ひよこがかわいそうじゃないですか | ナノ



 コウキは、手が痛くなるほどメニューを握りしめる。いったい、どうすればいいというのだ。この絶望的な状況を打開するために、どんなことをすればいいのだろう。しかし焦燥が募るコウキの頭では、うまい言葉が見当たらない。陳腐であまり意味のない言葉ばかりが、浮かんでは消えていった。
 デンジと知り合い、少し特殊な関係を築いてから、これといった喧嘩はしたことがなかった。デンジが我慢していたという部分もあるだろうが、だいたいの言動には不快感を示されたことがない。少しだけ口論になることもあったが、結局はどちらからともなく謝って丸く収まることが多かった。お互いにそこまで長い時間意地を張らない性格だったのも大きな要因だったかもしれない。
 だが、今回ばかりは状況はそのように甘くない。おそらくコウキが発言を一つでも間違えれば、デンジの怒りが爆発するかもしれなかった。
 デンジはどちらかというと、怒っても自分なりの理論を組み立ててからそれを口にする。コウキはそれをよくわかっているから、今のこの間がそれのような気がしてならなかった。それに、この状況で言い訳できるような言葉も、生憎コウキは持ち合わせていない。
 デンジは考えるように視線をさまよわせて、ようやく言葉が決まったのかコウキを見る。それが最終宣告のようにも思えて、コウキはきつく唇を噛みしめた。

「なんで、コウキがそんなことを言ったのかはわからないけどさ」
「……はい」
「マジ、ごめんな。オレ……コウキの気持ち、全然考えられてなかったみたいで」

 今度はコウキの口から呆けた声があがった。なぜ、デンジがそんなことを言うのかわからない。デンジは先程の発言に失望して、怒っているとばかりコウキは思っていた。

「いや、なんていうか。オレとコウキは違うから、卵の心配とかの気持ちはよくわからないけど。でも、コウキは本当は食べたくないって思ってるのに、そういう話を振っちまうとか配慮が足らなかったな、って」
「え……で、デンジさん?」
「だから、ごめん。オレ、ある程度はコウキのことわかってやれてると思ってた。でも、全然そんなことなかったな」

 そう申し訳なさそうな顔をするデンジに、コウキはますます混乱する。
 いったい、今のこの状況はどうなっているのだ。当事者であるコウキ自身にもよくわからない。先程までは、デンジがコウキの発言に失望していたはずだった。それなのに、何を間違ってこんな展開になってしまったのだろう。謝るべきはデンジではなく、コウキではなかったのか。
 コウキがどう答えたらいいかわからず言葉に詰まる。すると、デンジはますます困ったように眉を落とした。
 そんな顔をしたいのは自分だと思う反面、デンジにそんな顔をさせているということがひどく悲しい。デンジは何も悪くない。それなのに、コウキがはっきりしないばかりにそんな顔をさせているのが、ひどく腹立たしかった。
 それ以上に、あんなにも意味不明な発言をしても真剣に考えてくれるデンジがますます好きになったようにも思う。普通ならあんなことを言えば嫌悪感を示されるのが当然だ。しかしそれをデンジは丁寧に汲み取って考えてくれている。やはりデンジは物事にクールなように見えて、その実、とても誠実なのだとコウキは思った。
 デンジはいつでもそうだ。大抵のことはコウキを優先するし、申し訳がなくて断れば、それを悟られないように細かい気配りを見せてくれる。そんなデンジに報いたくて何かをすれば、ありがとう、と蕩けるような笑顔を見せた。
 そのデンジが今、コウキの身勝手のせいで困っている。それがどうにも許せず、考えるより先にコウキの体が動いたていた。

「だから、まあ……」

 何事か言いかけたデンジの手に、コウキはやんわりと手を重ねた。デンジが驚いて目を丸くするのに、コウキは眉を下げる。

「ごめんなさい」
「え……」
「さっきのはぼくの本心じゃないです。騙すようなことしてごめんなさい。ぼく、オムライス大好きですよ」

 わけがわからないという顔をするデンジに、コウキは苦笑した。
 あんなことを突然言われて、それが嘘だと唐突に言われれば誰だって混乱する。コウキも誰かに似たようなことをされれば、きっと同じような反応をするはずだ。

「騙すって、ウソってことか? でも、なんでいきなりそんなこと」
「本当にごめんなさい。あ、あの話を気にしてるとかじゃないですよ! ただ、この前、なんだかみんなの間でオムライスが食べられないフリをするっていうのが流行ってるって教えられて。それで、つい」
「はあ? そんなことあるわけないだろ」
「ぼくも最初はそう思いましたよ。その話では男子はそういうの喜ぶって……男のぼくがそんなのあるわけないって思うんだから。そんなことないって思いました。でも、それでデンジさんが喜んでくれるなら」

 勢いで言いきったものの、いざそういうことを口にすると気恥ずかしい。コウキが少しだけ顔を赤らめて俯くと、デンジが手を重ね返してきた。視線を上げると、平静さの下に確かな熱を秘めた目とぶつかる。

「コウキ、お前ってバカだな」
「う、そう言われると言い返せない」
「真に受けるなよ。別に、そういう意味じゃない」

 ほんの少しだけ、デンジの顔が近くなる。ナギサの、あの美しい海のような青い目に見つめられると蕩けてしまいそうだ、とコウキは思った。

「コウキ、かわいい」

 少し目を細めた、どこか色気のある笑みで言われてコウキの顔が一気に紅潮する。そんな顔で、少し低くした声で、それでそんなことを言われたら恥ずかしくてたまらなくなる。
 デンジは普段は決してそんなことを言わない。しかしふとした拍子に、今のような顔をしてあり得ないことを言うのだ。そういったことを言われると、コウキはどう対応すればいいのかわからなくなる。確かに嬉しいのだが、それ以上にとてつもなく恥ずかしい。
 デンジに素直にそれを伝えると面白がってさらにやってくるから、たまったものではなかった。今ではもう後の展開がわかっているから言葉では言わない。しかしデンジはきっと、コウキの態度でわかっている。
 コウキが様々なものにかき混ぜられて言葉を返せずにいると、デンジは重ねていただけの手を柔らかく握った。驚いてコウキが肩を震わせると、デンジは微笑む。

「だからさ、無理したり気を使ったりするなって言っただろ。コウキはそのままで十分かわいい」

 今度こそ、コウキは目眩がするのを感じた。
 あれほどクールで人好きのする言葉をあまり使わないデンジが、こんなドラマも霞むような台詞を吐いている。それもコウキが無理やり言わせているわけではない。デンジ自身の意思でこんなことを言っているのだ。
 コウキは男で、デンジも男だ。こんなことを言い合って恥ずかしがっている様子は、端から見れば気味が悪い以外にない。それでもそんなやり取りに喜びを感じてしまうくらいには幸せだった。
 幸いレストランの中は騒がしく、周りの客にはやり取りは聞こえていないらしい。店員も忙しそうにしていて、二人の様子に気を配っている暇もないようだった。そう思うと今はデンジを独占できているような気がして、歪んでるな、とコウキは内心笑う。

「ぼく、男ですよ」

 笑いながら茶化すと、デンジもわかってる、と笑った。そうすると何かが繋がっているように思えて、くすぐったく感じてコウキは笑う。あの言葉のせいで一時どん底にいたことなど、なかったようだ。

「……そろそろ、何か頼んどくか?」

 コウキは頷いて、メニューに視線を落とす。そして数分ほどしてから視線を上げ、笑った。

「じゃあ、キノコのデミグラスソースオムライスで」



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