小説 | ナノ




この震えをきみだけは知ってて


 


「もうすぐバレンタインだな」


昼休み。隣のクラスの友達に会いに行った帰りに、ちょうど教室に入ってきた丸井くんとばったり出くわした。しばらく色んな話で盛り上がっていたけれど、丸井くんが思い出したかのようにぽつりと言ったから、私はああ、と相槌を打つ。今年もこの季節が来てしまった。


「名字、今年は何作んの?」
「フォンダンショコラにしようと思ってた」
「マジか!チョコとろっとろのやつ?」
「うん」


今年も楽しみ、と丸井くんが少年みたいな顔をして笑うので、つられて私も笑った。丸井くんと初めて話したのは一年の時のバレンタインだった。隣のクラスの親友に手作りの友チョコを渡しに行ったとき、たくさんのお菓子の山に埋もれている隣の席に座っていた丸井くんがひょっこり顔を覗かせながら、うわ、めちゃくちゃうまそう。俺にもくんない?一口でいーから。と言ったのがきっかけだった。ちょうど一袋余っているからとそのまま包みを渡したら、その場で包みをあけて一口頬張った丸井くんが、めっちゃうめぇ!と顔をきらきら輝かせたことから、調理実習の後に何度かお菓子を渡すようになった。リクエストされた色んなお菓子を作ってきて渡すこともあった。二年生のバレンタインも、当然のようにチョコを催促されたので渡した。作ったお菓子を渡すたび、丸井くんはいつでもあっという間に平らげて、大袈裟なくらいに私のお菓子作りの腕前を大絶賛してくれるのであった。




バレンタインデー。丸井くんはたぶん、一年で一番この日が楽しみでありこの日のために生きているといっても過言ではないと思う。それは女の子にチョコレートをもらいたいから、とかそういう色恋沙汰の絡む理由ではなくて、単にお菓子が世界で一番好きだからだ。好きなタイプはバレンタインチョコをくれる子、と豪語していたのを小耳に挟んだ。だからバレンタインは丸井くんにとって、大好きなお菓子に合法的に囲まれることができる日以外の何物でもない。


「そういえば、また今年も例のアイツに作んの?」
「うん、そのつもり」
「そっか。今年は渡せるといいな」


まあ万が一だけど、もし渡せなかったらまた俺にくれ。丸井くんがあながち冗談でもなさそうな真剣な表情で言うのでまた笑ってしまった。私には好きな人がいる。でも、毎年バレンタインにチョコを作ってくるけど結局渡せずに終わる。見ているだけで特に何の進展もない。...と、いうことになっている。一年のとき、私が意中の人にチョコを渡せなかったことを知った丸井くんは、心底同情した表情を浮かべながら、もったいねー、こんなに美味いのに。と言った。その時私は、チョコを渡せないまま終わってしまった失恋の傷が少しだけ和らぐのを感じるのと同時に、今度は、こんな風にチョコを受け取ってくれる人を好きになれたらいいな、と思ったのだった。そしてしばらくしたら案の定、気づけば私はあっさりと丸井くんのことを好きになってしまっていた。


だけどあんなにも嬉しそうに私の作ってくるお菓子を受け取ってくれる丸井くんに、実はあなたのことが好きになってしまいましたなどと今さら正直に言うこともできなければ、この心地よい関係を壊してしまうのも嫌で、丸井くんはまだ、私には一年生のころからずっと恋している本命の男の子がいて、毎年チョコを渡すことができずにいると思っている。


そしてその「本命」チョコレートは、毎年結局丸井くんの手に渡ることになるのだけれど、私以外の女の子からもたくさんチョコレートを貰っているし、何より丸井くんは私のことをきっと、ちょっとお菓子を作るのがうまいただの友達としか思っていないし、気の毒そうな顔をしながらもちゃっかり受け取ってすぐ包みを開けてしまう丸井くんを見たら、恋愛に翻弄されている私はもうそれだけで嬉しくて、何だか色々なことがどうでもよくなってしまうのだった。











バレンタイン当日。昨日は帰ってからすぐに材料を用意して、今日のために抜かりなく準備した。友人たちに渡す友チョコとは別に「本命」のチョコレートもちゃんと用意した。今年は中学校生活最後の年だから、丸井くんに渡すのももしかしたらこれが最後になるかもしれないと思って、去年よりも丁寧にラッピングした。今年も私は、この本命チョコレートを意中のお相手に渡すことができず仕方なく、友チョコと本命の二つのチョコレートを丸井くんに渡すことになる。そんな茶番じみたシナリオを頭に浮かべて思わずため息が出るけれど、彼が喜んで受け取ってくれるなら、それでよかった。


