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夏休みの始まりに


 夏休みはゆるやかに始まっていって、要領が悪いと自覚のある私は宿題を早めに済まそうと図書館を目指していた。
 家にいるとどうしてもお店が気になって、一日中いてしまうから。お父さんからはちゃんと勉強をしなさいと言われ、お母さんからはご飯も手伝ってねと言われた。
 私は二人の反応の違いが面白くてクスクス笑ったけど、そのどちらも守ろうと思う。

(暑いなぁ……全然風がない)

 眩しい空を見上げては、日差しの強さに目を閉じた。日傘で影を作って進むものの、じわりと上がってくる汗に湿気の多さを実感する。
 こんな時も思い出すのは、蛍くんのことで。一瞬であの、熱気が逃げない体育館に気持ちが運ばれていく。今日も明日も、ずっと練習なのかな。
 しばらくは会えないのかもしれない。前までは学校が無いってお店の手伝いが出来ると喜んでいたけど、今は少し淋しい。
 蛍くんと同じ学年で同じクラスだということは、とても幸運なことだったんだなぁと今更ながらに噛み締めた。

 歩く足が重くなったところで、携帯電話が着信を知らせる。鞄の中を慌ててかき混ぜると、今の今まで思い巡らせていた人物からだった。
 月島蛍の文字を見て撥ねた心臓をどんと叩く。落ち着けと念じながら深呼吸をして、一言目が裏返らない様祈りながら携帯を耳に押し当てた。

「はい、蛍くん?」
(今何してる?)
「えっと、宿題持って図書館に向かっている最中だけど……あ、おはよう!」

 言いそびれた挨拶を付け足すと、相手は電話越しにも分かるくらいの溜息を吐いて。それでもたっぷりの間を空けてから聞こえてくる小さな「おはよう」に、嬉しさの方が勝る。
 だって。教室では当たり前の挨拶でも、夏休みになってから初めて聞いたもの。

「……へへっ」
(何?気持ち悪いんだけど)
「うう、蛍くんは何してるの?」
(部活の休憩中。ところでなまえ、図書館って隣の町まで行く気なワケ?)

 「暇だねぇ」なんて余韻たっぷりに言う蛍くんの声で、何でそんな事を言われたのかを考える。蛍くんは意地悪なこともあるけど、意味もなく煽る様なことはないと思うから。
 多分ね、あれ、そうだよね?

「え、図書館って……」
(今日休館日。知らなかった?)
「本当?そうだったっけ?」
(マヌケ)
「……返す言葉もございません」

 遠くで聞こえていた蝉の声が、急に頭の中で反響する。首筋を伝う汗も煩わしく感じて、拭うとさらに暑さを感じた。
 家を出る時に暑さを覚悟で出てきた気持ちとか、持っている課題の荷物の重さとか。一気にどうでも良くなってしまって、ついに歩くのを止めた。
 日傘を畳んで木陰に隠れて、蛍くんの声に耳を澄ませる。汗を掻いていても涼しげな蛍くんの顔を思い出せば、日の射す景色も輝いて見えた。

(で?宿題はどうするの?)
「えーっと、うーん……」
(少し待てない?昼過ぎからなら付き合ってあげる)

 予想もしていなかった声が流れ込んできて、携帯を握りしめる手が熱い。蛍くんは毎日部活だと思っていたから、嬉しいより大丈夫なのかなって気持ちの方が勝った。

「部活はいいの?」
(今日練習試合で早めに終わると思うし。あとは自主練だから)
「そっか。分かった」

 バレー部はまた遠征合宿に行くらしく、それプラス、毎日部活があって。その分早く終わったりする日もあるって事なのかな?

(ファミレスでいい?それとも隣町の図書館まで行く?)
「うう、ファミレスでお願いします」

 携帯越しにも分かる蛍くんの勝ち誇った様な息遣いに、せめて宿題の進み具合は笑われないようにしたいと決心したのだった。



「なまえって好きなものから食べるタイプなわけ?」
「え、何で分かるの?」
「宿題もそうだから」
「う……そんな事ないですよ?」
「目が泳いでるんだけど」

 そう言いながら入店して真っ先に注文したケーキを頬張る蛍くんを見て、自分だって好きなものばっかり食べるくせにとは言えない。
 真っ白なプリントを指で示されて、笑って誤魔化そうとすれば顎をしゃくられる。ぶら下がっているフォークは可愛らしさを感じさせるのに、その顔には凄みすら感じた。

「うん。地理って苦手で」
「まぁ、基礎の基礎しかやらないから理解は難しいかもね」
「そうだよね!」
「でもコレ一人一人数字違うからなまえが自力でやるしかないんだけど、分かってる?」

 眼鏡越しに冷たい目で見下ろされて、テーブルの上に置いた関数電卓を握りしめる。すると追撃を止めない蛍くんから、大きな溜息が聞こえてきた。

「出席番号何番だっけ?」
「えっと、蛍くん?」
「ああ、コレか。言っとくけど僕も自信ある訳じゃないから、間違ってても文句言わないでよね」

 フォークを置いた蛍くんが、私の電卓を大きな手で掻っ攫う。その一瞬、人差し指が触れたような気がして慌てて手を離した。
 まじまじと自分の人差し指を見る。そこだけ熱を持ったみたいに赤く見えるのは、絶対錯覚だって分かっているけど。
 誤魔化す為に握りしめた手はやっぱり熱かった。

「何?」
「え、あ……じゃあ私も蛍くんの番号で算出してみるね!」
「それってすぐ終わるの?ケーキ一つで長時間居座るのはどうかと思うんだけど」
「えっと、そうだよね……」

 すぐに出来ますと言えない自分が歯痒くて肩身が狭い。蛍くんはぷっと意地悪な顔を浮かべて笑うと、プリントを見ながら電卓を弾き始めた。
 白く長い指がリズムを刻んでいくのをぼんやりと眺めていると、蛍くんはもう笑うのを止めたらしい。聞かせるような大きな溜息は、本気じゃないと思いたい。

「じゃあ、ウチに来れば?」
「ウチ……って蛍くんのお家?」
「他に何があるの?なまえの家ここから遠いしさ」

 蛍くんの提案が上手く理解出来ずに確認したら、早口で補足されてしまった。蛍くんの言うところはもっともだと思ったので、それもそうだねという意味を込めて頷く。

「そう。これ終わったら出るよ」
「えっ!?」
「……なに?」

 机に視線を戻した蛍くんに吃驚して、大声を出してしまった。変に注目されることを嫌う蛍くんが、顔を顰めるのは当然のことで。
 小さくごめんと呟いて、白紙のままのプリントを眺める。続いて蛍くんのルーズリーフを覗き込めば、計算が終盤に差し掛かっていた。

「早っ、待って、私も……」
「なまえはもう片付け始めていいよ。その代わり数学は後で見せて」

 私が午前中に稼いだリードなんて、あっさりと覆された気持ちが大きくて。鞄の中に筆記用具を押し込んだところで、やっと蛍くんのお家にお邪魔するという事実に緊張を覚え始めたのだった。



***続***

20141122

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