×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -


初恋


 合宿から帰ってきて部屋着に着替えていると、ドアをゆっくりノックする音が聞こえて。間違いなく親ではないその気遣いに、思い当たる人間は一人しかいなかった。
 入れと中から叫んでみれば、ドアを僅かに開けた隙間からなまえの顔が覗く。何回か瞬きしてこちらを伺う目は、何かを訴えるみたいだった。

「夕、ちょっといい?」
「おう、どうした?」
「……うん」

 ベッドに腰掛けて手を叩く。なまえはドアを背に佇んで、それ以上動こうとはしなかった。口をきつく結んだ後で、少しずつ息を長く薄く逃がす。
 そうして徐々に赤くなっていく顔は、何を思い出したのか。困った様に眉を垂れたくせに何処か照れを滲ませるそれに、何となく嫌な予感がした。

「あの、ね」
「おう」
「か、影……くんに」
「もうちょっとこっち来て喋れよ。全然聞こえねー」

 聞きたい様な、聞きたくない様な。まるで初めて会ったみたいな女の顔をするなまえに、距離を感じて手招きした。
 僅かな距離なのに時間をかけて歩いてくる幼馴染に、俺も腹を括る。覚悟はしていたし、そんなに遠からずこの日が来るって知っていた。
 でも、早すぎやしねぇか。そんな愚痴を先に言ってしまいそうな身勝手さに、我慢がきかなかったのはやっぱり俺の方で。

「言われたのか」
「えっ?」
「影山に言われたのかって聞いてるんだよ」
「なん、何で……ソレ」
「ああああ!影山、ちくしょーめっ!」

 耳から何からさらに真っ赤に染まっていくなまえの髪を、力任せにかき混ぜた。森然へ行く途中、バスの中で影山が言いたそうにしていたのはコレだ。
 最近はよく二人で帰っていたみたいだから、その時か。そんな風に具体的に想像したところで気分が悪くなった。気持ちじゃない、気分だ。

「なまえ!」
「は、はい!」

 声を張り上げると、床に座り込んだなまえは条件反射で背筋をしゃんとする。真っ直ぐに見上げてくる顔はいつも通り、俺を信頼しきっている顔で。
 どんな時も出来るだけ俺を見下ろさないようにしてくれていたのをこんな時にばかり思い出す。いや、こんな時だからか。
 俺は言っとかなきゃならない。いつだって、こいつの幸せを願っていることを。

「良かったな、幸せになれよ」
「馬鹿、やめてよ。変だよソレ」

 結婚式のお父さんみたいだよ、そう言われて。そんな気持ちだ馬鹿やろう、という声を飲み込んだ。代わりにぎゅっと両手を掴まえる。
 物心ついた時にはもう、この手を引っ張って走り回っていた。いつか両手で抱えきれなくなったものはなまえの分まで持ってやる、そう思っていたのに。
 それは俺の役目じゃなかった。

「影山が嫌になったら俺のとこに戻ってこい。いつでもヒーローやってやるから」
「今度は縁起悪過ぎだよ!それに夕はずっと私のヒーローじゃん」

 当たり前みたいにそう言う、なまえの声には躊躇いがなさ過ぎて。俺は一気に目頭が熱くなってそっぽを向いてしまった。
 いつだってこの信頼に甘えてきたから。だから今くらい、返しとかなきゃ機会がない。

「言っとくけどな、俺だってお前が好きなんだからな!」
「分かってる、私も夕が好きだよ」
「お前が傷つくようなことがあったらなぁ!」
「ちょっと、本当にお父さんより怖いよ!」
「門限は20時な!」
「早いよ!部活終わって帰ってきたら過ぎてるでしょ」

 ポンポンとテンポよく返ってくるそれはいつものなまえと俺の掛け合いで。握った手だけが熱くなる。祝福したい気持ちはある。
 でも、まだ幼い頃の小さな自分が心の中で燻っている。なまえにとって俺が世界の中心で、俺にとってもなまえが世界の中心だったことがあるからだ。
 いつまで経っても、俺の後ろをついてくる小さな女の子。

「くそっ!やっぱ影山許せん!」
「ね、盛り上がってるとこ悪いんだけど、私まだ影山くんに何も言ってないよ?」
「……はぁ?」
「いや、だからね……」

 雰囲気を見事にぶち壊しながらなまえが言うには、好きになってくださいと言われたけどその後何も言われてもいないし言ってもいないということだった。
 影山はアホだ。直感した。俺が指摘するまで自分の気持ちにも気付かないような、下手すれば恋愛偏差値が40を割り込んでいるような女に。
 その先を言わないとまたそれで悩み始めるに決まっている。現にこいつは、俺を訪ねてきた第一声が「ちょっといい?」だった。
 嬉しそうではあったけど、これは「どうしたらいいかな」という相談の類だったのだ。

「……っかやろう!私も好きですって言えー!」
「野郎じゃないし!それにど、どのタイミングで言えばいいの?」
「はぁ?」
「だって、バレー、大事、だし」

 同意を求めてくるみたいに、チラチラとこっちを伺う目は真剣そのもので。大事な時期だから、なんて言う声に呆れてしまう。
 今が大事な時期なら、影山にとっては年がら年中大事な時期だ。それにアイツがバレー馬鹿なことくらい、知っていて好きなくせに。
 ただ単純に不安なのかもしれない。そしてその不安は、この手を離れていくからだって。ほんの少しくらい、自惚れてもいいのか。

「分かった。無理強いはしねぇ」
「夕……」
「でも、聞かれたら逃げるなよ」

 背中を押してやらなきゃとも思うし、押してやるものかとも思う。俺にだって矛盾があるのに、なまえばかりを責められない。
 本当は、こいつがただ笑って楽しいならそれでいい。悪いな、影山。俺はどう転がったって何処までいったって。なまえ贔屓なのは仕方ねぇから。
 ゆっくりと小さく頷く幼馴染は、口元を緩めて笑った。俺も一緒に頷いて、乱れた髪を手櫛で梳かす。耳を掠めた手にくすぐったそうに目を細めた顔も。
 もしかしたら、近い将来遠くなってしまうのかもしれない。やべ、何だろう。コレ。目の奥から込み上げてくる何かが、感傷ってやつなのか。

「なぁ、なまえ」
「なに?」
「……何でもねぇよ!今日は疲れてんだよ、そろそろ寝る!」
「夕。あの、あのね!ありがとう」

 ぐいぐい背中を押してドア付近まで来ると、なまえが振り向いて言った。決別みたいに感じるのは、俺の思いこみであって欲しい。
 そんなくだらない事を考える俺は馬鹿でどうしようもねぇな。いつも通りに大口開けて笑って、じゃあなと送り出す。
 淋しくなんかない。ただ、俺の初恋は結局なまえだったなぁって。もう手が届かなくなってから思い知っただけだ。



***続***

20151005


[*prev] [next#]
[page select]
TOP