さすがバレンタイン当日というだけあって、校内全体がふわふわ浮き足立っている。朝から一日中ずっと、甘い匂いが鼻をかすめていた。放課後になって丸井くんのクラスを覗いたら、例のごとく大量のお菓子に囲まれた彼が女の子と笑いあっているのが見えた。まさに女の子からチョコレートを受け取っている瞬間を目撃してしまって、思わず身体が硬直する。まるで何もない、ただのクラスメイトのやりとりのように見せかけて、相手の女の子はどう見ても義理チョコを渡しているような雰囲気には見えなかった。




ーーーあの子、丸井くんのことが好きなんだ。




丸井くんはそれに気づいているのかいないのか、サンキューと笑顔で言ってピンクの可愛いラッピングを受け取ると、そのまま彼女と談笑していた。ずきりと痛んだ胸をなかったことにしたくて、廊下でしばらく佇んでいた。「名字」ふいに名前を呼ばれて振り返る。銀色のしっぽを揺らした仁王くんが立っていた。


「何しとるんじゃ、こんなとこで」
「えっと、丸井くんに用事があったんだけど」


タイミング悪くて、と笑う私をしばらくじっと見つめていた仁王くんは、視線を教室の中に向け、ああ、と言って、まるでおもちゃでも見つけたかのように口の端っこを片方だけ釣り上げた。


「ありゃ口説かれとるな」
「本人は気づいてないみたいだけど」
「いや?たぶん分かっててやっとる」
「え?」
「そんなに鈍い男じゃあないぜよ、あいつ」


なぜか私の方を見てくつくつと笑った仁王くんに見透かされてしまったような気がして、それってどういう意味、と聞き返そうとしたけれど、それより早く仁王くんが手のひらを私に向けてずいっと差し出した。


「ん」
「なに?」
「俺にも貰えんかのう、名字の義理チョコ」
「ごめん仁王くん、もう丸井くんの分しか残ってなくて」
「もう一個あるじゃろ」


ほら、と指差した先にある、袋から飛び出したピンク色のリボンを慌てて隠そうとしたけれどもう遅くて、仁王くんはさっきから意地悪な笑みを向けてくる。...これじゃあまるで仁王くんが私の丸井くんへの気持ちを分かっていてわざとからかって言っているみたいじゃないか。どうしよう、そんなに私わかりやすかった?と青ざめかけたけれど、相手はあの詐欺師だの何だのと色々と有名な仁王くんなので、何かと丸井くんと交流のある私のことももう見透かされていても仕方がないような気がする。大体、私にねだらなくたって、彼も既にたくさんチョコレートを受け取っているだろうに。仕方なくピンクのリボンの包みを取り出して渡そうとしたけれど、仁王くんは受け取ろうとしなかった。


「そっちじゃなか」
「え?」
「本命じゃろ、それは」
「いや、まあ、そうなんだけどそうじゃないというか...」
「本命チョコはちゃんと本命に渡さんと」


なあ。と言ってにやにや笑っている仁王くんを見て疑問は確信に変わった。確実にばれている。今更誤魔化すことはきっとできない。...きっとこれは、口止め料をよこせと言われているのだろう。私は覚悟を決めて、友チョコ用にラッピングされた青いリボンのチョコを改めて取り出すと、仁王くんの手のひらの上に乗せた。仁王くんにチョコを渡すのはきっとこれが最初で最後だと思いたい。仁王くんは青いリボンを弄びながら、噂の名字の手作りチョコじゃな。なんて言いながら満足そうに笑っていた。噂のって何だ。完全にからかって楽しんでいる仁王くんを恨みがましく見つめていたら、聞き慣れた声が耳に飛び込んできて、ぽん、と肩に軽い衝撃を感じた。


「名字じゃん。仁王も。何やってんだよ」
「バレンタインじゃからのう。チョコ貰っとった」
「はあ?名字って仁王にもチョコ渡してたっけ」
「今年だけ特別じゃ、特別」


私の口を挟ませる暇もなく仁王くんが饒舌に言って、のう。と私の方に視線を向けたので、曖昧に微笑むことしかできなかった。丸井くんは、特別ねえ。とあまり興味のなさそうな声で言ってから、しばらく仁王くんの手の上で弄ばれるチョコレートを見つめていた。バレンタインデーに浮わつく教室の前の廊下で、学校の人気者ふたりを前にしているせいかなんとなく周りの視線が痛いような気がする。そんな視線を微塵も気にせず、丸井くんはいつも私にお菓子をねだる時のように言った。


