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薄く柔らかな黒


 試合が目前に迫った5月の最終日。明日から6月だからと、なまえは新作ケーキのネームプレートを作成していた。
 相変わらず夜は暇な時間帯が出来る。ショーケースから離れて後ろのラックで作業しつつ、頭は明日の確認でいっぱいになっていた。

(明日からの新作はケーキとゼリーが一種ずつ。バイトさんには試食してもらったし、説明も写真と一緒にメモに書いておいたし……)

 新作ケーキは常連にも説明を求められることが多いため、写真と一緒に説明を書いてファイリングしてある。
 使われている材料、大まかな風味、アピールポイント、買ってもらう為の一押しの台詞まで。なまえはこの作業を、誰に言われるでもなく自分の役目としていた。

 生ものを扱う洋菓子店において、廃棄率は店の明暗を分ける。新作ケーキは通常のものより多く作るが、作り過ぎてしまうこともあるのだ。
 職人気質な父と違い、シビアな経営者目線で采配を振るうのは母だが、それでも出始めの時期は多く残ってしまう時もある。
 そんな時、閉店間際の客に「新作のケーキです、良かったらお試しください」と一押しするのは接客している人間の仕事だ。

 それが分かっているから、プレートにも拘るし考えうる工夫を怠らない。値段を書き終えると手を洗い、消毒して、腕を組みながら見つめる。
 フォントの本を参考にして書いた文字列は、少しだけ誇らしげに見えた。



「いらっしゃいまー……」
「どうも」

 カランとなる扉の鈴で、条件反射の様に口をついたいらっしゃいませの言葉は、言い終わる前に相手が分かり消えかかる。
 今日はもう、来ることはないと思っていた。なまえが立ち尽くしたまま目を瞬かせていると、大袈裟に溜息を吐いた相手は確かな足取りで目の前にやってくる。
 それは間違いなく、月島蛍その人だった。

「蛍、くん?」
「驚きスギ。明日は来れるかわかんないから。ショートケーキください」

 注文は呪文の様になまえの手足を動かす。染み付いた習慣は、頭が違うことを考えていても止まることを知らない。
 明後日にはIH予選が控えていて、蛍は忙しい筈だ。現に、明日は来られるか分からないと言った。休息は多く取った方がいいだろうし、それは当然だと言える。

「うん。そうだね」
「ねぇ、試合に勝ったらなまえの奢りね」

 勝手に約束を取り決められても、何も文句を言う気はない。そういえば、他の店を偵察に伺うという名目で教えて貰った時の、お礼を何もしていなかった。

「うん、いいよ。何なら新作もつける」
「それってモニターでしょ?」
「う……そうじゃない、けど。率直な感想は欲しいかも」

 ハハっと息の抜ける音と、蛍の笑い声。こうしてみてやっと年相応に見えるこの長身の男は、大事な試合前だと言うのに気負っている素振りはなかった。

「蛍くんは、すごいね」
「はぁ?」
「試合前なのに冷静だし、私なら緊張しちゃって……」

 ふと自分を省みると、少し恥ずかしくなって顔が俯いていく。ぼんやりと視界に映るショーケースは、記憶の渦に呑まれると距離感を鈍らせた。

 例えば、新作ケーキを父に披露しようとする時。父に作業工程から見られている時ほど、緊張から手元が覚束無くなる。
 結果的に、時間をロスしてクリームがゆるくなったり温度が温かくなり過ぎたりして、歯ざわりや食感に響いてしまう。

「別に。たかが部活だし」
「……え、でも」
「なまえのは仕事じゃん。そういうの、一緒に出来ないデショ?」

 蛍の断言に引っかかりを覚えつつ、無理やり咀嚼しようとする。
 確かに部活で失敗してもドンマイで済むかもしれないが、なまえがケーキを作るのを失敗すればそれは売り物にはならない。
 文字通り廃棄されるしかないそれは、損失でしかない。けれど、部活での失敗は全てが無駄という訳ではないだろう。

「蛍、くん?」
「なに?」
「試合、頑張って……ね?」

 それでもなまえは蛍の瞳の奥深さに、見通せないほどの帳を感じた。違和感が拭えないのに踏み込めない。同じだけ、もどかしさも。
 なまえを一瞥した蛍は、息を逃がす様に横を向いたまま笑って。「分かってるよ」と投げやりにも聞こえる声で呟く。

 IH予選、それは負けたら終わりのトーナメント方式だ。いつもより気負うかもしれないし、100%の実力を発揮出来ないかもしれない。
 そういう緊張感が、蛍には現れていないように感じた。もっと言えば、その気合を背負っていない様になまえには映ったのだ。

「蛍くんは、クレバーな選手って山口くんが言ってたけど、本当だね」
「はぁ?」
「だって頭が良く回るってことはそれだけ精神を上手くコントロールしてるってことでしょ?私も見習いたい」

 純粋な賞賛を述べると、蛍は驚いた様に瞳孔を開く。また付き纏う、違和感。彼は緊張や気負いを上手く隠していた訳ではなかったのか。
 なまえは混乱するが、蛍の大きな手が頭の上に置かれたことで、考えは有耶無耶に飛散してしまった。

「別に。上手く制御出来ない事もあるよ」
「えっ?た、例えば?」
「なまえといるとこういうことしたくなる、とか?」
「……っ!からかわないで!」
「アハハ、その割には顔が真っ赤なんだけど。嬉しい訳?」

 首を曲げてまで顔を覗き込もうとする蛍は意地が悪い。それはいつもの彼で、さっき感じた黒い深さを忘れてしまえる。
 なまえはそのことにホっとして頭を左右に振ることで、さっきの表情は気のせいだと考えをも振り払うことにした。



***続***

20140304

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