左上さま。
 ご連絡、ありがとうございます。またお会いできてほんとうにうれしいです。不思議というか、なぜだか、こういう場で出会えた人というのは、学校などでじかに会う人よりも、心に残っています。内的なお話がしやすいからでしょうか。勝手になにかほかの人などよりも表面的ではなくその内側に近いところで通じている、という勘違いをしてしまうのです。ともあれ、何度もいいますが、左上さまにまたお会いできたことがうれしいのです。
 返信は不要とのことでしたが、私のほうがどうしてもお返事したかったために、させてもらいました。お心遣い感謝します。
 突然の倉庫化、前触れもなく申しわけありません。必要に迫られての倉庫化ではなく、個人的な心情の変化による結果でしたので、こんなふうに倉庫化後もご連絡をくださるかたがおられるのだと知るとやはり悔いる思いがあります。
 倉庫化してから未練がましくいくつか書いていた詩のほうもお読みくださったようでありがとうございます。「私は緑に成りたい」も「死ということ」も「人間」も、すべて、私の心情を吐露しただけのものなので、左上さまが似たような思いを感じておられたとお聞きして、複雑な心境です。人間誰しも自分のことをよくも悪くも特別だと感じているものだと考えているのですが、もちろん私もまたそうで、私と同じ気持ちを持つ人などいないように感じる、とずっと思っていました。当然そんなことはまったくなく、実際は人の考えていることなどありふれているもので、なにかしら誰かと共通した感情をいだいているものなのですよね。だからこそ共感をえて、感動がうまれるわけです。しかし頭でわかっていても、私はやはり私以外に私の気持ちを持ちえる人などいない、と感じてしまうのです。これを人は孤独と名づけるようですが、実際はそれほど奇麗なものじゃあないですよね。
「人生はいつから自分だけのものになるんだろう」という話ですが。「ほんとうのひとりきりになったとき人は自分だけのために生きられる」というのは、たしかに、正しいと思います。人が一切人と関わらずに生きることは現状まず不可能ですし、また、人とどれほどかすかで小さな繋がりであろうと関わるかぎり、人は自分以外の人のことをなしにはできないと思います。それはいい意味でも悪い意味でも。それに私もまた自分だけのためだけに生きたいと思うくせに、それほど自分というものがないようです。欲しいもの、したいこと、大切にするもの、そういうものがないかぎり、たぶんほんとうに自分のためには生きられないとも思います……人間って、厄介ですよね(笑) こういう話をこねくりまわしていると、最終的には、諦観か、悟りか、どちらかに行きつくんです(笑)
 だけど、それでも、私は左上さまが左上さまのためにこれから生きてゆくことができることを願いたいです。もちろん、私もそうでありたい。
 こちらこそ、今までありがとうございました。左上さまに出会えた以上、このサイトを作った意味、詩を書いた意味が、もはやできてしまいました。私の詩に、意味を与えてくださったのだと私はほんとうに思います。ありがとうございます。
 こちらでもようやく先日雪が降りました。音もなく、積もりもせず、風の音ばかりが鼓膜を揺する、つめたさが皮膚に張りつくような日でした。年末ですね。不安よりも、ただただ実感のなさが私にはあります。これからまたより寒くなるかと思いますので、左上さまも、どうぞおからだのほう大事になさってください。
 いつかまたお会いできるとさいわいです。
 左上さまの2015年、それからさきも、どうか永く、穏やかでやさしい時間が続くことを祈っています。
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -