味付けは甘めで | ナノ



 小さな焚き火の熱が、冷えきった洞窟内に暖をもたらす。それでも、そのわずかな熱ではこの広い洞窟を暖めきるのには足りない。最初に来たときよりはだいぶ暖かくなっているが、寒さのあまり包丁を握る手が少しかじかんでいた。ふと手を見れば、指先が赤くなって少し震えている。
 それを見てため息をつき、グリーンは背後に視線をやった。
 至極楽しそうにピカチュウと戯れるレッドを見、グリーンはこらえることもせずに大きなため息をつく。手伝いなど最初から期待してはいなかったが、それらしいそぶりを見せてくれてもいいとは思う。他のことになると手伝ってくることもあるが、料理だけは頑としてそうしようとはしなかった。

「レッド、お前ちょっとくらい手伝ったらどうなんだよ!」

 それにレッドは視線を上げてグリーンを見る。少しグリーンを眺めていたかと思うと、またピカチュウに視線を戻して戯れ始めた。
 一度声をかけて言うことを聞かなければ、あとは何度声をかけてもレッドには意味がない。グリーンは大きなため息をついて視線を前に戻す。
 レッドも、幼い頃はここまで自由奔放ではなかった。それが山に篭るうちに、何を間違ったのか思考まで自由になってしまったのかもしれない。それでも怒鳴ったりこういったことをすることがやめられないのは、少なくともレッドを嫌いになりきれないからだ。レッドのことが嫌いになれたら、もう少しは生きやすいかもしれない。
 こんな通い妻のようなことをし始めたのはいつのことだったのか、もう覚えていない。最初はあまりに寒そうな格好をしているレッドを見かねて、簡単にスープを作っただけのことだった。肉が入っているわけでも色とりどりの野菜が入っているわけでもない質素なスープを、レッドはとても美味しそうに飲んでいたことは覚えている。
 それから、レッドに会うとよく料理をせがまれるようになっていた。
 グリーン自身も料理は嫌いではないし、暇つぶしを兼ねて簡単に作ることがある。それにレッドは、どんなに簡素な料理でも大層美味しそうにそれを平らげた。そうするとポケモンの腕では勝てないレッドを手懐けているかのように思えて、グリーンの気分も悪くない。あまり表情豊かでないレッドが、そのときばかりは顔を綻ばせるのも新鮮だった。
 そうして来るたびに料理を作り続けていた結果、いつしか毎日のようにレッドの元に通うようになってしまっていた。その頃には掃除なども手伝うようになってしまっていたし、つい最近からはなぜか一緒に寝るようにもなってしまっている。このまま一緒に住む事態は、なんとしても回避したい。
 玉ねぎを切り終えて、グリーンはあらかじめ皮を剥いておいた人参に手を伸ばす。人参は冷気を吸収してとても冷たく、かじかんでいる指にこたえる。それをまな板に乗せて包丁の先端を食い込ませた瞬間、人参に乗せていた手が滑った。それと同時に包丁も滑り、先端が人差し指に食い込む。

「いっ、てえ!」

 グリーンは咄嗟に人参と包丁から手を離し、切った人差し指をもう片方の手で握りこんだ。
 幸い傷は浅かったらしく、そこまで出血は多くない。それでも傷口は疼くような痛みを訴え、押さえている掌に血が滲むのを感じた。消毒液と絆創膏は持ってきているからそこまで心配することはないが、それでも痛むものは痛む。グリーンは眉をひそめて、背後にあるはずの自分のリュックのほうに振り返った。
 まず目に映ったのは、いつもよりひどく間近に迫ったレッドの顔。それを認識したときには柔らかく腕の中に抱き込まれ、レッドの頭が肩口にそれとなく置かれる。少し土っぽいレッドの匂いが、鼻先をかすめた。
 突然のことに一瞬呆けて、それからすぐに我に返る。
 今まで通い妻の真似事をしている間も一緒に寝るようになってからも、レッドは特に何をするわけでもなかった。何もしてこないのが普通なのだが、だからこそ、突然こんなことをされてしまうと驚く以前にどう反応していいのかわからない。
 からかっているのではないかとも思ったが、レッドはまったく離れる様子がなかった。それどころか、それとなく力をこめてグリーンを引き寄せる。そこでようやくグリーンは慌てて、傷口が傷むのに構わずレッドの体を押し戻そうと胸板を押した。

