまとわりつくあの夏を忘れさせてはくれなかった。



「そんで俺も、名字さんのこともっと知りたい」



燃えるような恋がしてみたかった。音もなく消えてしまったあの夏の代わりに。だけどそれがよりによって、あの白石蔵ノ介だなんて。全力で回避したいはずだったのに、夏の幻影に囚われてばかりいるのは私だ。言葉を紡げなくなった私に白石くんがそっと影を落とした瞬間に、あの夏の終わりのにおいが鼻を掠めたような気がして、それを振り切りたくて思わず瞼を閉じてしまった。今度こそは絶対に誤魔化すことができない、あの日感じた鼓動よりもずっと早い心臓の音を、確かに全身で感じていた。






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