本物の桜の花を一度で好いから見てみたい、と少女は桜色をした頬を恍惚とさせながら口走った。その小さな唇はまるで桜から成る赤い果実の様に愛らしく、幼い故に何も知らず奔放で、また咥内は想像以上に甘いのだろうと思うと、年甲斐も無く心臓が跳ねた。
姫の話に因ると、土の中に隠された毛細血管の様な根は人や獣の死骸から養分を得ていると云う。腐った肉片も循環を絶たれた血液も遺らず吸い取って、それが幾多の花びらに辿り着く迄に真っ赤な血の色は満遍なく均等に行き渡りあらゆる隙間を満たし薄まってゆき、だから化身である花びらは淡く可愛らしい薄紅色に染まったのだと。


「…嘘だろ?」
「ふふ…嘘です。矢張り大人のひとを騙すのは難しいですね。γは特に植物には詳しく無さそうだと思ったので、騙せるかと思ったのですが」
「確かに花には疎いほうだが…今の話はちょっと非現実的で不気味過ぎだろ。けど、姫が言うと妙に真実味があるんだよな。危うく何の疑念も持たずに信じちまうとこだった」
「あら、信じても好いんですよ?信じることで、誰も困ることは無いのですからーー私…そんな風に桜の樹の下に眠る光景を想像してみたら、桜の花が途轍もなく恋しくなったんです」
「…恋しい?」
「桜の花は、生きとし生けるものが精一杯生きた証なのだと思えて」
「ああ…、」

森羅万象、生きとし生けるもの。姫はそれらを何よりも重んじ、愛し、敬い、護る為に生まれたのだろう。彼女は生きているものの為なら、何の為にだって死ねるに違いない。一気に血の気が引く様な感覚を覚える。幾ら奇麗なもので在っても、彼女に桜の花は見て欲しく無いと云う想いが脳裏を侵蝕して思考回路を鈍らせる。ひとたび桜の樹の生きる場所で土を踏めば、彼女の尊い生命は自分に費やされること無く終わって仕舞う様な気がして焦燥感に囚われる。

然し自分の為に生き、自分の為に自分と共に死んでくれなどと過ぎた願いを、こんな年端も行かぬ少女にこの少女の父親ほどに歳の離れた大人の男が、一体どんな表情をして言えるだろうか。







(2011.04.01)
共に桜の花を見ることも、
共に桜の樹の下に眠ることも、
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