小説 | ナノ




宇宙の終わりを知っていた


※転生ネタ






「おかえりなさい」




肩にかかった雫を玄関先で払う彼に声を掛けたら、降られちゃったよ。そう言って困ったように眉を寄せて笑ってみせた。これ、と差しだした、防水加工がしてあるえんじ色の紙袋を受け取れば、いつものようにきちんと靴を揃えてから鞄を置いた。


「濡れちゃったかな」
「ビニール掛けてくれてあるし、大丈夫だよ、きっと」
「だといいんだけど」
「わ、綺麗な色」


ローズよりもほんの少しだけ淡い色をしたシャンパンを、お気に入りのグラスに注ぐ。誕生日のお祝いに、友達がくれたペアのシャンパングラスは特別な日のためにとってある。とくとく、と静かに注がれるそれは光を反射してきらきら輝いていた。綺麗。


「じゃあ乾杯しようか」
「うん」
「かんぱーい」
「かんぱーい」


カチン、とグラスを傾けて、口に広がる花の香りは特別な日にふさわしい。


「兵助」
「なに?」
「わたし、幸せだよ。今、すっごく」
「…どうしたの、急に」
「なんとなく」


ふふふ、と笑う私に、もう酔ってるのか?と軽口を叩きながらもその頬はほんのり赤く色づいている。自分だって、と言おうとして、やめた。照れているのがわかったからだ。たまにはこんな雰囲気も悪くない。だって、今日は特別だから。


「あのね、兵助」
「なに?」

名前を呼べば答えてくれるその瞳が恋しい。優しい声が、愛おしい。兵助もそう思ってくれているのかな。そうだったら嬉しい。私とおんなじように、嬉しいって、大好きだって。


ねえ、兵助、わたしは、あなたと一緒に居られてとても幸せだよ。
















「…っていう、夢を見たんだけどね」

そう言えば兵助は鉄砲玉を食らったような顔をしてから思い切り顔をしかめ、「ハア?」とのたまった。
そりゃあ、おかしな夢だったとは思ってる。だいたい来世とか、生まれ変わりとか、未来とか。そんなの全然信じてないのに。そしてそれは目の前のこの男も一緒なのだ。非現実的な会話をいとも簡単にぶった切った兵助は「あのね、なまえ」言った。


「俺は来世とか転生とか、別に信じてないから」
「そうだと思った」
「だいたいなんだよ、その、シャ…シャン…」
「シャンパン?」
「…それ。聞いたことも見たこともないぞ」
「さあ。未来の飲み物なんじゃない?オトナの味の」
「なまえはそういうの、信じてるんだ」
「私だって、そんなの信じてるわけじゃないけど」
「……だったら、ちょっとこっちに集中してくれない?」


会話の内容が悪かったんじゃない、時と場合が悪かったのだ、きっとそう。兵助は私の腹のあたりを愛撫していた手を止めて、ゆっくりと髪を梳いた。言葉の割に柔らかいその手つきに思わず目を細めてしまう。気持ちいい。


「あれ、萎えちゃった?」
「違うよ、馬鹿」
「バカはひどい」
「…馬鹿だろ、なまえは」


俺を置いていくことしか考えてないから、ぽつりと言った言葉が真意なのかどうなのか私は聞かなかった。これはきっと兵助が、自分自身に溢したであろう所謂ひとりごとだろうと納得したから。ゆっくり目を瞑ってみれば、遠くで蟋蟀が鳴いていた。夜の闇は深く、そしてひどく静寂だ。


「…支度は済んだの?」
「うん、もともとそんなに荷物もなかったし」
「そっか」


何とも言えない沈黙を破ったのは兵助だった。だけど彼だって大概時と場合を選べない人間だと思う。何も一番言わなくてもいいことを。きっと彼もそう思っているに違いない。ばつの悪そうな、それでいてはっきりと読みとれない複雑な顔を彼はした。


「兵助」
「なに?」
「明日の朝、発つよ」
「…うん」
「授業でしょ?見送りには、来なくてもいいから」


うん、としか、言いようもなかったんだろうなということは、とうに私も分かっていた。5年という長い月日を過ごした学園を去ることは、決しておおごとじゃない、わけもないんだけど、私のような理由で学園を離れるくのたまはごまんといたから別段驚く話でもない。結婚するんだ、わたし。そう告げたとき、兵助は大きな目をさらに大きく開いて、それから今までみたことがないくらいに悲しそうに笑って、そうか、とだけ短く言った。唯一私が幸運だったのは、政略結婚まがいのその相手がよくあるような威張り散らしたドラ息子でも、女に相手にされなくなった中年男でも、親の財産に胡坐を掻くプライドだけは高い男でもなくて、本当に誠実でまじめで、実は私に一目ぼれしたんだと頬を染めて遠慮がちに笑うような人だったこと。その笑顔はどこか兵助を思わせた。散々迷惑かけた親にせめてもの孝行ができるなら、というのが私が最終的に出した答えだった。


「なまえ」
「うん?」
「俺はさ、来世とか生まれ変わりとか、信じてないよ」
「うん」
「でもさ、」


兵助の瞳が揺れた。頬に手を伸ばせばてのひらに口づけられる。私が幸せならいいのだと、彼は言った。なまえが決めたことならそれでいいと、瞳の奥に自らの悲しみをうまくうまく隠して。本当にどこまでもまじめで、優しい人だと思う。かっさらってくれたらいいのに、だなんて、少し期待していた私が馬鹿みたいじゃないか。



「なまえと一緒にいれるなら、来世っていうのも悪くないかもしれないな」




まるで大切な宝物に触れるように頬に添われたその指先は、ほんの少しだけ震えていた。







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