「なんだよ名字、俺の分は?つーか今年はちゃんと渡せたか?」
「いや、渡せなかったんだけど、その」


返答に困ってちらりと仁王くんを見上げたら、仁王くんは一瞬だけ私に視線を流して意味深に笑うと、まあ頑張りんしゃい。とあまりにも適当な言葉を投げかけてぽんぽんと軽く私の肩を叩き、背中を向けてしまった。何をどう頑張れっていうんだ。恨むよ仁王くん。その間も丸井くんは私になあなあチョコ、と催促するのをやめない。もともと渡すはずだった青いリボンのチョコレートは仁王くんの手に渡ってしまった。でも約束をしていたから渡さないわけにはいかないし、と、紙袋の中でなりを潜めたままの本命チョコのことを思って逡巡していたけれど、覚悟を決めてピンクのリボンのラッピングを差し出した。


「え、これ、」
「ごめん、丸井くん。本当は丸井くんの分もちゃんと用意してたんだけど...もうこれしかなくなっちゃって、」
「......」


口が勝手にぺらぺらと滑る。ほんのわずかに指先が震えた。ちゃんと味見もしたし、味は保証するから、と笑顔を作ってみたけれど、差し出されたチョコを黙って見つめたまま何も言わない丸井くんの瞳が今まで見たことがないくらいに無機質で、思わず息を呑んでしまった。どうしてそんな顔をするんだろう。どうしよう。やっぱり、いつも二つ渡しているのに、そういう約束もしていたのに、今年は一つしかないから気を悪くしたんだろうか。


「あの、丸井くん、」
「...いらねえ」
「えっ」
「だってそれ、本命のヤツにやるつもりで作ったんだろ?やっぱそれだけ、ってのはさあ...貰えねーだろ」


丸井くんは頭の後ろをがし、とかき回してから眉を下げて少しだけ笑った。どうして。いつもなら、もったいねーから、って言って笑って受け取ってくれていたのに。


「わりーな。毎年無理ばっか言ってて」
「無理なんて、」
「もう今年からは気にしなくていーからさ。ちゃんと渡せよ、それ」


今からでも遅くねーだろい。そう言うと丸井くんは、私の言葉を待たずに背中を向けて教室の中に戻っていってしまった。呼び止めることもできない私はその場に立ち尽くしてしまう。目の前が真っ暗になった気がした。丸井くんに拒絶されたのは、これが初めてだったから。








行き場のなくなってしまったチョコレートを持て余して、放課後のチャイムを聞きながら帰り支度をしている。バレンタインの最後のチャンスとばかりに、みんな紙袋を抱えてすぐに教室を出ていってしまった。そんな姿をうらやましいと思ってしまった自分が恥ずかしい。結局最後まで本当のことを言えず、渡す勇気さえなかったくせに。丸井くんの好意にずっと甘えて、逃げていた自分が情けなくて、うっすら涙が滲んでくる。もういい。どうせ叶わない片思いだったんだし、もう渡すことだってない。さっさと断ち切ってしまおう。そう思って立ち上がって、教室の入り口にあるゴミ箱に紙袋ごとチョコを突っ込んだ。これで本当に、終わりだと思って。




「...名字、」


昇降口に向かって歩いていたら、後ろから名前を呼ばれて思わず振り返ってしまった。息を切らした丸井くんが立っている。一度部活に向かったのだろうか、ひときわ目立つ、芥子色のレギュラージャージを身に纏っていた。他校との練習試合や公式戦も、こっそり何度も見に行った。私にお菓子をねだるときの無邪気な笑顔も、コートを鮮やかに駆け回って華麗な技をいくつも披露する丸井くんにも。何度も何度も私は、恋をしていたことを思い知らされてしまって、うっかり目頭がじわりと熱くなった。