「な……れ、レッド! 何してんだよ、離せって!」

 それを待っていたかのように、レッドは怪我をしているほうのグリーンの手を取る。そしてまじまじと傷口を眺めると、怪我してるね、と呟いた。

「……痛い?」
「い、痛いけど……」
「痛いんだ?」

 そう茶化すように言われると、グリーン元来の負けず嫌いの性格が頭をもたげる。
 レッドにそう言われると、なぜだか無性に腹が立った。レッドを無視してそのまま傷の手当をしてもいいが、そうすると痛いといことのを認めたようで癪だ。料理の下ごしらえはまな板の上に残っている人参だけだったから、血がつかないようにすれば問題はない。料理を煮込んでいる間、レッドに気付かれないように消毒して絆創膏を貼ってしまえばあとはどうとでも言いようはある。

「痛くねーよ! こんくらい、ツバつけときゃ治る」
「……そう。じゃあ」

 こうしようか、とレッドは言って、口元にグリーンの指を持っていく。そして少しだけ舌先を覗かせたかと思うと、傷口に付着していた血を軽く舐め取った。
 瞬間、グリーンの思考が音を立てて完全に停止する。
 レッドが今、何をしたのかすぐに理解できなかった。レッドがグリーンの手を取り、そしてその赤い舌先が指に伸ばされ、そして傷口を舐めた。レッドの目が楽しそうに細められて、グリーンの反応を窺っている。
 そこまで順を追って思い出していくうち、羞恥が急激な勢いで湧き上がって瞬く間に顔が紅潮していく。そして言葉にならない奇声をあげてレッドの手を振りほどき、傷口を片手で押さえて大きく後ずさった。そして驚きに小刻みに震えながら視線を向けると、レッドは至極楽しそうに肩を震わせてグリーンを見る。

「……そんなに驚くことないんじゃない?」
「だ、だってお前……! おま、オレの指、な、舐めただろ!?」
「ツバつけておけば治るんでしょ?」

 そう満面の笑みで言われ、グリーンは言葉に詰まって唸った。
 確かにそう言いはしたが、それはレッドがするべきことではない。それにレッドがどうしてこういうことをしたのかまったく理解できなかった。からかわれているだけだとわかっていても、顔が赤くなっていくのをどうしても止めることができない。同性にこんなことをされたと思うと普通なら気色悪くなるはずなのに、どうしてかそこまで嫌だと思い切れない自分にも苛立ちを感じる。あまりにも突拍子のないレッドの行動に完全に翻弄されてしまっているのが悔しくてならなかった。
 そこまで考え、ふともう一つのことに着眼する。指を舐められたことに動揺して忘れかけていたが、レッドはもう一つ問題行動をグリーンにした。
 レッドがグリーンをからかうために指を舐めたのだということはわかる。しかし、その前にどうして抱きつく必要があったのかわからない。それなら最初から、グリーンの手をとっておけばいいだけの話であるはずだ。それに指を切って振り返った瞬間には目の前にいたということは、その前からグリーンの背後にいたことになる。

「それはいいとしても……いやよくねえけど! レッド、なんでお前オレに抱きついたりなんかしたんだよ」
「なんでって……そうしたかったから。グリーンのこと抱きしめたかった」
「はあ?」

 レッドの言っていることがよく理解できず、グリーンは呆けた声をあげた。
 男を抱きしめたいなど、どういう了見なのかまったく理解できない。いくらか譲って女性になかなか会えない環境で飢えていたのだと仮定しても、その相手がグリーンでなければいけないはずがなかった。グリーンの見た目は女性のようではないし、そこまで華奢でもない。そんなグリーンを抱きしめたいと考える思考回路がまず想像できなかった。
 眉を寄せるグリーンを見、レッドは眉を下げて笑った。その影のある表情が気になって声をかけようと口を開きかけ、しかしそれをレッドが遮る。

「……それよりも、早く傷の手当したほうがいいんじゃない? 俺、お腹すいた」
「え、あ、ああ。じゃあ、そこどけって」
「グリーン」

 やけに強い声がして、グリーンは思わず動きを止める。グリーンを真っ直ぐに見るレッドの表情に変化は無いようでいて、しかし目が少し強くなっているように見えた。その目がどうしてか気になって、グリーンも視線を返す。

「……これからもずっと、来てくれるよね?」

 そう何でもないように言うレッドの顔が少し寂しげに見えた気がして、グリーンは内心少し動揺した。
 今まで一人でこのシロガネ山に篭っていたレッドの口から出たとは思えない言葉に驚いたのもある。それ以上にどうしてかレッドの言葉を跳ね返すことができずに、グリーンは無意識に首を縦に振っていた。首を横に振ったら、レッドがひどく悲しそうな顔をするような気がした。それに正直なところ、レッドのところに通って話をするのは嫌いではない。
 するとレッドはとても嬉しそうに微笑んだ。そして料理楽しみにしてるからね、と言ってピカチュウの元に戻っていく。その背を見ながら、グリーンはもう一度レッドに舐められた指を見下ろした。


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