左上さま、こんばんは。いつも本当に丁寧なお手紙ありがとうございます。近頃では、左上さまからのお手紙がひそかな日常の楽しみにすらなっています。
 もうすでに左上さまのサイトのほうで返信させていただきましたので、こちらでまたあまり長々と書かせていただくのもどうかと思い、少し考えていたのですが、こちらでいただいたお手紙への返信をもう一方とご一緒にさせていただき、返信しないというのはいささか失礼になるかと思い、いくつか割愛しながらも少し書かせていただきますね。また、そういうわけですので、こちらについてはとくに返信をしていただかず大丈夫です。
 冬の海、いいですね。私も冬の海はとても好きです。二度ほど冬の海を訪ねたことがあります。人もおらず、重く灰色に続く空と鈍い青灰色の波間、薄明かるい水平線、冬の静寂を縁取るような波の音、すべてが悲しいような、こわいような、やさしいような感じがして夏や春に出会う海よりも私のなかで特別です。我ながら根本的に暗い人間なんだなと思うのですが、左上さまも冬の海がお好きなようでほっとしました(笑)いいですよね、冬の海も。
 銀色夏生さんという現代詩人の詩に、「海が見たいと出かけても/ずっとうつむいているような人だった」という詩があるのですが、まさにこんな人間だなと勝手に考えていました。実際は海にいけばそれなりにはしゃぐのでしょうが、気持ちとしては、こういう暗い内向的な部分を含有した人間だなとこの詩でふと気づかされました。ちなみに、そういう理由もありつつ、私自身、暗い感じの人が好みというのもありつつ(笑)、この詩がとても好きです。もしご興味持たれましたら、左上さまも暇なときにでも銀色夏生さんの詩を読んでみてください。
>> 一つ前の手紙、「冬の雪景色のなかに立つと〜」という感情と似ている気もします。……そう感じるのは、「人間一人」対「夏」「冬」「海」があまりにも広大だからなのでしょうか……
 そうなんでしょうね。自然はほんとうに茫漠として、それでいて雄大で、私は自然に確実に干渉(あらゆる意味で)されているというのに、私から自然に干渉はけっしてできない絶対的存在であることが、そう感じる大きな理由だと思います。たとえばどれだけ人間が自然を排除し、あるいは操作し、支配下に置いたところで、それはあくまで一部・一時的なことであり、完全に自然を人間の所有物にはできないだろうと思いますし、自然が人間の手によって完全に滅ぼされることはないと思います。それは自然がなくては人間が生きられないという理由ではなく、もちろんそれもありますが、いつか自然さえ人工的に造り出すようになったとしても、本物の自然は絶えないと思います。自然は私にとってそのくらい大きな存在で、確立され、不動のものです。ですから、それらによって構成された「夏」「冬」「海」という事象は、私たちを前述したような感覚に連れていくんでしょうね。
「リトル・フォレスト」ですか。見たことはないですが、ぜひ機会があれば見てみますね。
 結局、それなりの長さになってしまいました。いつもこちらの体調のお気遣い等ありがとうございます。まだ暑いといえば暑いのですが、やはり秋の気配を濃く感じます。夜になるとひっきりなしに虫の声が聞こえてきます。また、こちらでは最近雨が頻繁に降りだし、やんでは降っての繰り返しで傘が手離せません。雨は私の好きな天気なのですが、外出の用事があるとやはりいささか不便ですね。ところで左上さまは雨はお好きなのでしょうか……
 それでは、このあたりで。左上さまも、くれぐれもご自愛ください。左上さまの今年残りわずかの夏がどうか素敵なものでありますように。


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