「これ、何で捨ててんの」


その手には私がさっきゴミ箱に突っ込んだはずの紙袋がよれてぐしゃぐしゃになりながら握られていた。どうして丸井くんが、捨てたはずの紙袋を持ってるの。丸井くんは眉をぐっと寄せて、見るからに不機嫌そうな表情をしている。発せられる言葉にはいつものような明るさや気さくさは一切なくて、やっぱりどこか怒っているように感じた。今までこんなに不機嫌を丸出しにしている丸井くんを私は見たことがあっただろうか。たぶん、食べ物を粗末にするなとか、そういったまっとうな理由だろう。と思ってぎゅっと拳を握る。


「いらないから捨てたんだよ」
「は?断られたわけ?」
「受け取ってもらえなかったの。もう、必要ないから」


丸井くんがぐっと紙袋を握って、私の方に突き出していたままだった手を下ろした。まだ怖い顔をしたまま、私の方を睨みつけている。


「だからって捨てんなよ」
「...どうして?丸井くんには関係ないでしょ」
「関係ねーけど、......」


珍しく喧嘩腰だった丸井くんが言葉を飲み込んで押し黙った。どうしよう、泣いてしまいそうだ。自分で言った言葉に自分で傷ついて。丸井くんは何一つ悪くないのにこんな、八つ当たりみたいなこと。


「...ごめん、丸井くん。言い過ぎた。チョコあげる約束も、守れなくてごめん」


だけど私は、丸井くんとせめて普通の友達のままでいたい。無理やり笑顔を作って、「今度また、改めて作ってくるから許して」丸井くんの手から紙袋を受け取ろうと手を伸ばしたけれど、「...あのさ、」俯いていた丸井くんが顔を上げて真っ直ぐ私を見つめたので、思わず呼吸が止まってしまった。丸井くんのそんな真剣な瞳、初めて見た。



「やっぱこれ、俺が貰ってもいい?」
「え?」
「だめ?」
「...いい、けど...何で?」


あまりに真剣なその様子に気圧されてしまって頷いたら、私の質問には答えないまま、ずっと張りつめていた何かの糸がぷつりと切れたような丸井くんが「やった」小さく言って、ちょっと安心したみたいに笑った。ああそうか。やっぱり丸井くんは、単純にチョコが捨てられるのがもったいないと思ったんだろう。そう思ったら自然と笑いが込み上げてきてしまって「丸井くん、本当にお菓子好きなんだね」言ったけれど、丸井くんはまたすぐに笑顔を引っ込めてしまった。


「...ちげーよ」
「え?」
「いや、まあ...お菓子は好きだけど。でもあの時、俺にじゃないって言われたみたいでめちゃくちゃムカついた。しかも仁王にも渡してるし」
「えっ、」
「やっと今年こそ、名字から本命貰えると思ったのに」


だって見るからに本命じゃん、これ。丸井くんは紙袋の取っ手をぎゅっと握って私を半分睨み付けるような目つきをしながら言う。もう半分は、自嘲と諦めとほんの少し悲しみが混じっているような気がしたけれど、そんなの。そんなはずない。


「本当は去年から、俺にくれるんじゃねーかって思って期待してたんだけど...違ったらカッコ悪いだろ」


丸井くんがすん、と鼻をすすりながら私から目を逸らして言うから、つられたみたいに私もツンと鼻の奥が冷たくなるような感覚がした。もしかして全部都合のよい夢かもしれない。そう思ったのに、丸井くんが真剣な目をして私を正面から見つめてくるから、心拍数が急上昇してうるさいくらいに心臓の音が身体中に響いている。



「...俺にくれよ。名字の本命」



これからも、俺以外の誰にも渡したくない。いつの間にか手首を捕まれて引き寄せられていた。丸井くんはもしかしたら私が逃げ出すと思っていたのかもしれない。至近距離で見つめる丸井くんの真剣な眼差しの奥に、絶対に逃がさないという強い意志を感じてしまって身震いする。そんな私をじっと見ていた丸井くんが、満足そうにちょっと笑って「なあ、これ。俺がもらっていいよな」と改めて、今度はどこかほっとしたように言うから、もう頷く以外の選択肢は与えられていなかった。



「......うん。丸井くんに、もらってほしい」



やっとそれだけ口にしたけれど、どうしよう。長い間ずっと伝えたかった思いをどうやって、一体どこから伝えたらいいんだろう。もっと伝えなきゃいけない言葉が他にあるとわかっているのに、一向に言葉を続けることのできない私を見ていた丸井くんは、気づけばいつものような、でも少しだけ照れた笑顔に戻っていて「ホワイトデー、楽しみにしてろよな」と、紙袋を握りしめたまま嬉しそうに笑いながら言った。







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