蛍くんの試合のことで気持ちは6月に飛んでしまっていたけど、その前に学校行事があることをすっかり忘れていた。
5月末のオリエンテーション。親睦を深めつつ、自然を満喫しよう!みたいな説明だったけど、さっきから長い列が出来て、ゴールはまだまだ見えそうにない。
「だっるー……」
「帰り、タクシー呼ぼ……」
「無理っしょ。先生見てるって」
「足、重い……」
ジャージ姿で登山。おまけに頂上についたら班ごとに飯盒炊爨。私は結構楽しいかなぁなんて思っていたけど、それはこんなに登山がきついなんて知らなかったからだ。
最初は班ごとにスタートしたけど、女子が遅れてきて班なんて無意味なものに変わっている。籤で決められた男女2人ずつのメンバーだから、仕方ないかもしれないけど。
「山の方はまだ寒いね」
「なまえ、余裕ありそうなんだけど……」
そんなことないよと手を振りつつ、タクシーで帰りたい、までは思わないとは言わないでおく。やっぱり、皆で出かけられるってちょっと嬉しい。
足が平気なのは、お店で立ちっぱなしなのも大きいかもしれないけど。
「やる気出ないー!」
「でも、この調子ならカレーが絶対美味しいよ!」
「なまえはいいよ!だって班に……」
「ちょっと」
友達の方を振り返って後ろ向きになっていたので、上から声をかけられたのに気付かなかった。山の方、つまりゴールに近いところから降りてきたのは、不機嫌な顔の蛍くんで。
「け……月島くん!」
「借りてくから」
「どーぞ、どうぞ!」
(いいなぁ……月島くんと同じ班!)
(私も迎えに来て欲しいー!)
蛍くんの手前、小声で囁き合っているけど、女の子の声と気持ちのハミングはよく分かる。まさか、迎えにきてくれるとは思わなかった。
「ごめんね、遅過ぎた?」
「もう少し頑張れるんデショ?」
「……う、はい」
溜息を一緒に零す蛍くんには、見通されていたみたいだ。少しずつペースを上げながら、頂上を目指して登って行く。
「早過ぎる?」
「ううん、平気!」
「そう」
「空気美味しいねー、空も綺麗だし。山って胸がスーってなるね!」
私が少なからずはしゃいでいるのは、もうバレていると思うから。背筋を伸ばして同意を求めてみれば、相手は少しだけ不服そうな顔をした。
「ねぇ、さっきのわざと?」
「え、何が?」
「僕も合わせた方がいいの、みょうじさん?」
高い位置から見下ろされるのは、迫力があって説得力が増す。さっき皆の前で咄嗟に月島くんと言ってしまったのを、聞かれていたんだ。
「ごめんね、蛍くん!」
「嬉しそうな顔、止めてくんない?」
だってちょっと嬉しかった。皆がいるところでも名前で呼んでいいなんて、私が友達だって知られても構わないってことじゃない?
入学式のあの時から二ヶ月弱、すごく進歩したと思う。
「おーい、ツッキー!みょうじさん!」
進行方向に、山口くんがブンブン手を振っているのが見えた。その横に同じ班の女の子もいて、頂上付近でやっと合流出来た。
「遅いよー、月島くん!」
「……」
「ごめんね、私が遅くて……」
「なまえ、水飲んでおいた方がいいんじゃない?」
そう言ってペットボトルを渡されたけど、これ。中身がちょっと減っているし、蛍くんの飲みかけじゃないかな。
「ありがと……あの、飲んでもいいの?」
「はぁ?何言って……っ!馬鹿じゃないの?小学生じゃないんだから」
蛍くんが前を向いて先に歩き出してしまったから、「待ってよ、月島くん」と言いながら班の子が付いていく。
残されたのは山口くんと、ペットボトルを持ったまま手にじんわりと汗をかいていく私だけ。
「あ、本当に水飲んだ方がいいよ。あとツッキーも飲んでないかもしれないから、後で返した方がいいかも」
至極全うなことを言いながら身振りが大袈裟になっていく山口くんを見て、余計恥ずかしくなってしまった。
私、変に意識し過ぎだ。間接キス、なんて。本当、小学生じゃないんだから。
「そうだね!うん、いただきます……」
「うん!」
そう言って山口くんが横目でじーっと見てくる。緊張するなぁと思いながら、喉が乾いているのは本当なので口をつけた。
私の喉が水で潤っていくと同時に、何故かごくんと鳴ったのは私の喉だけではなくて。
「山口くんも喉渇いたの?」
「いやいや、俺は自分のあるし!そんなことしたらツッキーに睨まれる!」
目の前で慌てて手を交差させた山口くんに、首を傾げてみたけれど。キュっとペットボトルのキャップを閉めて、掌に滑り込ませたそれは、特別に感じてしまった。
***続***
20140122