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世界とたたかう全てのひとへ


※社会人







それはそれはもう理不尽な一日で、ありがちな例えをするなら身も心もぼろぼろだった。重い心を引きずって帰宅してさっさとお風呂に入って寝てしまうか、爽快感のあるDVDでも見てすっきりしてからぐっすり眠ろうと決めて、近所のレンタルビデオショップに立ち寄った。メカアクションものを一本手にとってレジへ向かう。マスクをした店員さんが「100円です」バーコードを読み取る音がからっぽの頭に響いた。今週からレンタル100円らしい。メカアクションといえば…、…。一瞬頭をよぎった恋人のことも、今は考えたくないほどに私は憔悴しきっていた。






「よ、お疲れさん。遅かったな!」



なぜか鍵が開いていた。ドアを引く前になぜか開いて、想定外の人が立っていた。私は一瞬呆気にとられた後、脱力した。なぜよりによって今日…、一番、会いたくなかった人物がそこにいた。


「…なんでいるの?」
「なんでって。別にええやろ彼氏なんやから」
「…」


ちゃら、と先月渡したばかりの合鍵を嬉しそうに揺らして謙也は笑う。金色に光るそれを渡したときも、同じような表情を彼はした。それから何度か彼は私のいない間に訪れることはあるけれど、今日みたいにアポ無しなのは初めてだ。よりによって今日だった。謙也はまるで太陽みたいな人だと、出会ったときから思っている。そんなところに惚れたのだ。しかし、時に太陽のまぶしさに辟易してしまうときもある。そしてそれは、よりにもよって今日なのだ。


「夕飯まだやろ?軽く作っといたけど、食わん?」
「ごめん。ちょっと、食欲なくて」
「せやけど、ちゃんと食べなあかんてーこれ以上細なってどないするつもりなん?」
「うん、でも今日は…、」
「ほんのちょっとでもええから何か食べといたほうが、」
「…だから、いらないってば!」


予想外に大きな声にはっとしたのは私だけではなかった。謙也は驚いて私を見下ろしている。私が声を荒げるなんてこと、付き合う前にも後にも一度だってない。それは、謙也相手に怒鳴る理由がひとつもなかったから。いつだって謙也が私に、これ以上ないくらい優しくしてくれたからだ。最悪だ。だから会いたくなかった。こんな日には。八つ当たりなんてみっともないこと、絶対にしたくなかったのに。謙也の前ではずっと、にこにこ笑って可愛い彼女でいたかったんだよ。こんな私じゃ、謙也に嫌われてしまう。頭の中が渦巻いていて今日の疲労と共に私を食いつぶそうとしてくる。気持ちが悪い。泣きそうだ。嫌だ。だめだ。お願いだから、涙、まだ、出ないで。



「…ごめん、もう今日は、帰って」



俯いて、やっとのことで搾り出した声に涙は交じっていなかっただろうか。視界の隅に二人分の食事が見えた。きっと謙也もまだ夕飯を食べずに、私を待っていてくれたんだろう。軽く、なんていうのもきっと、嘘だ。ごめんね。ごめん。だいすきなのに、こんなに優しくしてくれるのに、自分の感情をコントロールすることもできず、挙句の果てに謙也にあたって困らせてしまう自分に嫌気がさして、もういっそのこと消えてしまいたいくらい絶望的な気持ちになった。





涙がこぼれおちる限界まで達したとき、強く腕を引かれて、倒れると身構えたけれど、予想と反して暖かくて大きな腕に支えられていた。謙也に抱きしめられている。ぽんぽん、と頭を撫でられて驚いて涙もひっこんでしまった。


「…帰らへん」
「え、」
「んな顔した自分置いて、帰れるわけないやろ。なまえはもっと、俺に頼るべきや」


みくびらんといてや、そんくらいびくともせえへんで俺は。太陽が笑う。止まったはずの涙はあっという間に私を飲み込んで、情けないほど憔悴して荒んだ心もどろどろとした暗い気持ちも一気に溶かされる。彼のたった一言で。ああこれだから、私はこの人に一生敵わないと思う。本当に好きだ。大好きでしかたない。


「そうやってな、何でもひとりで我慢すんの、なまえの悪い癖やで」
「…、」
「辛かったらぶちまけたらええねん。全部受け止めたる」
「うん、」
「どうせなまえのことやから、そんなんしたら嫌われてまうーとか、思ってんのやろ?」
「…思っ、て、…うう」
「あほやなあ。んなことで嫌いになれるほど、半端に惚れてへんっちゅー話や」


せやから安心しいや。ぎゅうと強めた腕を優しく受け止めてくれた謙也のあたたかい体温を、私はこの先いつまでもずっと、忘れることはないだろう。いつか謙也が泣いてしまいたくなるほど切ない夜には、今度は私が全部抱きしめてあげる。




「お、やっと笑ったなあ」




その優しい眼差しを涙越しに見つめて、大好き、と呟いた。








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