影山が何も出来ないでいる間に、チャンスは向こうからやってきた。なまえが部活終わりに顔を出したのだ。勿論、自分に会いに来た訳ではないけれど。
「夕!終わった?」
「おー、今モップかけて終わるとこ」
「今日ね、夕飯カレーだから」
「マジかぁ!」
「温泉卵乗っけて食べよ」
「……温卵!」
聞き耳を立てていただけなのに、温泉卵に思わず反応してしまった。それを見逃さない西谷が振り返って、豪快に笑い出す。
「ふはは!なんだ、影山は温卵好きか?」
「あー、はい」
「何で顔歪めんだよ!」
「……」
理由は言える筈もない。なまえが気まずそうに見てくるからだなんて。正しくは西谷を見ているのだろうが、この際どっちだっていい。
「なまえも絶対温卵乗せるよな、好きだもんな!」
「だって美味しいよ!」
「ですね、ポークカレーには温卵絶対です」
「……今日はビーフカレーだけど」
少し近づいて無理やり話に乗ってみたら、なまえが返してくれた。こっちを見てはくれないが。それでも影山には充分に嬉しい。
こんなにも嬉しいと思う自分に、また動揺するのだけれど。
「じゃあ影山も食ってけば?今日俺んち親いないから」
「ちょっと夕?」
「行きます!」
「お、おう?」
前のめりになり過ぎて、西谷が吃驚した顔をして見てくるけど、そこまで気が回らない。なまえの作ったカレー、しかも温卵のせ。
いや、違う。これは謝るチャンスなのだ。影山は自分に言い聞かせた。
俺も行くー!と言い出した他の人間を、三年生が来ないよう誘導してくれたのには助けられた。菅原と目が合った時、「分かっているだろうな」と念押しされたように錯覚する。
「お邪魔、しまーす」
「適当に座れ!今茶入れてくるからな」
「夕、玉葱は古いのある?」
「ああ、先そっち使うか」
二人してキッチンに消えていくのを見るのが、ざわざわと落ち着かない。当たり前の光景なのに。この人達は何年これを続けているのだろう。
想像したらまた、胸の奥の方が痛くなった。
「……?」
「影山!座ってていいぞ?」
「……いえ、手伝います」
少し強引だっただろうか、二人と同じ空間に割って入っていった。なまえに視線を走らせると、思い切り逸らされたけど。
二人でいられるよりはいい。
「お、じゃあレタスの水を切ってくれ」
「ちょっと、夕?」
「三人いたら狭いだろ?机拭いてくる」
西谷がキッチンを出て机を拭き始めた。それを恨めしそうに見る彼女は、きっといい気がしてないのだろう。
「あの、なまえさ……」
「やめて」
「でも……」
「今はヤダ。夕のいるとこであの話したくない」
「じゃあ。時間作ってもらえるんですか?」
今日初めて、まっすぐ見返された気がする。いつもこちらがばらさないと、じっと合ったままの目を思い出す。
この力強い目つきが、嫌いじゃない。見ていると時々、酷いことを突きつけてやりたくなるけれど。
「カレーの合間にサラダ作るから、夕と二人で座ってて」
「でも、レタス……」
「後やるから。帰り、話そう」
「なまえ!甘口と中辛混ぜて!」
「うん、分かってるよ」
嬉しそうに柔らかく笑う顔が、いつも西谷の隣にいるなまえの顔で。そんな顔をしてもらえない自分が、腹立たしくももどかしい。
「なまえさん、可愛いです」
「えっ?」
「俺は綺麗より可愛いだと思います」
「あ、あの。影山くん?」
「西谷さんとこに行ってます」
菅原が言っていた、大事なことから言うものだと。西谷の隣にいる彼女は、いつだって可愛いと思う。
そして今、反応に困って口を開けたまま聞き返した顔も。ああ、そうか。影山は噛み締めるように理解する。
「ん?影山、お前どうした?」
「……イエ。別に」
「顔赤いぞ?」
菅原の言いかけたことが、もう一つ分かった。自分はとっくに、なまえが好きなのだ。影山は事の顛末を憂いて、深く長い息を吸い込み、低くゆっくりと吐き出した。
***続***
20131113